私の仕事の一つに、「調査報告・意見発表」があります。
特にここ2年ほど、このタイプの仕事の機会が、私にしては増えました。
これがしんどくなるほど緊張するのです。
うまくやりたい!という願いが強すぎて、いつも憂鬱になります。
うまくやりたいのに、現実の自分の出来を冷静に評価すると、今ひとつパッとしない。
発表内容に、いつも自信がもてるわけではないので、
これじゃぁ、来てくれる人に「よかったなー」と思ってもらえないんじゃないか。
偉いさんたちから厳しいコメントをいただいて落ち込んだことも多々あり、
イマイチという評価になることを極度に恐れます。
できれば直前の仕事から逃げたい、あーいやだいやだ、と思うのですが、
直前まで発表の内容を反芻する努力をする方が、その場であまり緊張しない、ということも、経験からわかっています。
失敗したときに、「直前までやってなかったしなー、あれが敗因か」と自責の念にかられますし。
なので、できることは、努力すること。
とにかくやるしかないのです。「すごくイマイチ」から「ちょっとイマイチ」に底上げするためにも。
私の自信は、努力によって支えられています。
ただ、努力が実を結ぶかどうかはわからないんですが....
....これが基本的な私のライフスタイルです。
今の私のままではダメで、理想に近づくためにはもっともっと努力しなければ。
それで、締め切りまで禁欲的にそれにかかりっきりになります。
できれば、他の仕事も遊びも余裕を持って楽しみつつその日を迎えたいのですが、
実際には直前に髪の毛を振り乱して、他の日々のことがおざなりに....。
しんどいんですよね、これ。
実はこのところ、その時の思考を少し意識的に変えています。
昨年、ライフスタイルについていろいろ学び、ワークで代替案も考えてもらったことが、
大きなきっかけになっています。
「無理に背伸びをしようとしても、たかが知れている。
今からでは結果が大きく変わって、びっくりするほど優秀になるわけではない。
だから、あるがままの正味これだけの自分の考えを、
わかりやすく筋の通った形に整理し伝えることを努力して、
みなさんに聞いてもらおう。
そして勉強させてもらおう」
こうお念仏のように唱えて臨んだ発表の仕事を2回終えましたが、
とてもいいです。緊張も心地よいです。
充実感もあり、所属感もあり、みなさんが仲間だ、聞いてくださってありがとう、
という気持ちになります。
あー、これなら、これからもやっていけそうです。
私は攻撃や批判されることに過剰に反応するため、
しんどい仕事を選んでしまったと思うことも多く、
それが仕事のタスクにおける自分の一つの課題でもありました。
仕事を楽しいと思えないことが多かったからです。
向いていないのかなーとも。
(それならその発表の仕事だけをやめればいいのですが、
それをやめてしまったら、また「発表できない自分はダメだな―」と沈んでしまうのです)
でも、「攻撃される」と思うこと自体、タテ関係ですね。
自分は劣っている、と、相手にgive in(屈服)している。
それに、自分の体裁にばかり意識が向いているので、かなりの「自己執着」です。
それが、「攻撃じゃなくて、一緒に考えてもらいたい」という態度をとると、
発表の最中も、質疑応答も、自助グループで感じるような暖かさすら感じることができました。
これは、私にとってものすごく収穫です。
なぜこれが今までできなかったんだろう?
アドラーを知らなかったから?
実際に私が年を重ね、ペーペーではなくなってきた、ということも、理由の一つかも知れません。
周りが私を批判する、「偉い(苦手な?)」先生方ばかりだった時代から、
私の話を聞いてくれようとする同輩、後輩、若い人たちが存在する時代になってきた気がします。
少しずつ、心地よい時代環境へと変化してきたのかもしれません。
いや、そういう人たちを意識的にターゲットにすることで、
心地よい環境を自分で仮想的に作り出せるようになってきた、とも言えるかも。
私はこれからも、
今のままの自分ではちょっとイマイチだなーと思い、
努力して、上げ底でもいいから少しでも良くしたい、と行動してしまうでしょう。
それが私のライフスタイルだから。
でも、もう少し、努力のプロセスを楽しみたいです。
うまくいったときの充実感はよいとしても、その直前のひどい緊張が、
ものすごくストレスで、そろそろしんどくなってきました。
ダメだった時の自分を強迫的にイメージする緊張じゃなくて、
自分をイジめ、追い込む努力を強いる緊張じゃなくて、
人がわかりやすく理解してくれるような論理運びを努力する、という、
充実感の時の自分をイメージする緊張、楽しい緊張にしていけたら、
これからの仕事も長持ちするかも!
成功体験はまだ2回ですが、これからも意識して自己暗示かけてやってみたいと思います!
特にここ2年ほど、このタイプの仕事の機会が、私にしては増えました。
これがしんどくなるほど緊張するのです。
うまくやりたい!という願いが強すぎて、いつも憂鬱になります。
うまくやりたいのに、現実の自分の出来を冷静に評価すると、今ひとつパッとしない。
発表内容に、いつも自信がもてるわけではないので、
これじゃぁ、来てくれる人に「よかったなー」と思ってもらえないんじゃないか。
偉いさんたちから厳しいコメントをいただいて落ち込んだことも多々あり、
イマイチという評価になることを極度に恐れます。
できれば直前の仕事から逃げたい、あーいやだいやだ、と思うのですが、
直前まで発表の内容を反芻する努力をする方が、その場であまり緊張しない、ということも、経験からわかっています。
失敗したときに、「直前までやってなかったしなー、あれが敗因か」と自責の念にかられますし。
なので、できることは、努力すること。
とにかくやるしかないのです。「すごくイマイチ」から「ちょっとイマイチ」に底上げするためにも。
私の自信は、努力によって支えられています。
ただ、努力が実を結ぶかどうかはわからないんですが....
....これが基本的な私のライフスタイルです。
今の私のままではダメで、理想に近づくためにはもっともっと努力しなければ。
それで、締め切りまで禁欲的にそれにかかりっきりになります。
できれば、他の仕事も遊びも余裕を持って楽しみつつその日を迎えたいのですが、
実際には直前に髪の毛を振り乱して、他の日々のことがおざなりに....。
しんどいんですよね、これ。
実はこのところ、その時の思考を少し意識的に変えています。
昨年、ライフスタイルについていろいろ学び、ワークで代替案も考えてもらったことが、
大きなきっかけになっています。
「無理に背伸びをしようとしても、たかが知れている。
今からでは結果が大きく変わって、びっくりするほど優秀になるわけではない。
だから、あるがままの正味これだけの自分の考えを、
わかりやすく筋の通った形に整理し伝えることを努力して、
みなさんに聞いてもらおう。
そして勉強させてもらおう」
こうお念仏のように唱えて臨んだ発表の仕事を2回終えましたが、
とてもいいです。緊張も心地よいです。
充実感もあり、所属感もあり、みなさんが仲間だ、聞いてくださってありがとう、
という気持ちになります。
あー、これなら、これからもやっていけそうです。
私は攻撃や批判されることに過剰に反応するため、
しんどい仕事を選んでしまったと思うことも多く、
それが仕事のタスクにおける自分の一つの課題でもありました。
仕事を楽しいと思えないことが多かったからです。
向いていないのかなーとも。
(それならその発表の仕事だけをやめればいいのですが、
それをやめてしまったら、また「発表できない自分はダメだな―」と沈んでしまうのです)
でも、「攻撃される」と思うこと自体、タテ関係ですね。
自分は劣っている、と、相手にgive in(屈服)している。
それに、自分の体裁にばかり意識が向いているので、かなりの「自己執着」です。
それが、「攻撃じゃなくて、一緒に考えてもらいたい」という態度をとると、
発表の最中も、質疑応答も、自助グループで感じるような暖かさすら感じることができました。
これは、私にとってものすごく収穫です。
なぜこれが今までできなかったんだろう?
アドラーを知らなかったから?
実際に私が年を重ね、ペーペーではなくなってきた、ということも、理由の一つかも知れません。
周りが私を批判する、「偉い(苦手な?)」先生方ばかりだった時代から、
私の話を聞いてくれようとする同輩、後輩、若い人たちが存在する時代になってきた気がします。
少しずつ、心地よい時代環境へと変化してきたのかもしれません。
いや、そういう人たちを意識的にターゲットにすることで、
心地よい環境を自分で仮想的に作り出せるようになってきた、とも言えるかも。
私はこれからも、
今のままの自分ではちょっとイマイチだなーと思い、
努力して、上げ底でもいいから少しでも良くしたい、と行動してしまうでしょう。
それが私のライフスタイルだから。
でも、もう少し、努力のプロセスを楽しみたいです。
うまくいったときの充実感はよいとしても、その直前のひどい緊張が、
ものすごくストレスで、そろそろしんどくなってきました。
ダメだった時の自分を強迫的にイメージする緊張じゃなくて、
自分をイジめ、追い込む努力を強いる緊張じゃなくて、
人がわかりやすく理解してくれるような論理運びを努力する、という、
充実感の時の自分をイメージする緊張、楽しい緊張にしていけたら、
これからの仕事も長持ちするかも!
成功体験はまだ2回ですが、これからも意識して自己暗示かけてやってみたいと思います!
【岡田 尚子 2013年01月14日】