思い出し笑い


現在中二の娘が幼稚園生の頃、幼稚園から帰ったら一緒にソファでゴロゴロするのが日課でした。
その日もハグしながら「幼稚園どうだったぁ?」なんてキャッキャウフフしてたんですが、
娘がふとわたしの髪に顔を当てて、

「おかーさん、いい匂いがする!」

と言ったんです。

「え~、どんなぁ~?(キラキラ)」

と聞いてみると、娘はしばらくの間うーんと考えて、パッと顔を輝かせてこう言いました。

「あ!わかった!やきそばのにおい!」

・・・

いい匂いってなんだろう~?
フローラル的な?それともフルーティかな?

なんて想像していたのに、やきそば・・・。笑

もーいろいろおかしくて大笑いしたって話なんですが、今でも思い出すと笑ってしまいます。

娘と一緒に暮らしてるとこんな話がいっぱいあります。
思い出すと笑ってしまう話のストック。
娘のお陰で今も在庫がなくなることはありません。
せっかく思い出したので、この焼きそばエピソードも"思い出し笑いストック"に加えることにします。

でね、いざというときに思い出すんです。

たとえばわたしはええかっこしいなので、うまくやらないと!って緊張してるときに、

あ、でも所詮焼きそばだし。。

って思い出せると、リラックスできます。笑
他にも子どもへの負の注目のループにハマってるとき、無駄に悲しんでいるとき、退屈なときにも使えます。
あ、もし余裕があったら人生を終える瞬間も思い出し笑いしたいなぁ。常に厳選しておこう。

昨夜も娘が、

「SOSってなんの略?」と聞いてきました。

私「えーっと・・なんだっけ・・・」

娘「・・・さっさと・・・おれを、」

娘・わたし「すくえ?」

アホな親子だなぁ~。一緒に大うけしただけで結局調べてないし。もうSOSはさっさと俺を救えでいいや。笑


皆さんは、自分的笑える話ストックってあったりするのかな?

思いつくだけでもいいけど、もしシェアしてくれたらうれしいです!


久郷 緑【2021年5月】 

余計なこと


4月から高3になる次男がなぜか最近勉強している。

先日、次男が『物理』の演習問題を解いている時に、偶然長男が帰ってきた。
これ幸いと次男は長男に質問を始めた。

わたしはその様子を見聞きしながら、微笑ましいなあとか思っていた。

二人は当分の間、そうやって時を過ごしていた。

一区切りついたのか、次男が突然言い出した。
「物理や数学なんて何の役に立つっていうんだ!こんなの机上の理論だろお!」と。

するとそれを耳にした長男がサラッとシレッと応えた。
「そう思うなら高校を卒業したら働けばいいだけだよ。」

瞬間、次男は黙った。

わたしはというと、ビックリした。
わたしも同じことを思っていた。お勉強が嫌いなら無理に進学なんてしなくてもよいし、働くことをお勧めしたいと思う。けれど、わたしが言うと、角が立つ。本当のことだけど、上手く伝えられない。なのに、長男ときたら、あまりにもサラッとシレッと言っちゃうんだもの。オイオイ!

場の空気は悪くなってはいなかった。ピリピリした緊張感もなかった。

本当はわたしの出る幕ではなかった。
でも・・・。

難しい課題に取り組んでいる時って、愚痴りたいよね、毒を吐きたいよね。それをエネルギーにでもしなきゃ、やってられないよね。その気持ちすごくわかる。わたしだって、文句言いながらじゃなきゃできないこといっぱいあるし・・・。次男が可哀そうになってきた。

そして、余計なことをした。

「チョット、愚痴ってみたかっただけだよね?でも、本当にそう思っているなら、きちんと考えたほうがいいと思うよ。」

その後、どうなったのか覚えていない。ということは、何も起こらなかったのだと思う。
きっと、わたしが余計なことをしなくても、何も起こらなかったのだと思う。

ふと思った。岡敬だったらこのわたしの出来事になんて言うんだろう?
「ケイちゃん、次はどうしようと思う?(笑)」って声が聞こえてきそうだ。


<つづき>

長女にこの話をしたら、

「それって課題シート案件でしょ!
自助グループに行ってあーでもないこーでもないって点検するんだろうな?
それで、最後『やさしくきっぱり』って話になって、チャンチャンってとこかな?」と。

サラッとシレっと言われた。

wuuuuuu・・・・。


田崎景子【2021年4月】

物語を生きる


今日もプチパセージの内容の自助グループでした。
昨日と同じように、
自助グループに来てくださってる方が初めてのお友だちを連れて来てくださいました。
こうやって少しずつ、パセージの輪が広がっていくことがとても嬉しいです。
一回一回の会が、新鮮な驚きに満ちていて、
私も一回一回、新しいことを学ばせていただいているなあと感じます。

コロナで自助グループもパセージもカウンセリングも開けない間、
人は、お互いに向き合って共に生きていく生き物なのだと実感しました。
オンラインでいくら顔を見られるようになっても、
ディスカッションができるようになっても、
それはやっぱり生身の人どうしのおつき合いではありません。
オンラインで私が仲間とやりとりするときに
心が通じ合っているように思えるのは、
これまでに同じ場所で同じ時間を共にしてきた、その体験があるからであって、
オンラインによって新しく関係を作っていくことは無理だろうと、私は思います。
もしもこれからもずっとオンラインでなければ仲間といられないのであれば、
絶望してしまいそうです。
また会えると信じていられるから、
そのことがどれほど私に希望をもたらしているかを知りました。

そのことを思うと、私が今実際にお会いできる人との縁を
本当にありがたいものだと思い、大切にしたいと思います。
自助グループに来られた方たちが、様々な言葉で
ここは私の居場所だと思えたということを伝えてくださった。
それはそのまま、私に、生きる意味を与えてくれているのです。

生きていくことは、小さな場面の連なり、小さな言葉の連なりなのだと感じます。
レポートではなく、実際に起こったエピソードから
あらゆることを考えていくというアドラー心理学の基本は、
この瞬間をどう生きるか、ということなのかな、と思います。
私たちは考えの中には生きていないから。
私たちは何かを言い、何かを行動して生きているから。

私の一番のお気に入りの陰性感情は、実は「不安」なんだろうなと思います。
まだ起こっていない、私の頭の中に描く未来の姿を怖がって、
何かをしたり、しないでいることを選ぶことが多かったけれど、
私はそんなに正しく未来を描くことなんてできない。
未来は、今の瞬間を美しい物語にしていく、その努力が作っていくものです。

もう私は、自分のレポートに騙されたくないな、と思います。
私が今まで人々と作ってきたエピソードの連なりが、私の人生だと思えます。
だからこれからも、私はエピソードを紡いでいくのです。人々と共に。


松村美穂【2020年6月】

ZOOM飲み会


岩手の母にも、新潟の長男にも、4月には会いに行く予定でいたけれど、もちろん行けなくなった。
この春社会人になった京都に住む三男とは「連休に京都で山登りに行きたいな。」なんて気楽に話していた。

会おうと思ったらいつでも会える、状態だったから会えなくても大丈夫!だったのだけれど、いつ会えるのかな、と思うと急に心細く寂しくなったりもした。


3月の終わり、コーラスの方たちとZOOMをやっているのを、珍しくのぞきに来た夫。
コーラスの方々の明るい声、笑い声に「楽しそうだったね」とこれまた珍しく感想を述べていた。

このことでZOOMに興味を持ったらしく「ボクもやろうかな」と度々繰り返していた。

その夫が「家族でZOOM飲み会しようか」と金曜日、帰宅して言った。
自分は飲まない夫の言葉に驚きながらも、ZOOMを通して家族団らんができそう、父親からの提案なら皆ノッてくれるに違いない、とすぐに賛成した。
が、夫に任せていたらいつになるかわからないな(笑)と思った私は「では、ラインで皆にお知らせをお願いしマス。早速明日できたらいいな」とお願いをして、無事土曜日の夕方にオンラインで集まることができた。

一番ウキウキしていたのは私だと思う。
「お母さん、まだ飲んでいないのに酔っ払ってるみたいだね。」と隣にいる二男にも画面の向こうの長男にも言われた。

この3月に引っ越した長男にはどんな部屋かを写してもらい、暮らしぶりをなんとなく想像する。
一人暮らしのそれぞれの夕食のメニューをみては(緑の野菜でも食べてほしいなぁ、ブロッコリーは茹でるだけで簡単よ)と思ったり。母はいつまでも母なのだ。

2時間半ほどの間に「一本開けちゃった」とワインの瓶を持ち上げる三男。
いつの間にかグラス片手に二階へ上がっていった二男。
画面から見えなくなってきた長男に「顔がみえないよ~」と叫ぶと「今洗濯干しているの」とタオルを振っている姿が現れたり。

なんだか、それぞれのいつもが見えてきて面白かった。

iPadを持っている一宮の義母(90歳)にも加わって欲しいけれど、ひとりで加わることは無理だろうな。せめてと思ってその様子を写真に撮って、FBで見れるようにした。
翌日に電話をしたら「iPadでみたけど、あんなことが今はできるの!私にはわけわからないけどすごいね」「そういうのを私も見ることができてよかったよ。ありがとう」と明るい。

有り難いことだ。離れていてもこうやって繋がれるのは。


河野直子 【2020年3月】

藍より青し


8月ごろのことである。
私が帰宅すると、娘(大学院1年)が、なにかを慌てて探していて家探し状態になっていた。今までの私だったらこんな場面ではマイナス感情を使って「ちゃんとしまっておかないからでしょ!」などと言うか、負の注目をしたまま課題の分離をして、知らん顔していたかもしれない。
しかしこの時は、ちょっと待てよ、と思った。そして冷静になってみたら、娘はとっても困っているんだなぁ、と思った。そして、私の大切な人が困っていたら、私は普段ならどんな行動をするかな?と考えた。
そこで、
「どうしたの?何か手伝うことある?一緒に探そうか?」
とたずねてみた。
娘はかくかくしかじかと説明をしてくれた。手分けして探したが、目当てものもは見つからない。さらに話を聴いてみると、どうやら、それがなくても大丈夫そうだ。こういうときは人生経験の豊富さが役に立つ。そこで、おそらく大丈夫だろうと伝えた。娘も万が一ダメだった場合の次善の策を用意して、落ち着くことができた。

娘から「相談に乗ってくれてありがとう。次からは(なくさないように)○○するわ。」と言われて、よかったなぁ、と思った。パセージの実践ができたなぁ、と嬉しかった。


それから数ヶ月して...。
ある日、私は家を出る直前に自分のパジャマを洗濯して干して出かけるつもりだったのを、すっかり忘れて干さずに出かけてしまった。
帰宅して、そのことに気がついた。洗濯機の中に、洗濯が終わって湿ったままのパジャマが数時間放置されていた。
私は自分の失敗が腹だだしくて、しかも、その時ほかに暖かく着心地よいパジャマが無くて、さらに腹を立てていた。洗濯して乾いたら同じのを着ようかなと思っていたのだ。

そうしていたら、娘が、
「どうしたの?」とたずねてくれた。
「干すの忘れたし、着たいパジャマが無いの」と言うと、
「パジャマ貸してあげようか?」と出してくれた。
私は「ありがとう!」と借りることにした。
娘が助けてくれて、共同の課題にしてくれたことで、私は自分への怒りがすっかりなくなってしまった。
まるで母と娘の立場が逆転しているようだなぁ、と思った。


ほんとうに、子どもは学ぶのが早いなぁ。
相手が困っている様子のときに、ほんの少しそれを分かち合って、協力すること。それがどれほど相手を勇気づけるのか、身をもって体験することができた。

娘は笑って
「いいお母さんになりそうでしょう?」と言うので、
私も「うん!すごくいいお母さんになりそう!」と言った。
まあ、娘は当分の間、母になる予定はないのだけれど。パセージには興味があるようだ。


【中井亜由美 2019年11月】

父の声


総会後、ちょっとつかれている。

気分転換に日記を書こう。

こんな時には、父のことを書くのが、きっといい。

 

 

父との距離が遠かった。

私にとって父は大きな人で、怒鳴られて怖かったというのもあるのだけれど、それ以上に大きくて偉大な存在だった。父には抵抗することはできないと思っていた。その一方で、父に認めて欲しかった。でも、私は父を遠い所に置いた。

 

そんな父との関係は、アドラー 心理学のおかげで大きく変わった。

父との物語が動き出したのは、野田先生のカウンセリングを受けた時だった。確かカウンセラー養成に見学参加していた時じゃなかったかな。わが家のジェノグラムをホワイトボードに描いて、私が生まれた時、父はまだ20代後半だったということがわかった。当時、私は25歳とかそんなで、野田先生は「今の自分とそんなに(年齢が)変わらないって思うと、全部許せない?」というようなことをおっしゃった。「本当にそうだな」と思った。あの日から、父との物語は動きはじめた。

 

それでもすぐには変わらなかった。

 

その後、最初に受けたカウンセラー養成で、クライアントをした時、父との事例を出した。エピソードの中では何も事件は起こっていなくて、父と2人でいる時に、私がひとりでビクビクしているというエピソードだった。カウンセラーのYさんは丁寧に話を聴いてくれた。そして「味方じゃないかも知れないけど、敵じゃないってこともあるんじゃない」というようなことを、朗らかに言ってくださった。「本当にそうだな」と思った。そのカウンセリングでYさんはカウンセラーに合格した。うれしかったし、父との関係が変わる2歩目になった。あれから帰省の度に、父との物語は少しずつ変わっていった。

 

そして、月日は流れ...

 

今回の総会で、私は懇親会の劇に出演することになった。

とてもいい脚本とメンバーに恵まれた。苦労はあったが、なんだかんだ楽しく練習していた。

セリフの多い役だったので、お姉さんメンバーさんから「もっと大きな声で、滑舌良くしてもらえると...」というご意見をいただいた。撮影さいた練習動画を見返してみると、確かに私の声は小さく、滑舌が悪い。本番は1ヶ月後に迫っていた。脚本のおもしろさを総会でみなさんに伝えたい。うーん。どうしたものか...

 

そんな時、父のことが頭をよぎった。父は豆腐屋の跡取り息子だったのに、オペラ歌手を目指して音大に行った男だ。結局は中学の音楽の先生になったが、父は声がとても大きい。滑舌もよく、エモーショナルに話す人だ。小さい頃には震え上がったあの声の力を、自分も使いたいと思った。

 

父に電話をした。「とある事情があって、劇に出演することになった。本番は1ヶ月後。それまでに大きく通る声を出したい」と父に話した。父は「うんうん」と話を聴いてくれ、声の出し方を教えてくれた。「ヤッホー」とか「オーイ」の時の体の使い方で発声すると、声は通ること。そして「全身を使って声を出せばいいんだよ」と教えてくれた。後者のアドバイスは「簡単に言うなよ」と思ったけど、でも意識することはできると思った。地道に続けてきた瞑想のおかげで、身体に意識を向けることは上手になっていたから。

 

そして、迎えた本番。緊張したけど、結構楽しかった。仲間が書いてくれた脚本を、みんなにちゃんと伝わるように、仲間とたくさん工夫をした。そして、父からもらった声で伝えることができた。それもうれしかった。

 

今週末、私は実家に帰る。結婚1周年を記念して、妻と一緒に里帰りをする。父ともゆっくり話せるだろう。その時、父に「ありがとう」と言おう。厳しかったけど、いつでも私の味方でいてくれた父に。いろんな感謝を込めて、「ありがとう」と言おう。

 

父は私の味方だ。

父はずっと味方でいてくれた。

そのことがわかるのに10年かかった。

 

【村上 透 201910月】


大雨の中「けんけんぱ」!


保育園の帰り道。長女(4歳)と次女(2歳)と3人で歩いていました。その日は大雨でした。ふたりとも長靴をはいて傘をさしていました。水たまりがあるたびに入っていっては、ぴちゃぴちゃ楽しそうにしながら歩いています。 そうしていると、次女が

「(長靴に)水、入ったぁ」

と言い出しました。とりあえず

「どうするー?」

と開いた質問で判断を委ねてみました。
すると、水が入った右足の長靴を脱ぎ、

「けんけんぱするぅ」

と次女が言いました。
心の中で

「えー!この大雨の中でー!?帰るの遅くなりそうだしめんどくさいー!!家までもうすぐだし我慢して歩いてほしいなぁ...」

と思いましたが、マイナスの感情を持ったまま何か言うとどんな言葉も勇気くじき。ここは深呼吸。「ま、どうなるか観察してみよう♪」と気楽に考えられました。
すると次女は私の足につかまりながらもぞもぞと右足の長靴だけを脱ぎ、左足だけでけんけんを始めました。それに合わせて私が歩いていると、5回くらいけんけんしたところで、

「長靴履くぅー」

と言い、濡れた長靴を履いて家まで歩いて帰りました。

パセージ(アドラー心理学の子育てを学ぶプログラム)では3種類の学び方を教わりました。「モデル」「体験」「ことば」です。
今回は、次女に「体験」から学んでもらいました。パセージテキスト26-Lに 

 言葉による子育てに頼りすぎるとしばしば子供が体験するチャンスを奪ってしまいます。

とあります。体験から学ぶ機会を作ることをこれからも大切にしていきたいなと思います。


【伊藤太一 2019年8月】

家族の時間


今日からまた2泊3日、夫が帰省しました。 
明日が義父の介護認定の面談だそうです。 
退院に向けて準備を進めているのだけれど、まだいつ退院できるかはわからないそうです。 
義父はまだ重湯しか食べてはいけないのに、 
お見舞いのお菓子をこっそり食べて看護師さんに怒られたりしているそうで...。 


夫は今年に入ってから今まで以上に超激務なんです。 
管理職になったので、本当に仕事が多いのです。 
なのに、ほぼ毎週、帰省しています。 
帰省するために、連日深夜まで仕事をしています。 

夫もこのままではさすがに身体がもたないと思ったそうで、 
「だから筋トレとウォーキング始めたよp(^_^)q」 
と爽やかに報告してくれました...。 
そっちかーい Σ(・□・;) 
仕事減らすとか効率化するとか、帰省の回数を減らすとかではなく、 
自分の体力を増やす方に頑張るのね...。信じられん...。 
だけどそういえば夫は昔からそういうタイプでした。 
ストイックな人です。 
だから私ともつき合えるのかもしれませんね。 

確かに夫、脂肪が減って筋肉ついてきていますし、 
お昼を基本的にお弁当にして、食生活も改善中で、 
以前よりも健康になっている気がします。 
昼休みに大学の農場のあたりをぐるっとウォーキングしているそうです。 
もともと体力のある人だけど。長生きしてください。 

なんとなく感化されて、私もできるだけ毎日歩くようになりました。 
バスに乗ったつもり貯金とかをしながら、色々と用事はあるので歩くことはできます。 
筋トレはしませんけどね。 


この土日の秘訣講座、本当に本当に参加したかったのですが、 
連休中にキャンセルしました。 
結局、参加することは可能だったのですが、 
夫が土曜日は半日家族と過ごしたり、 
日曜日は一日中職場に行って仕事を片付けたりできたので、 
私の家族にとって良かったのだと思います。 
野田先生も指導してくださったそうで、本当に残念な気持ちでいっぱいでしたが、 
今私にふりかかるタスクは、意味があって必要なことなのだと信じようと思います。 


5月18日の土曜日は、鳥取の国府町にある因幡万葉歴史館に初めて行ってきました。 
安野光雅さんの明日香・奈良の絵画特別展が開催されていたからです。 
安野さんの本は大好きなのですが、原画を見たのは初めてで、とてもよかったです。 
万葉集の歌に詠まれた風景が、安野さんの目を通すとこう見えたのかと感動しましたし、 
子どもの頃家族で訪れた明日香・奈良の風景にも出会えて、感慨深かったです。 
今私の家族と共に、あの風景を見ているというのが、不思議でもあり嬉しかったです。 


日曜日は、午前中は子どもたちと一緒に家の片付けや掃除をしました。 
昼ごはんは、香川で義母が作ったグリーンピースをみんなでむいて、 
長男がふわふわの玉子を焼いて、オムライスを作りました。 
長男はオムライスのためにメレンゲを泡だててふわふわにさせるという、まめな人です。 
食後のデザートには、長男作のゼリーと、生クリームを食べました。 
生クリームを次男はゼリーに添えて、長男は紅茶に浮かべて、私はコーヒーに浮かべました。 
それから私と長男は一緒に勉強をして、 
その後子どもたちは外に遊びに行きました。 

なんということはない日常ですが、 
どれも一度きりのことです。 
この時間を大切にしていこうと思いますし、 
どうすれば大切にしていけるのか、わかってきました。 
協力し合って暮らせるようになったと思います。 
本当に嬉しいです。 


【松村美穂 2019年5月】

アドラー心理学本番を迎える

このゴールデンウィークは、そんなに遠くには家族で行かないけど、日帰りできるような場所に車で行って楽しい時間を過ごそうということになった。妻が朝少し早起きをしてお弁当をつくる。その日は天気もすっかり回復し、県北部の八幡湿原に行くことにした。1時間半ほどで目的地に到着し、草原の木陰の下でお弁当を広げて食べた。

帰り際、隣でやはりピクニックをしていた家族がいて、えんは、その見知らぬ家族のところに行き、バドミントンのラケットを借りて遊び始めた。突然その家族のところに入っていったので、その家族も少し戸惑っているようだったが、笑顔で迎え入れてくれた。よくあることだ。えんは、「人類みなお友達」というような感じで、まったく遠慮することなく、以前からの知人のように入っていった。ある意味、周囲と境界をつくらないということはいいことだと思っているが、こちらの方は、迷惑じゃないかといつもひやひやである。

そして、ずいぶん時間がたったのだが、えんは夢中である。ぼくが「もう帰ろう」と何回言っても、「いやだ」と言って強く拒否する。相手の家族も気を遣ってくれている。最終的にはぼくが無理やり、抱きかかえて車の中に押し込むというような感じになってしまった。このようなことは繰り返されている。

帰りの車の中で、「なにか気になるなあ」と思った。妻に「こんなピクニック、続けてもえんの教育にとってあまり意味がないんじゃないかなあ、家族(ぼくや妻)は自分に奉仕してくれて当たり前と思ってるんじゃないかあ。だから、なにか家族でするときは、意識してえんにきちんと役割を与えて、家族のために貢献してもらうようにしたらいいんじゃないかなあ」と言った。妻はすぐに理解し同意してくれた。

さっそく家について車を降りるときからこれを実行してみることにした。「えんちゃん、このピクニックのシートをうちまで運んでくれないかな」とぼく。彼女にはちょうどいい大きさと軽さだ。いままでは妻かぼくが運んでいたのだが、方針変更だ。えんはうれしそうに「いいよ」と言って引き受けてくれた。そして、家のドアのところまで、先頭に立って運んでくれた。まだ身長が95cmしかないえんだが、頼もしい姿だ。ドアの鍵を開けるのも、彼女の仕事だ。

その日はついでに風呂掃除も頼んでみた。えんはすぐに風呂に行き、ぼくと一緒に風呂磨きが開始された。えんは浴槽の中をゴシゴシ、ぼくが外のタイルをゴシゴシ。ほんの10分程度で終わった。ぼくが軽く「ありがとうね」と言うと、これは予想外だったのだが、にこにこしながら「ありがとうございました」とえん。この声があまりにも大きかったので妻もびっくりしたようだ。「あなたのえんへの働きかけの変化で、えんは突然変わったね」と妻。いままで、特に仕事がある日は、忙しくてえんができる仕事もぼくが手っ取り早くやってしまっていたのだが、これを反省。彼女はもう3歳と10ヶ月。ほぼ大人の話す言葉を理解できるようになったと感じる。表現力はまだまだだけど。

これからがアドラー心理学本番だ。彼女自身の課題については、「・・をお手伝いしようか、それとも自分でやりますか」と言うようにした。こちらの働きかけの変化によって、相手は即座に変わる。これは学校教育でも学んだことだ。


【瀧口純二 2019年5月】

「ななちゃん、舐めたでしょ!」


ある日の職場での出来事。(こども園で勤務しています)

私が午後のおやつの配膳をしていると、
年長の女の子のななちゃんとゆうなちゃんが手伝いに来てくれました。

おかきをお皿に数を数えながら入れる二人。
するとしばらくしてゆうなちゃんが、ななちゃんにこう言いました。

「ねえ、ななちゃん、今指なめたよね。汚いから手、洗ってきて!」

「舐めてないよ」と、ななちゃん。

ゆうなちゃんは私に訴えます。「ねえ、洋子さんも見たよね。」

(・・・どきっ。こっちにきたかあ・・・見てないんだよなあ・・・)

「ごめん、私わかんないな」とにっこり。(笑ってごまかすのは得意技)

「ねえ、洋子さんからななちゃんに言ってよね。汚いって!!」

(保育者の役割は??えーっと、お互いの気持ちを聞いて、、、、。

いや待てよ、違う違う。子どもたちの解決する力を信じよう。
子どものけんかには介入しないんだよな。どうすればいいんだぁ!!!)

あれこれ頭の中でぐるぐる考えていると、ななちゃんが、

「ゆうなちゃん、ごめん。わたし、舐めたかも。手洗ってくるね。」


ななちゃんが手を洗いに行って戻ってくると、その後は
二人で何事もなかったかのように楽しくおしゃべりを続けて配膳をしていました。

お節介な私は「ななちゃん、勇気出して謝れるの素敵ね」と声をかけました。

すると、
「だって、すぐに仲直りした方が、外ですぐゆうなちゃんとあそべるもん!!」
「ね~ 」と、ななちゃんはゆうなちゃんに笑いかけます。
ゆうなちゃんも「ね~ 」とにっこり。

尊敬すべき二人!入園した頃、泣き虫だった二人がなんと成長したことか!!

余計なことしなくてよかったな。信頼することの大切さを学ばせてもらいました。

こんな二人もあと3日で卒園です。(うるうる・・・・)

【堀田洋子 2019年3月】

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