2013年4月アーカイブ

共同体への建設的な行動に注目

 「共同体への建設的な行動に注目する」という目的で、クラス内で起こった出来事や、自分自身が体験したエピソードなどを学級通信で紹介するようにしています。


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未来飛行Ⅱ
NO.46(1/30)



 今日の印象的な出来事


 今日、ちょっと印象的なことがありました。今日の理科の授業は、理科室を使って行ったのですが、終わってみると、机の下にチョークの粉が散らばっていました。残っていた人に聞いてみると、誰がやったのか分かりました。これをどうしようかということになりました。やった本人はすでに2組の教室に帰っていました。本人を呼んできて清掃をしてもらうべきか。当然、やった本人の責任なのだから、その人がやるべきだというのが正論です。しかし、今日は、代議員のMさんが「私がやります」と言って、ほうきをもってきて丁寧に粉を掃きとって、そのあとぞうきんがけをしてくれました。すばらしいなと思います。自分がやったのではないから関係ないと考えて見て見ぬふりをすることもできます。でも、もしそのままにしておいたら、次に使うクラスに迷惑がかかります。あるいは、掃除担当の人が、どうして汚れたままにしておいたのだろうと少し嫌な気持ちになりながら処理しなければいけなくなります。

 自分がやったのではないけれど、いま自分にできることがあるなと考えて実行に移したMさんはすばらしいなと思います。さすが2組の代議員です。


 そう言えば、先日こんなことがありました。休日、家族であるスーパーに買い物にいったときのことです。ATMで、母がお金を下ろそうとしていたら、となりに外国人の親子がいて、そのお母さんがATMの機械を操作していました。その隣にいた小さい子がミルクの入ったボトルを逆さにしてしまい、ボトボトとミルクが床にこぼれ始めていました。後ろのベンチに座ってその光景を見ていたボクやボクの家族が、すぐに「ミルクこぼれていますよ」と大きな声で言ったのですが、お母さんはすぐにそれに気づきませんでした。そして、床はミルクがこぼれて大変な状態になってしまいました。ATMの機械操作を終えて、そのお母さんはやっと気づきました。でも、なにくわぬ顔をして、子どもを連れてその場を立ち去ってしまいました。

「どうしようか」とボク自身迷いました。そのままにしておいても、自分がやったことではないし、とがめられることはないでしょうし、責任を追及されることもないでしょう。しばらくしたら、そのスーパーの掃除担当の人が来て、きれいにしてくれるでしょう。それが掃除担当の人の仕事だし、それでお金をもらっているわけです。ボクにはある意味関係のないことなのです。

 しかし、そのときのボクは、そこを掃除しておくことに決めたのです。近くにトイレがあったので、そこのトイレットペーパーを使えばすぐにきれいになりそうです。実際に実行に移してみると、ほんの1、2分できれいになりました。これで何か安心できました。というのは、掃除担当の人がすぐに来てくれるとは限らないし、その間は、床が汚れたままです。そうしたら、このあとATMを使いに来た人は、床の汚れを見て嫌な思いをすることでしょう。それを想像したら、今ボクができることをすぐにしたほうがいいと考えたのです。

 みなさんも、自分がやったことではないけど、自分がすればすぐに終わるような後始末をする機会があったら、実行に移してみてください。とても気持ちがいいですよ。


【瀧口 純二 2013年1月31日】

夫婦の葛藤のパターン

自己成長のためのジャーナルとして書こうと思います。


アドラー心理学の考えの道筋で書いています。

用語もアドラー心理学をご存知じゃない方はわかりにくいと思いますが、

その辺は、ジャーナルということで、お許しください。


昨日、夫の言動に対して、ムカッとすることがありました。


反射的に「なんなんよ!」と言いました。


そして言った後、自分を客観視する自分ができました。

私、陰性感情を感じた途端、なんと素早い対処行動・・・

自分でもびっくりでした。

恥ずかしい~


自分を観察して、ここからは理性で対応しようと決めました。


その後、夫からの反撃があったのですが・・・

これに乗っちゃうと、葛藤になってしまうのが明白だったので、

言ってすっきりしたい気持ちはあったのですが・・・

アドレリアンなんだからと、ぐっとがまんしました。


半日かけて、いろいろ考えた結果、実感したことは・・・


恥ずかしながら、陰性感情を感じているときの私は、ろくなことを考えないものだということ。

一応解決策を考えてたつもりなのに・・・

後で思い返してみると、

なんと、自分を守ることだけを目的にして、優しさのかけらもなかったり、

正論ではあっても、相手に対しての配慮がなかったり・・・

私って、自分が大事なんだなあって、つくづく自分の小ささを実感。


本当に、うっかり夫の葛藤への誘いに乗って、変なことを言わなくてよかったなって思ったのでした。


夫の仮想的目標を推測してみました。

「自分は大切に扱われるべきだ」かな・・・


私はいい加減な扱いをしてるつもりはさらさら無いのだけれど、

彼は、ちょっとしたことで、すぐに劣等の位置に落ちてしまうようです。

(もちろんこれも私の主観です。)


そして対処行動としてその陰性感情(怒り)をぶつけてくるから、

そこに私がつい反応してしまうというのが、いつもの夫婦のパターンのようです。


私の仮想的目標も同じなので、

彼の対処行動によって、私もひどい扱いを受けてる気がして劣等の位置に落ちます。


でも、そこで、葛藤になってしまっても何もいいことはないので、

二人とも、求めてることは同じなんよね~と思い、

もう水に流そうって思うことにします。


そして、私の幸せのために私はどうしたらいいかではなく、

二人の幸せのために私はどうしたらいいか、を、

いかなる時も、考えるようにする・・・


それは、陰性感情が無くなったら簡単にできること。

だから、私の場合は、陰性感情があるときは、ただ、ひたすら時を待つということかな。


【H.M(和歌山)2013年3月4日】