総会後、ちょっとつかれている。
気分転換に日記を書こう。
こんな時には、父のことを書くのが、きっといい。
父との距離が遠かった。
私にとって父は大きな人で、怒鳴られて怖かったというのもあるのだけれど、それ以上に大きくて偉大な存在だった。父には抵抗することはできないと思っていた。その一方で、父に認めて欲しかった。でも、私は父を遠い所に置いた。
そんな父との関係は、アドラー 心理学のおかげで大きく変わった。
父との物語が動き出したのは、野田先生のカウンセリングを受けた時だった。確かカウンセラー養成に見学参加していた時じゃなかったかな。わが家のジェノグラムをホワイトボードに描いて、私が生まれた時、父はまだ20代後半だったということがわかった。当時、私は25歳とかそんなで、野田先生は「今の自分とそんなに(年齢が)変わらないって思うと、全部許せない?」というようなことをおっしゃった。「本当にそうだな」と思った。あの日から、父との物語は動きはじめた。
それでもすぐには変わらなかった。
その後、最初に受けたカウンセラー養成で、クライアントをした時、父との事例を出した。エピソードの中では何も事件は起こっていなくて、父と2人でいる時に、私がひとりでビクビクしているというエピソードだった。カウンセラーのYさんは丁寧に話を聴いてくれた。そして「味方じゃないかも知れないけど、敵じゃないってこともあるんじゃない」というようなことを、朗らかに言ってくださった。「本当にそうだな」と思った。そのカウンセリングでYさんはカウンセラーに合格した。うれしかったし、父との関係が変わる2歩目になった。あれから帰省の度に、父との物語は少しずつ変わっていった。
そして、月日は流れ...
今回の総会で、私は懇親会の劇に出演することになった。
とてもいい脚本とメンバーに恵まれた。苦労はあったが、なんだかんだ楽しく練習していた。
セリフの多い役だったので、お姉さんメンバーさんから「もっと大きな声で、滑舌良くしてもらえると...」というご意見をいただいた。撮影さいた練習動画を見返してみると、確かに私の声は小さく、滑舌が悪い。本番は1ヶ月後に迫っていた。脚本のおもしろさを総会でみなさんに伝えたい。うーん。どうしたものか...
そんな時、父のことが頭をよぎった。父は豆腐屋の跡取り息子だったのに、オペラ歌手を目指して音大に行った男だ。結局は中学の音楽の先生になったが、父は声がとても大きい。滑舌もよく、エモーショナルに話す人だ。小さい頃には震え上がったあの声の力を、自分も使いたいと思った。
父に電話をした。「とある事情があって、劇に出演することになった。本番は1ヶ月後。それまでに大きく通る声を出したい」と父に話した。父は「うんうん」と話を聴いてくれ、声の出し方を教えてくれた。「ヤッホー」とか「オーイ」の時の体の使い方で発声すると、声は通ること。そして「全身を使って声を出せばいいんだよ」と教えてくれた。後者のアドバイスは「簡単に言うなよ」と思ったけど、でも意識することはできると思った。地道に続けてきた瞑想のおかげで、身体に意識を向けることは上手になっていたから。
そして、迎えた本番。緊張したけど、結構楽しかった。仲間が書いてくれた脚本を、みんなにちゃんと伝わるように、仲間とたくさん工夫をした。そして、父からもらった声で伝えることができた。それもうれしかった。
今週末、私は実家に帰る。結婚1周年を記念して、妻と一緒に里帰りをする。父ともゆっくり話せるだろう。その時、父に「ありがとう」と言おう。厳しかったけど、いつでも私の味方でいてくれた父に。いろんな感謝を込めて、「ありがとう」と言おう。
父は私の味方だ。
父はずっと味方でいてくれた。
そのことがわかるのに10年かかった。
【村上 透 2019年10月】