違いと平等の最近のブログ記事

編集部へのメールから

 岐阜の大貫和子さんからメールをいただきました。
 ご本人の了解のもと、紹介させていただきます。


**************引用ここから

新年が早くもスタートいたしました。
今年もよろしくお願いいたします。

お正月といえば、ひと昔は深夜にいい映画が放映されていたり、3が日くらいはゆっくりと時間が流れていたように記憶しています。

  (中略)

私は福島に(主人の実家)おりました。
親戚の集まりは、震災後の話で持ち切りでした。
新聞やニュースなどでは語られぬ、日々の暮らし。
私は「がんばろう、日本」の現実を少し垣間見ることができました。
「言っても始まらないべ・・・」
放射能の数値、教育、医療、行政など個人では解決できない問題ばかりです。
なので、福島の人同士でこのことをあまり話すことはないそうです。
「話は楽しいことの方がいいべした・・・」
でも、やっぱり福島のことを話したい。聴いてほしい。
その思いはどなたからもひしひしと伝わってきました。

帰りの新幹線の中で、私はふと北陸・東海地方会のことを思い出していました。

「エピソード」を聴かせていただいた後の、何ともいえない充足感。その感じに似ていました。

今までの私は、つい話に同調してしまうことが多かったのですが、最後まで相手の話を聴く。 私の中で「話を聴く」ことが少し変わってきたように感じられました。 言葉でうまく表現できないのですが、貴重なお話を聴かせていただいている実感とでもいうのでしょうか?  明らかに身体の受け止め方が違うように感じました。

そして、同時に「今、私にできること」もつきつけられた思いです。

この帰省で心に残った言葉は「よく帰って来てくれたね、話を聞いてくれてありがとう」でした。   


引用ここまで***********


【編集部 大竹優子 2011年1月13日】

姉妹関係

先日、近くに住む妹とその末娘と、北島まで映画「神様のカルテ」を見に行きました。

映画自体は、はっきりしたメッセージ性のある内容を期待していたのですが、思っていたものとはちょっと違っていて残念でした。
でも、ま、当初の目的は嵐の桜井翔くんだったわけなので。。
(桜井君は、もさもさ頭のイチ先生がはまっていました~)


その映画のことはともかく、妹の運転で北島まで1時間くらいかかる間、妹と話をたくさんしました。子育ての事、里の母親のこと、夫の両親のこと、子どもの頃のこと・・・
次から次へと話題は移っていきましたが、育った環境というものはおもしろいもので、家族とか教育などの考え方、たとえば、家事は一般的に嫁の仕事としていることとか、また子どもに対しては教育熱心ではなかったことや、個性は大切にしたいこととか、いろいろ考え方が似かよっていました。


おもしろかったのは姉妹で、親から叱られたことの認識が、まったくちがっていたことでした。たとえば、私はあまり親に叱られたという記憶(認識)がなかったのですが、妹は、(姉である)私が帰りが遅かったり弟と喧嘩をした時などに両親が怒っていたことをみて、「私はあんな怒られるようなことはするまい・・」と決心して、うまくふるまっていたと言うのですよ。
ところが私は、妹が朝から遊びに出掛けたまま、夕方になっても帰って来ないことに対して、親が「ほんまにあの子は鉄砲玉(出ていったきり帰って来ない)じゃわ」というのを聞いたり、宿題をするのを忘れていたことなどで、「ほんまに勉強せん子じゃ」と言われていたことを聞いて、「私はあんなことはするまい・・」とおもい、いい子でいようとふるまっていたわけでございますよ。


どちらも同じ、親からみたら不適切にみえることをしながら、しかも自分では気がついてない・・で、自分の怒られたことは記憶にないという、なんとも間が抜けててしあわせな姉妹だったんですね~。もっとも、両親のお小言は、(怒られるべき?)本人にはきこえないところで言った可能性はあるわけですけど。。

 

それと、そのことから妹は(彼女の動きから察すると)「(ちゃっかり?)うまく切り抜ける!」ふるまいを学び、姉の方は、「いい子でいて、ほめられる」ことを人生目的として選んで、マイ辞書に書き込んでいったミタイデス。こういう繰り返しの中でも、私のライフスタイルはつくられていったのかな~とおもいました。


さいわいというか、育った家庭の雰囲気が厳しいものではなくて、兼業農家ゆえ?子どもは大事だけど、忙しくて子どもなんかにそうそうかまっていられない・・なんとか大きくなっているわ・・くらいの温かくも自由な雰囲気だったためか、姉弟妹関係もわるくならず、親に対して反抗的になってぐれて非行に走ることもなく大人になれたことは、祖父母、父母に対して感謝すべきことだろうな~とおもいました。


そして、こんなふうに一緒に出かけられてたわいない話が気楽にできるなんて、歳がいっても、いえ歳を重ねるほどに、姉妹はいいもんだなぁとしみじみおもったのでした。

 

【M.Y. (徳島) 2011年9月1日】

話し合い

自分の園の出来事ことばかり書いていますが、今回も、書かせてください。

今年、4・5歳児は合わせて22人と少なかったので、混合保育をしてきました。発表会を前に、さてどんな形で発表をしたらいいのか、担任は子ども達と話し合いをしたそうです。

テーマは、4歳5歳が一緒に歌を歌うのか?それとも別々に出て歌うのか?

一緒がいいと思うグループと、違うほうがいいグループと向かい合って話し合いが始まったそうです。(以下は、担任からの話です)

まず、一緒は嫌だというグループの意見が出ました。
「つぼみ(4歳児くらすの名称)さんは、歌う時、フラフラしたり、間違えたりするから、格好いいところを見せられなくていやです」
すると、
「おとうさんやおかあさんは、僕達を産んで育ててくれたんだから、間違えても、笑ったり怒ったりなんかしないと思う」
とA君が言いました。
「つぼみさんだって4歳なんだから、教えればちゃんとできると思うし、はな組(5歳児クラスの名称)の私達がフラフラしなかったら、まねをして同じようにすると思います」
とBちゃんが言いました。
「こらから私達はな組が、つぼみ組に教えていけばいいと思います」
とも。(こんな時、方言では話さない子ども達です)

そうして、4・5歳児一緒に歌を歌うことになったそうです。30分ほどの話し合いだったようですが、
「8年間保育士をしてきましたが、今までで一番面白い話し合いでした」
と担任が報告してきました。

その後、はな組の子ども達は、自分達が言った通りにリーダーシップをとって、つぼみ組さんをサポートし、仲良く練習をすすめていきました。

はな組の子ども達が、発表会の練習を通してどんどん年長の自覚を持って動いていくのがわかりました。

今日は、その発表の日。楽しみです!!


【吉田 美由紀 2011年2月19日】

幸せの収穫祭 

今日はパセージ・フォロー会に参加しました。フォロー会には、毎回パセージ・リーダーさんが来てくださって会をコーディネートしてくださいます。

フォロー会の最後に、リーダーさんが、「今日お話を聴いたり話したりする中に、幸せがたくさんあったと思うんです。それを、探してみてください」とおっしゃり、ペアになってたわわに実った幸せの収穫をしました。

わたしは、先日お友だちから「働くって、傍を楽にするってことなんだよ」って教えてもらったことを思い出し、「お仕事のある幸せ」を見つけました。お仕事があるって、役割がある、必要とされている、所属しているってことで、それって幸せなことだな~って思いました。
「今日このフォロー会に参加できたのは、家族の協力があったから。ココに来れたことが幸せです」という幸せを見つけた方もおられました。幸せって、がんばって掴み取るものじゃなくって、そこに目を向けるだけでいいんですよね。

2007年、カウンセラー養成講座で初めて聴いた「平等 Gleichwertigkeit」の話を思い出しました。劣等感もその補償としての優越の位置も目標追求もすべては仮想。現実には、みんな平等で、平等とは「違っている」ってこと。違ったまま、尊敬し合い、信頼し合い、協力し合い、助け合って生きるってこと。

ここのところこの「違っている」ということについて考える機会をたくさんいただいています。アドラー先生から、「平等」についてしっかり学びなさい、と言われているような気がします。

【東 純子 2010年10月2日】