仲間の最近のブログ記事
新入生、新入社員、新学期、新年度・・・「新」が付くにふさわしい清々しい活気が街中のそこかしこにあふれています。
我が家の娘もこの春新入生になりました。
児童から生徒へ、親にとっては子どもの成長をいっそう眩しく感じる瞬間でもあります。
喜びにあふれる反面、新たなタスク・・・お弁当。
一つだったお弁当作りが二つに増量。
娘の出発時間が早いので、今までよりさらに早く起床せねばというオマケ付き。
本音は1分でも惰眠を貪りたいおナマケ母はひぃひぃしながら毎朝お弁当作りに勤しんでいます。
思春期真っ只中の我が家の子ども達。
特に娘はお年頃女子典型的パターンで日々アタックしてきます。
朝起こせば 「起きてるっ!!」(いや、だって布団の中だし)
忘れ物はないのか聞けば 「わかってるっ!!」(いや、だってここに提出物あるし)
今日の予定を確認すれば 「知ってるっ!!」(いや、だってこの前忘れたし)
この世の面白くない事象は全てお母さんのせい!的な勢いでバシバシ言動を繰り出されると、時々「私ってなんなんだろうな・・・」と虚しくなってくることがあります。
毎日誰も起きてないうちに起きだして、ご飯作って、食べた後片付けて、買い物して、掃除して、仕事もして、それで不機嫌に当たられて・・・私この繰り返しじゃない、いったい何をやってるんだろう・・・って。私っている意味があるのかな・・・なんて。
ある日、子ども達が持ち帰ったお弁当箱を洗おうと何気なく手に取ったとき、ご飯の一粒もなくきれいに空になったお弁当箱であることに気がつきました。
「ああ、残さず食べたんだ」
・・・そういえば、お弁当箱、いつもきれいだな。
・・・お弁当は絶対に忘れないで持って行くよな。
そう気づいたら、娘が一生懸命お弁当を食べる姿が目に浮かんできました。
『お母さんのお弁当、チョ~楽しみ!』と娘が思っているとまで想像するのは欲張りというもの。でも私のお弁当はペコペコの成長期のお腹を満たしてあげられてるのかな・・・空っぽってことは美味しく食べてくれてるのかな・・・と思えたら、何だかとても幸せな気持ちになりました。
アドラーは健康なパーソナリティの条件に「貢献感」をあげています。
人は皆に助けられて生きていれば良いのではなく、人から助けられると同時に自分自身も他の人達を助けなければと感じていなければなりません。
幸福の条件、健康の条件として自分が他の人に役立つこと、または役立つことができると感じられていることが必要だと述べているのです。
図らずも娘のお弁当作りはそんなアドラー心理学の一面を体験させてくれる、私にとってとても素敵なお仕事になりました。
自分が貢献していると感じられることをどれだけたくさん発見できるか、そこに幸せを生きる種があるのだと思います。どんなに小さな種でもいいのです。私も自分の幸せの種をたくさん見つけて、これからの道にたくさん撒こうと思っています。
かくして、おナマケ母は空っぽのキレイなお弁当箱に勇気づけられ、今日も早起きしてお弁当作りに励むのです♪
参考文献:『アドラー人生を生き抜く心理学』(NHKブックス/岸見一郎)
*早稲田アドラー心理学研究会HP http://adlernews.wordpress.com/ 「アドラーカフェ」より転載
【伊澤 幸代 2013年5月1日】
あ~、おわった~、というのが今の正直な私のこころうち。
思えば長い長い不登校(園)でした。(笑)
先ほど、金曜日恒例の「安田タクロウ」さんの路上ライブから帰ってきた三男と話をしました。
というのも帰宅した彼の手には紙袋があったので、どなたからか卒業のお祝いでも頂いのかな?と思ったからでした。
聴いてみると中学のサポートルーム(教室に入れない生徒のための教室)でお世話になった先生が今日の卒業式で渡せなかったからと、持ってきてくださったようです。
毎週のように路上ライブに行っていることも場所も時間もわかってくださっているのは息子との会話があるから、と思うとそれだけでなんだか嬉しくなりました。
また、声に出して手紙を読んでくれたのでその内容から、息子のことを理解してくださって今後のことを応援してくれていること、本当にありがたく思いました。
その上、手紙の中に先生も三男も好きな言葉、として
「他人や過去は変えれないけれど、自分や未来は変えることができる」というのもあって「変わるのは自分」を座右の銘のように暮らしてきた私のこの数年間を理解してくれたようにも思い、嬉しかったです。
その後もいろいろな話をしたのですが、その中で「不登校児のお母さんでいるの、長かった~。でも病気にもならず明るいお母さんだったでしょ。これはアドラーのおかげなんだけれどさ。」と胸を張って威張ってみました。
更に「前にも言ったけれど、家にいる時間が多かった分、あなたとは本当によく歩きながら話をしたよね。もし寮のある高校(この選択肢もあってかなり悩み、結局自宅から通う高校へ進学します)へ行っても、始めは寂しいけれど悔いなく送り出せたと思うよ。結局は自宅から通うことになったけどね。」
「うん、そういえば本当によく歩いたね。でも明るいお母さんと一緒にいて楽しかったよ。ありがとうね。」
思春期の、なんだかわけわからない、私にとっては余り心地良くない時期もありましたが、受験に合格してからというもの、落ち着いた感があります。
そして、1日中一緒にいてもOKな友人(男の子ですよ)と過ごす時間も増え、ギターを抱える時間も増え、まさに♪おとなのかいだんのぼる~♪の進行形だな、と思うこの頃です。
先日同世代のアドラー仲間と「私たちの今後」について話をしました。
息子たちが巣立っていく母、としての、女性、としての今後。
新しい春がやってくるのかな、そんなことを思わせる卒業式の夜です。
【N.K(三重)2013年3月8日】
私のような養護教諭の仕事は、人の話を聞くことが多いが、ある日の昼休み保健室にやってきた生徒たちに、「今日は、私の相談きいてくれる?」と尋ねてみた。すると、「かまんよ。きいたる」というOKをもらったので相談にのってもらうことにした。
「彼氏が欲しいし、結婚もしたいけどできんの。どうしたらいい?」という悩みを相談した。すると生徒から、まず「先生、自分のいいところ言ってみて」という質問。ちょっとはずかしいなあと思いながら、二つくらい言うと、何人かが私のいいところと思うところをいくつか付け加えてくれる。
次は、「先生、どんな人が好きなん?」という質問。私の星座や血液型まで聞いてくれたり、最初からのそんなやりとりをカウンセラーふうにメモをしてくれる生徒。生徒たちに人気の占いの本も活用して、私のことを一生懸命理解しようと、そして勇気づけようとしてくれる姿。
結局、「日本中、あちこち行きまくれ」というアドバイスと「あきらめない。ハートを強くして」と自分の胸をたたきながら励ましてくれた。
その後も、私の相談は続き3つ目でチャイムが鳴り時間切れ。保健室を出て行く時に、その中の一人の生徒が「先生、幸せやね」と。「ほんまにほんまに私は幸せやわ」と答える私。
生徒たちがなんとか力になりたいと、思考しながら真摯に向き合ってくれる彼らに勇気と幸せをもらったある日の保健室の昼休みだった。
【S.K(三重) 2013年2月】
先週の火曜日に、知人が遊びに来てくださって、そこでいろんな話を聴いてもらったり、息子と遊んでもらったり。
そういうのを受けて、私ももっと主体的に生きたい!と思って、気持ちが少しだけ上に向いてきました。
日曜日の車の中のやり取りでも思ったけど、(これが、仲間なんだなあ~)っていう感覚なんだなって、実感が少しずつ。
自分の意識を変えてそれに伴って行動を変えると、周りの人の対応も変わってきて、私の周りでは、特に息子の変化が顕著です。
そして、いかに私の対応で息子が影響されるのか・・・というのも身に染みて感じてます。
その変化を感じられるエピソード。
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お風呂に私と息子と娘で三人で入っている時のこと。
息子は、できる部分は自分でやってできない部分は私に頼んでくれて、それで頭や顔を洗ったり、体を洗ったりしています。
その間に私は自分の番を終わらせ、娘の頭を洗ったり。
娘は数か月前から、突然、頭からじゃーっとシャワーをかけるのを嫌がるようになり、同じ頃から、歯磨きでもゴロンとして~というとゴロンとしてくれるようになったので、頭を洗う時は美容院スタイルでゴロンとしてもらって洗います。
ただ、最近、いやいやらしき泣きが増えて、この時も頭を洗われるのが嫌なのか、頭を左右にぶんぶんさせてました。
一日のうちでも泣いて何か要求することが増えてきて、私は思いつくまま可能性を探る感じでいろいろ聞いたりするのだけど、それがヒットしないときは結構長く泣いたりして。
この日もそんな日で、ちょっとだけそういうのに、一日の終わりということもあってうんざりしていたのです。
私(ちょっとイライラ)「(娘)ちゃん、頭洗うんだよ~。もう何やってるの~」
(たぶんじゃっかん怒りながら)
息子(息子が頭をあわあわさせながら)「おかあさん。その言い方は良い言い方?悪い言い方?」
私(一瞬何を言われているのかわからなくて、でも、はっとして(おぉ~息子がこんなこと私にちゃんと言ってくれるようになったの~。嬉しいなぁ。)と思いつつ、)
「そうだね。この言い方は良い言い方じゃなかったね!(息子)くん、教えてくれてありがとう。お母さん失敗しちゃったね。」
息子(頭を洗いながら、にかっとちょっとふざけた口調で)「そうだよー。おかあさん、しっぱいだよ~(ニコニコ)」
私「そうだね~。(娘)ちゃん、ごめんなさい。おかあさん言い方よくなかったね。頭洗うから上向いててくれないかな~?」
娘(頭を上に向けて洗いやすくしてくれた)
私(娘の頭を洗いながら)「(息子)くん、お母さん失敗したとき優しく教えてくれてありがとね!お母さん助かったよ!(息子)くんそんな風に言えるようになるまで成長したんだねぇ。お母さんそっちも嬉しいな!」
息子(嬉しそうに)「そうだよ、(息子の名前)もう4歳だもん!」(←今月お誕生月だから結構これが最近の彼のブーム)
私「そうだねっ!」
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一瞬空気が悪くなったけど、息子の問いかけではっとして空気がよいほうに変化して、一人の「人」として歩んでいる息子に本当感動しました。まぁ、この聴き方は私が息子にたまにやっているわけだけど、息子の聴き方は全然嫌味とか陰性感情とか感じられなくて、これが「対等」ってことなんだなぁと感じて。
また、私が息子に「ありがとう。」と言った時の息子の表情がとても嬉しそうで。
あ~この感じ忘れないように心に刻んどかなきゃと強く思いました。
【M.I(埼玉) 2012年10月25日】
今週の水曜日は東京の西の自助グループの例会があった。
随分遠くから来てくださった古いアドレリアンの先輩や生まれたてほやほやの赤ちゃんやご夫婦連れの方や、お母さんたちやらお父さんたちやらと年齢層も職業もばらばらで、いろんなひとが関ってくださることが大変ありがたいなあと思う。
こうやっていろんな人々がアドラー心理学を学ぶという1点で繋がって、月に一度集まっているというのは、とてもすごいことなんだろなあと思う。
この集まる場があることで、この地に少しでもアドラー心理学が根付いてくれたらいいなあと思っている。日本アドラー心理学会が大きな木の幹だとしたら私たち自助グループはその幹から伸びている枝であったり一つの小さな葉っぱであるに過ぎないのかもしれないなあと思う。
幹がなくなると枝や葉っぱは消えてしまうのだろう。
アドラー心理学の木を残せたらいいなあと思う。
【松本 春代 2010年11月19日】