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命令しても横の関係

じ、時間がない~!!! 
家事能力の低い私は、来客の時間までに家を掃除するのがとても苦手です。

あと1時間でお客様が来る~! 
なのに家は滅茶苦茶、おたまちゃんは授乳しろと泣いている
あぁぁぁ~ヘルプミー!!

非常事態宣言

「Dちゃん!Hちゃん!!ちょっと来て!!!」 
二人の手を取り、円陣を組む。 
いつにない真剣な眼差しで、 
「あと1時間でおじいちゃん、おばあちゃんが来ます! 
なのに、見ての通り、家はめちゃくちゃ散らかっています!! 
しかも、ママはおたまちゃんに今からオッパイをあげなくてはいけません!! DちゃんとHちゃんの力を貸してもらえますか?! 
ママをお掃除隊長にして、二人はママの命令に従ってくれませんか?! 
厳しくテキパキ命令しますが、今から1時間、聞いてくれますか?!」
ド迫力で二人に懇願すると、 

H「いいよ。」 
D「・・・。」 
私「Dちゃん、いいかな?」 
D「いつも聞いてるやん。」 
私「いつもより厳しい命令口調でビシバシ色んなことをお願いしても良いですか?非常事態なので!」 
D「分かった。」

私「ではさっそく、(おたまちゃんにオッパイをあげながら)Hちゃん、これ燃えるごみです。捨ててきて!」 
H「分かった!!」 
私「Dちゃん、おもちゃ片付けて」 
D「うん!!」

・・・30分後 
見違えるように片付いた我が家 
二人の手を握り、3人で輪になって喜びのダンス~!! 
「やった~!!キレイ!!キレイ!♪綺麗になった~!!」 
「お掃除隊任務完了!!お疲れ様でした~!!二人のお陰です!
これにてママはお掃除隊長をやめます。あとは好きにして下さい。」 
「わ~い!!」

パセージで禁じられている命令口調を使ったけれど、皆とっても仲良し。 
だって、これは横の関係なんです。


【日浦 知子 2016年3月28日】

両親

今日なーんとなく、運転中ぼんやりと思った。 



私は今、命を生かそうと毎日自分なりに燃えている。 

ずっと命を無為にして生きてきたから、 

残念ながら賢さや根性や謙虚に感謝する気持ちやその他もろもろの積み上げがない。 

その分とっても苦労するし、失敗も多い。 

でも、とても楽しい。 



20年前、脳神経外科の待合室で父に、 

俺は子育てに失敗した。おまえには悪いことをした・・・ 

と告げられたことがある。 


その言葉が、ずっとずーっと悲しかった。 

私は失敗作なんだなー・・・と。 


どうして自分の人生にはあんなことがあったんだろう。 

どうしてあの人はあんなことを私に言ったんだろう。 

どうしてあの人はあんなことを私にしたんだろう。 

どうしてわたしはできなかったんだろう。 


してほしくなかった、あってほしくなかったことがたくさんあって、 

そりゃ父の言う通り失敗作もできあがるよな。 

そんな風にも思っていた。 


でも今思うと、 

父の言葉は、 

どうして娘にあんなことをしてしまったんだろう。 

どうしてあんなこと言ってしまったんだろう。 

どうして気付いてやれなかったんだろう。 

娘に苦しい遠回りをさせてしまった・・・ 

そんな悔恨の言葉なのかもしれない。 


私は今娘と出会えて、 

アドラー心理学に出会えて、 

アドラー心理学を学ぶ仲間に出会えて、 

くじけまくっていた昔の日々を埋めるように少ーしずつ前に進んでいる。 

本当に、この出会いたちに感謝しているんだけど、 



やっぱりそこで思うのは。 



アドラー心理学って素晴らしいなぁ! 

私も私のやり方で世の中の幸せにできることをして役に立ちたい! 

世の中に背を向けて月日が経つのを待つだけの失敗作の役立たずのままは嫌だ! 


そう思える自分に育ててくれたのは両親なんだよな。 


両親の子育ては、絶対失敗なんかじゃない。 

ちゃんと、大切なことを私に与えてくれたもの。 


アドラー心理学に響く健康な心を育ててくれたもの。 


すごいよなぁ・・・両親。 

アドラー心理学も知らないのにさ。 

沢山苦労して沢山守ってくれて、私を親になれるまで育ててくれた。 


沢山悲しませて沢山傷つけて、復讐し続けて、 

ほんとうに申し訳なかったな。 



私は今、命を生かそうと毎日自分なりに燃えている。 

どうして、と過去を嘆くことを止めて、 

過去もまるごと、本当にありがたいことばかりの人生だと思っている。 


両親は老いて、会うたび小さくなってる。 

私を本当に心配して、 

本当に大切に思ってくれ、 

とことん無償の愛を与えてくれる最後の人々。 



どうして運転中にそんなことを思ったのかわからないけど、 

両親に感謝でいっぱいになった。 

いろいろな想いで胸が苦しくなった。 

両親がくれた宝物が、私を生かすすべての原点。 


彼らが生きてるうちにこんなふうに思えたことがありがたい。 

本当にありがたいなぁ。。。 


【久郷 緑 2014年9月29日 】

きょうのおかーさん

先日朝の情報番組で若田光一さんがご出演されているトークを拝見したのだけど、
宇宙空間でも仕事をする上で大事なのは、「仕事をする仲間とのコミュニケーション」というのがわたしの中でとても印象に残りました。

アドラー心理学では、人間の究極の目標は居場所を見つけること、所属すること。
と言っています。対人関係はどこへ行っても切っても切れない事柄で、とても大切なことなんだな、とお話を聞いて感じました。


今年の夏休みは、子どももそうだけど、私も普段よりやることは増えている事実は否めませんが、気持ちをいつも以上にゆるゆる緩めて、親子関係の構築に焦点を当てて過ごしています。

人は「仲間」と思っている人の話には耳を傾けようと思うけど、「敵」と思っている、もしくは仲間じゃないと感じる人の話はたとえ正しくても聞かない、聞けないと思うんです。

だから、親子関係で大事なのは「仲間」と思ってもらうことだと思うんだけど、
パセージのテキストで言うと、

1-L.子育ての二種類の目標
〈子育ての心理面の目標〉
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。

と、

4-L.子どもの不適切な行動にどう対処するか
2.不適切な行動に注目を与えない
3.適切な行動をしたとき、正の注目を与える

を重点的に意識してます。

子どもたちにも、お母さん怒らない宣言(それは、子どもの機嫌をとるのではなく、陰性感情を使って接することをやめることです)と、怒っていたら教えてね~とお願いをしたのですが、最近は子どもたちに今日のお母さんがどうだったか、寝る前の時間で教えてもらっています(笑)

「きょうのおかあさんは、100てんだったね!」
「200てんめざしてね!」
「きょうは~、50てんだったよ!」

陰性感情は、「怒り」だけじゃなくて、「不安」とか「後悔」とか「焦り」とかも入るのだけど、私としては困ってどうしたらいいかわからなくて陰性感情を使って対応しちゃったかな...?と思った出来事も子どもたちにとってはそうでなかったり、許してくれたりして、どう感じたか聞けるのは私としてもありがたいな!と思っています。

そのお話の流れで、「おかーさん、ちゅういするときは"ちゅうい!"ってさきにいってね!」とリクエストもありました。

失敗して後戻りしながら少しずつ前に進んでいける夏休みにしたいです。

追記:昨晩は、200点をもらいました(笑)イライラしたこともあったので不思議で「どうして~?」と聞いてみたら、「怒ったときは怒ったとちゃんと言ってたし、注意するときはちゃんと注意!って言ってたから!」とのこと。子どもは本当に懐が広いですね。

注意するときに、先に、「注意!」って言ったら子どもたちは、楽しそうに笑って、言ったことが入っていっているのを感じました。怒らなくても叱らなくても伝わるんだなぁと思った出来事でした。


【池野 麻矢 2014年8月11日】

お父さんは淋しい

ひっさしぶりのエピソード投稿です(^_^;)

若かった(バカかった?)僕も42歳になり、
2児のパパになりました。

10月末まで休職期間をいただいているので、
4歳の息子、2歳の娘の成長を毎日観ることができ、
幸せな毎日を送っています。

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つい先日のこと。
妻が息子の奏葉(かなは)に向かって、
珍しく強い口調で注意している声が聞こえました。
(妻はアドラー心理学を学んでいませんが、
 子どもへの接し方を見ていると 「アドレリアンだ~!」と思うことがよくあります)

妻:奏葉!ちょっと、またなめてる!やめなさい!
僕:ん?どしたの?
妻:ああ、あのね、そこに古い壁があるでしょ?
  なんでか分からないけど、
  その壁をペロペロなめてたのよ。
  前にも同じことがあって、
  汚いからやめなさいって言ったんだけどね...。
僕:そっかあ。注目してほしいのかなあ。
妻:う~ん、そうなんだろうね~。

このとき僕は、
「奏葉は、お母さんの注目・感心をひきたいんだろうなあ」
と思っていました。
妻が最近、
「ばたばたしてて、奏葉の話をゆっくり聞いてあげてないなあ」
って言っていたからです。

______________

それから間もなくして、
奏葉がこんなことを言っていたと、妻から聞きました。

「奏葉ね、お母さんは大好きだけど、お父さんは淋しい。」

どういう意味だか分からなかったけれど、
なんだか胸にちくりと刺さりました。

僕:どういうことだろう?
妻:最近、あなたが出かけていることが多いでしょう?
  奏葉ね、「お父さんは今日もお出かけなの?」
  「お父さん、まだ帰ってこないのかな?」って、
  何度も言ってるのよ。だから、
  「お父さんと遊べなくて淋しい」って
  言いたいんじゃないかな。

このとき、ハッとしました。
「もしかして、注目してほしいのは妻じゃなくて、
 僕の方だったのかも?!」

そこで、奏葉に聞いてみました。
奏葉は「開いた質問」で聞くと、
僕に気を遣ってか、
思っていることと違うことを言うことがあるので、
「閉じた質問」で推量してみました。

僕:ねえ奏葉、もしかして、淋しくなっちゃったから
  壁をペロペロしたの?
奏:(即答)うん。
僕:そっかあ。もしかして、お父さんがお出かけしてると淋しいの?
奏:うん。奏葉ね、お父さんがお出かけしてて淋しいから、
  壁をペロペロしちゃったの。
僕:...そうだったのか...!
  奏葉、ゴメンね。全然気がつかなかった。

僕は本当に切なくなって、
奏葉をぎゅっと抱きしめました。

僕:奏葉、もし、淋しくなっちゃったときは、
  お父さんに「淋しい」って言ってくれる?
奏:うん。

_________________________

それからというもの、
奏葉が僕にすうっと近づいてきて、
「お父さん、淋しくなっちゃった」と
言ってくれるようになりました。

壁をなめることも、なくなりました。

そして、昨日。

奏葉が、何も言わずにゆっくり近づいてきて、
僕の胸にぎゅっと抱きついてきました。
これまでは、
「奏葉、おいで。抱っこしよう。」と言って
両手を広げても、照れ笑いをして、
逃げていた奏葉。

奏葉の方から抱きついてくるなんて、
生まれて初めてのことでした。
僕は、嬉しくて、奏葉を抱きしめました。
そして、
「ああ、こんなに小さな子に、
 ずっと気を遣わせていたんだなあ...」
と、胸が痛くなりました。

僕:奏葉。淋しい思いをさせて、ごめんね。
奏:うん。

その後2人で、
何も言わずにしばらく抱き合っていました。
とっても幸せな時間でした。


【河原木 孝浩 2014年8月6日】

私とお弁当

木々が芽吹き緑の美しい季節がやってきました。

新入生、新入社員、新学期、新年度・・・「新」が付くにふさわしい清々しい活気が街中のそこかしこにあふれています。

我が家の娘もこの春新入生になりました。

児童から生徒へ、親にとっては子どもの成長をいっそう眩しく感じる瞬間でもあります。

喜びにあふれる反面、新たなタスク・・・お弁当。

一つだったお弁当作りが二つに増量。

娘の出発時間が早いので、今までよりさらに早く起床せねばというオマケ付き。

本音は1分でも惰眠を貪りたいおナマケ母はひぃひぃしながら毎朝お弁当作りに勤しんでいます。

思春期真っ只中の我が家の子ども達。

特に娘はお年頃女子典型的パターンで日々アタックしてきます。

朝起こせば 「起きてるっ!!」(いや、だって布団の中だし)

忘れ物はないのか聞けば 「わかってるっ!!」(いや、だってここに提出物あるし)

今日の予定を確認すれば 「知ってるっ!!」(いや、だってこの前忘れたし)

この世の面白くない事象は全てお母さんのせい!的な勢いでバシバシ言動を繰り出されると、時々「私ってなんなんだろうな・・・」と虚しくなってくることがあります。

毎日誰も起きてないうちに起きだして、ご飯作って、食べた後片付けて、買い物して、掃除して、仕事もして、それで不機嫌に当たられて・・・私この繰り返しじゃない、いったい何をやってるんだろう・・・って。私っている意味があるのかな・・・なんて。

ある日、子ども達が持ち帰ったお弁当箱を洗おうと何気なく手に取ったとき、ご飯の一粒もなくきれいに空になったお弁当箱であることに気がつきました。

「ああ、残さず食べたんだ」

・・・そういえば、お弁当箱、いつもきれいだな。

・・・お弁当は絶対に忘れないで持って行くよな。

そう気づいたら、娘が一生懸命お弁当を食べる姿が目に浮かんできました。

『お母さんのお弁当、チョ~楽しみ!』と娘が思っているとまで想像するのは欲張りというもの。でも私のお弁当はペコペコの成長期のお腹を満たしてあげられてるのかな・・・空っぽってことは美味しく食べてくれてるのかな・・・と思えたら、何だかとても幸せな気持ちになりました。

アドラーは健康なパーソナリティの条件に「貢献感」をあげています。

人は皆に助けられて生きていれば良いのではなく、人から助けられると同時に自分自身も他の人達を助けなければと感じていなければなりません。

幸福の条件、健康の条件として自分が他の人に役立つこと、または役立つことができると感じられていることが必要だと述べているのです。

図らずも娘のお弁当作りはそんなアドラー心理学の一面を体験させてくれる、私にとってとても素敵なお仕事になりました。

自分が貢献していると感じられることをどれだけたくさん発見できるか、そこに幸せを生きる種があるのだと思います。どんなに小さな種でもいいのです。私も自分の幸せの種をたくさん見つけて、これからの道にたくさん撒こうと思っています。

かくして、おナマケ母は空っぽのキレイなお弁当箱に勇気づけられ、今日も早起きしてお弁当作りに励むのです♪

参考文献:『アドラー人生を生き抜く心理学』(NHKブックス/岸見一郎)


*早稲田アドラー心理学研究会HP http://adlernews.wordpress.com/ 「アドラーカフェ」より転載


【伊澤 幸代 2013年5月1日】

新しい春

3月8日、今日は三男の中学校の卒業式でした。
あ~、おわった~、というのが今の正直な私のこころうち。

思えば長い長い不登校(園)でした。(笑)


先ほど、金曜日恒例の「安田タクロウ」さんの路上ライブから帰ってきた三男と話をしました。
というのも帰宅した彼の手には紙袋があったので、どなたからか卒業のお祝いでも頂いのかな?と思ったからでした。
聴いてみると中学のサポートルーム(教室に入れない生徒のための教室)でお世話になった先生が今日の卒業式で渡せなかったからと、持ってきてくださったようです。
毎週のように路上ライブに行っていることも場所も時間もわかってくださっているのは息子との会話があるから、と思うとそれだけでなんだか嬉しくなりました。
また、声に出して手紙を読んでくれたのでその内容から、息子のことを理解してくださって今後のことを応援してくれていること、本当にありがたく思いました。
その上、手紙の中に先生も三男も好きな言葉、として
「他人や過去は変えれないけれど、自分や未来は変えることができる」というのもあって「変わるのは自分」を座右の銘のように暮らしてきた私のこの数年間を理解してくれたようにも思い、嬉しかったです。

その後もいろいろな話をしたのですが、その中で「不登校児のお母さんでいるの、長かった~。でも病気にもならず明るいお母さんだったでしょ。これはアドラーのおかげなんだけれどさ。」と胸を張って威張ってみました。
更に「前にも言ったけれど、家にいる時間が多かった分、あなたとは本当によく歩きながら話をしたよね。もし寮のある高校(この選択肢もあってかなり悩み、結局自宅から通う高校へ進学します)へ行っても、始めは寂しいけれど悔いなく送り出せたと思うよ。結局は自宅から通うことになったけどね。」
「うん、そういえば本当によく歩いたね。でも明るいお母さんと一緒にいて楽しかったよ。ありがとうね。」

思春期の、なんだかわけわからない、私にとっては余り心地良くない時期もありましたが、受験に合格してからというもの、落ち着いた感があります。
そして、1日中一緒にいてもOKな友人(男の子ですよ)と過ごす時間も増え、ギターを抱える時間も増え、まさに♪おとなのかいだんのぼる~♪の進行形だな、と思うこの頃です。

先日同世代のアドラー仲間と「私たちの今後」について話をしました。
息子たちが巣立っていく母、としての、女性、としての今後。

新しい春がやってくるのかな、そんなことを思わせる卒業式の夜です。


【N.K(三重)2013年3月8日】
 2月です。三学期もちょうど半分、今年度の修了まで後1カ月余りとなってしまい、あせる気持ちと、1日1日を大切にしようという思いが重なる毎日です。そんな中での保健室での話をひとつ。


私のような養護教諭の仕事は、人の話を聞くことが多いが、ある日の昼休み保健室にやってきた生徒たちに、「今日は、私の相談きいてくれる?」と尋ねてみた。すると、「かまんよ。きいたる」というOKをもらったので相談にのってもらうことにした。

「彼氏が欲しいし、結婚もしたいけどできんの。どうしたらいい?」という悩みを相談した。すると生徒から、まず「先生、自分のいいところ言ってみて」という質問。ちょっとはずかしいなあと思いながら、二つくらい言うと、何人かが私のいいところと思うところをいくつか付け加えてくれる。

次は、「先生、どんな人が好きなん?」という質問。私の星座や血液型まで聞いてくれたり、最初からのそんなやりとりをカウンセラーふうにメモをしてくれる生徒。生徒たちに人気の占いの本も活用して、私のことを一生懸命理解しようと、そして勇気づけようとしてくれる姿。

結局、「日本中、あちこち行きまくれ」というアドバイスと「あきらめない。ハートを強くして」と自分の胸をたたきながら励ましてくれた。

その後も、私の相談は続き3つ目でチャイムが鳴り時間切れ。保健室を出て行く時に、その中の一人の生徒が「先生、幸せやね」と。「ほんまにほんまに私は幸せやわ」と答える私。

生徒たちがなんとか力になりたいと、思考しながら真摯に向き合ってくれる彼らに勇気と幸せをもらったある日の保健室の昼休みだった。 


【S.K(三重) 2013年2月】

ちょっとずつ上向きに。

 先週の火曜日に、知人が遊びに来てくださって、そこでいろんな話を聴いてもらったり、息子と遊んでもらったり。
 そういうのを受けて、私ももっと主体的に生きたい!と思って、気持ちが少しだけ上に向いてきました。

 日曜日の車の中のやり取りでも思ったけど、(これが、仲間なんだなあ~)っていう感覚なんだなって、実感が少しずつ。

 自分の意識を変えてそれに伴って行動を変えると、周りの人の対応も変わってきて、私の周りでは、特に息子の変化が顕著です。
 そして、いかに私の対応で息子が影響されるのか・・・というのも身に染みて感じてます。

 
 その変化を感じられるエピソード。
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 お風呂に私と息子と娘で三人で入っている時のこと。
 
 息子は、できる部分は自分でやってできない部分は私に頼んでくれて、それで頭や顔を洗ったり、体を洗ったりしています。
 その間に私は自分の番を終わらせ、娘の頭を洗ったり。
 
 娘は数か月前から、突然、頭からじゃーっとシャワーをかけるのを嫌がるようになり、同じ頃から、歯磨きでもゴロンとして~というとゴロンとしてくれるようになったので、頭を洗う時は美容院スタイルでゴロンとしてもらって洗います。
 
 ただ、最近、いやいやらしき泣きが増えて、この時も頭を洗われるのが嫌なのか、頭を左右にぶんぶんさせてました。
 
 一日のうちでも泣いて何か要求することが増えてきて、私は思いつくまま可能性を探る感じでいろいろ聞いたりするのだけど、それがヒットしないときは結構長く泣いたりして。

 この日もそんな日で、ちょっとだけそういうのに、一日の終わりということもあってうんざりしていたのです。
 
 私(ちょっとイライラ)「(娘)ちゃん、頭洗うんだよ~。もう何やってるの~」
 (たぶんじゃっかん怒りながら)
 
 息子(息子が頭をあわあわさせながら)「おかあさん。その言い方は良い言い方?悪い言い方?」

 私(一瞬何を言われているのかわからなくて、でも、はっとして(おぉ~息子がこんなこと私にちゃんと言ってくれるようになったの~。嬉しいなぁ。)と思いつつ、)
 「そうだね。この言い方は良い言い方じゃなかったね!(息子)くん、教えてくれてありがとう。お母さん失敗しちゃったね。」
 
 息子(頭を洗いながら、にかっとちょっとふざけた口調で)「そうだよー。おかあさん、しっぱいだよ~(ニコニコ)」

 私「そうだね~。(娘)ちゃん、ごめんなさい。おかあさん言い方よくなかったね。頭洗うから上向いててくれないかな~?」

 娘(頭を上に向けて洗いやすくしてくれた)
 
 私(娘の頭を洗いながら)「(息子)くん、お母さん失敗したとき優しく教えてくれてありがとね!お母さん助かったよ!(息子)くんそんな風に言えるようになるまで成長したんだねぇ。お母さんそっちも嬉しいな!」
 
 息子(嬉しそうに)「そうだよ、(息子の名前)もう4歳だもん!」(←今月お誕生月だから結構これが最近の彼のブーム)

 私「そうだねっ!」

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 一瞬空気が悪くなったけど、息子の問いかけではっとして空気がよいほうに変化して、一人の「人」として歩んでいる息子に本当感動しました。まぁ、この聴き方は私が息子にたまにやっているわけだけど、息子の聴き方は全然嫌味とか陰性感情とか感じられなくて、これが「対等」ってことなんだなぁと感じて。
 また、私が息子に「ありがとう。」と言った時の息子の表情がとても嬉しそうで。

 あ~この感じ忘れないように心に刻んどかなきゃと強く思いました。


【M.I(埼玉) 2012年10月25日】

自助グループの例会 

今週の水曜日は東京の西の自助グループの例会があった。

随分遠くから来てくださった古いアドレリアンの先輩や生まれたてほやほやの赤ちゃんやご夫婦連れの方や、お母さんたちやらお父さんたちやらと年齢層も職業もばらばらで、いろんなひとが関ってくださることが大変ありがたいなあと思う。

こうやっていろんな人々がアドラー心理学を学ぶという1点で繋がって、月に一度集まっているというのは、とてもすごいことなんだろなあと思う。

この集まる場があることで、この地に少しでもアドラー心理学が根付いてくれたらいいなあと思っている。

日本アドラー心理学会が大きな木の幹だとしたら私たち自助グループはその幹から伸びている枝であったり一つの小さな葉っぱであるに過ぎないのかもしれないなあと思う。
幹がなくなると枝や葉っぱは消えてしまうのだろう。

アドラー心理学の木を残せたらいいなあと思う。

【松本 春代 2010年11月19日】