2011年9月アーカイブ

姉妹関係

先日、近くに住む妹とその末娘と、北島まで映画「神様のカルテ」を見に行きました。

映画自体は、はっきりしたメッセージ性のある内容を期待していたのですが、思っていたものとはちょっと違っていて残念でした。
でも、ま、当初の目的は嵐の桜井翔くんだったわけなので。。
(桜井君は、もさもさ頭のイチ先生がはまっていました~)


その映画のことはともかく、妹の運転で北島まで1時間くらいかかる間、妹と話をたくさんしました。子育ての事、里の母親のこと、夫の両親のこと、子どもの頃のこと・・・
次から次へと話題は移っていきましたが、育った環境というものはおもしろいもので、家族とか教育などの考え方、たとえば、家事は一般的に嫁の仕事としていることとか、また子どもに対しては教育熱心ではなかったことや、個性は大切にしたいこととか、いろいろ考え方が似かよっていました。


おもしろかったのは姉妹で、親から叱られたことの認識が、まったくちがっていたことでした。たとえば、私はあまり親に叱られたという記憶(認識)がなかったのですが、妹は、(姉である)私が帰りが遅かったり弟と喧嘩をした時などに両親が怒っていたことをみて、「私はあんな怒られるようなことはするまい・・」と決心して、うまくふるまっていたと言うのですよ。
ところが私は、妹が朝から遊びに出掛けたまま、夕方になっても帰って来ないことに対して、親が「ほんまにあの子は鉄砲玉(出ていったきり帰って来ない)じゃわ」というのを聞いたり、宿題をするのを忘れていたことなどで、「ほんまに勉強せん子じゃ」と言われていたことを聞いて、「私はあんなことはするまい・・」とおもい、いい子でいようとふるまっていたわけでございますよ。


どちらも同じ、親からみたら不適切にみえることをしながら、しかも自分では気がついてない・・で、自分の怒られたことは記憶にないという、なんとも間が抜けててしあわせな姉妹だったんですね~。もっとも、両親のお小言は、(怒られるべき?)本人にはきこえないところで言った可能性はあるわけですけど。。

 

それと、そのことから妹は(彼女の動きから察すると)「(ちゃっかり?)うまく切り抜ける!」ふるまいを学び、姉の方は、「いい子でいて、ほめられる」ことを人生目的として選んで、マイ辞書に書き込んでいったミタイデス。こういう繰り返しの中でも、私のライフスタイルはつくられていったのかな~とおもいました。


さいわいというか、育った家庭の雰囲気が厳しいものではなくて、兼業農家ゆえ?子どもは大事だけど、忙しくて子どもなんかにそうそうかまっていられない・・なんとか大きくなっているわ・・くらいの温かくも自由な雰囲気だったためか、姉弟妹関係もわるくならず、親に対して反抗的になってぐれて非行に走ることもなく大人になれたことは、祖父母、父母に対して感謝すべきことだろうな~とおもいました。


そして、こんなふうに一緒に出かけられてたわいない話が気楽にできるなんて、歳がいっても、いえ歳を重ねるほどに、姉妹はいいもんだなぁとしみじみおもったのでした。

 

【M.Y. (徳島) 2011年9月1日】