2019年6月アーカイブ

アドラー心理学本番を迎える

このゴールデンウィークは、そんなに遠くには家族で行かないけど、日帰りできるような場所に車で行って楽しい時間を過ごそうということになった。妻が朝少し早起きをしてお弁当をつくる。その日は天気もすっかり回復し、県北部の八幡湿原に行くことにした。1時間半ほどで目的地に到着し、草原の木陰の下でお弁当を広げて食べた。

帰り際、隣でやはりピクニックをしていた家族がいて、えんは、その見知らぬ家族のところに行き、バドミントンのラケットを借りて遊び始めた。突然その家族のところに入っていったので、その家族も少し戸惑っているようだったが、笑顔で迎え入れてくれた。よくあることだ。えんは、「人類みなお友達」というような感じで、まったく遠慮することなく、以前からの知人のように入っていった。ある意味、周囲と境界をつくらないということはいいことだと思っているが、こちらの方は、迷惑じゃないかといつもひやひやである。

そして、ずいぶん時間がたったのだが、えんは夢中である。ぼくが「もう帰ろう」と何回言っても、「いやだ」と言って強く拒否する。相手の家族も気を遣ってくれている。最終的にはぼくが無理やり、抱きかかえて車の中に押し込むというような感じになってしまった。このようなことは繰り返されている。

帰りの車の中で、「なにか気になるなあ」と思った。妻に「こんなピクニック、続けてもえんの教育にとってあまり意味がないんじゃないかなあ、家族(ぼくや妻)は自分に奉仕してくれて当たり前と思ってるんじゃないかあ。だから、なにか家族でするときは、意識してえんにきちんと役割を与えて、家族のために貢献してもらうようにしたらいいんじゃないかなあ」と言った。妻はすぐに理解し同意してくれた。

さっそく家について車を降りるときからこれを実行してみることにした。「えんちゃん、このピクニックのシートをうちまで運んでくれないかな」とぼく。彼女にはちょうどいい大きさと軽さだ。いままでは妻かぼくが運んでいたのだが、方針変更だ。えんはうれしそうに「いいよ」と言って引き受けてくれた。そして、家のドアのところまで、先頭に立って運んでくれた。まだ身長が95cmしかないえんだが、頼もしい姿だ。ドアの鍵を開けるのも、彼女の仕事だ。

その日はついでに風呂掃除も頼んでみた。えんはすぐに風呂に行き、ぼくと一緒に風呂磨きが開始された。えんは浴槽の中をゴシゴシ、ぼくが外のタイルをゴシゴシ。ほんの10分程度で終わった。ぼくが軽く「ありがとうね」と言うと、これは予想外だったのだが、にこにこしながら「ありがとうございました」とえん。この声があまりにも大きかったので妻もびっくりしたようだ。「あなたのえんへの働きかけの変化で、えんは突然変わったね」と妻。いままで、特に仕事がある日は、忙しくてえんができる仕事もぼくが手っ取り早くやってしまっていたのだが、これを反省。彼女はもう3歳と10ヶ月。ほぼ大人の話す言葉を理解できるようになったと感じる。表現力はまだまだだけど。

これからがアドラー心理学本番だ。彼女自身の課題については、「・・をお手伝いしようか、それとも自分でやりますか」と言うようにした。こちらの働きかけの変化によって、相手は即座に変わる。これは学校教育でも学んだことだ。


【瀧口純二 2019年5月】