2011年1月アーカイブ

今度から気をつけてね

 先週末の2日間、鈴鹿へ行きました。ここのみなさんの多くは、まだ保育園、幼稚園児から小学生の子どもさんの子育て中のお母さん達が多く、私も久しぶりに思春期以前の子育てについて思い出しました。

 話の中で出てくるのは、「あとからゆっくり考えるといい対応を思いつくのだけど、その場ではついつい怒ったり勇気くじきをしてしまいます。」とか「自分に余裕があるときは大丈夫なんですけど、疲れている時や忙しい時はもうアドラーもパセージも吹っ飛んで行ってしまいます。」というようなことばでした。

 「で、Iさんはどうでした?」と聞かれると、「いやあ、あははは、私だって、、、。」

 私の場合、長男が5~8歳、次男が3~6歳のときの3年間を「家にメイドさんがいる!」というきわめて幸運な形で過ごすことができたので、比較的余裕を持って子ども達に接することができたということはありますが、それでもやはり、大きな声を出したりいやみを言ったりひどく怒ったりすることはたくさんありました。

 ただ、アドラー心理学のおかげで、私は怒ったあと、自分がやりすぎたなと感じたり、今のはひどかったなと思ったときには、すぐに子どもにあやまることができました。

 今でも忘れられないのは、長男が3歳くらいの頃、何か些細なことで私が長男にひどく怒ってしまったときのことです。彼はそのとき、さめざめと泣きました。反抗的な泣き方でなかったからかもしれませんが、私は自分の怒り方がひどかったことに気がついて、いたく反省し、それで彼にあやまることにしました。

 「ごめんね。ママはちょっと怒りすぎた。あんなに怒らなくてもよかったね。」そう言うと、彼は涙のいっぱいたまった目で私をうらめしそうに見て、涙声で言いました。

 「今度から気をつけてね。」(「はい。」)

 時はずっと進み、その長男が中学1年の頃のことです。反抗期(いえ自立期)真っ只中の彼と大バトルを演じたあと、私は自分の側に非があることに気がつき、少し時間を置いてからそのことについてあやまりました。「さっきはごめん。かあさんのほうがまちがってた。」

 すると、長男は誰につぶやくともなく、「大人ってやっぱりすごいよね。悪いと思ったらごめんって言えるから。」と言いました。13歳の、せいいっぱいの、親を認めてくれる言葉だと感じました。「あやまれない自分」というものも見つめていたのかもしれません。

 誰だって、いつもいつも完璧なパセージママはできません。でも、アドラー心理学のいいところは、いつだって前しか見ないこと。失敗して、あやまって、やり直して、また失敗する。いつも立派なおかあさんでいるよりも、失敗してもくじけないおかあさんでいることのほうが、現実的な目標のような気がします。

【I.M.三重 2010年11月8日】