夫婦の最近のブログ記事

本日のかわし

今朝、夫と朝ごはんを食べながらおしゃべりしていて、チベット瞑想のお話になった。 
自分が死ぬ寸前にする「ポワ」という瞑想について、 

「その瞑想をすると、頭頂から魂がすぽーんと抜けて、それを阿弥陀さまがキャッチしてくださるんだって」 

と話して、 

「でも、突然の死とかあるじゃない。交通事故でいきなり死ぬとか。そういうときって、ポワするひまがあるんだろうか?」 

と言うと、夫が、 

「そんなひまないよ。どんな死に方でも、死ぬ寸前に瞑想なんかできないよ」 

と言った。 

ムキッ! 

となった私は、対処行動を繰り出す。 

「いや、ちゃんと練習しておけばできるらしいよ」 

「どうやってそれがわかるの?死んだあとに」 

さらに、ムキムキッ!! 

頭の中の考えは、「あっ、また賢い私におバカなあなたが意見したわね!」だ。 
しかも、これ、権力争いの入り口だぞ!と気づいた。 

自分の冗長性にあきれる。 

さて、これをどうかわすか、一瞬考えた結果、こう答えた。 

「うん、あのね、FAX届くの。あの世から」 

「みゅーって?」 

いいなあ、こういうときの関西人、ちゃんとのってくれる。 

「そうそう、みゅーって。で、しっかり練習したおかげで、ちゃんとポワできました。ありがとうございます!皆さんもがんばってくださいって、書いてあるの」 

夫、たいへん嬉しそうに笑う。 
このあたりで、私は元の冷静な状態に戻った。 

「結局、どう死に建設的に向き合うかって話だよね。実際死んだ後どうなるかは、死んでみないとわからないけど、どう生き、どう死ぬかって話なんだと思うんだ」 

夫、深くうなずく。 

おお~良い会話で終わったぞ。 

本日のかわし、どうやら大成功。 

こうして私のずるがしこい力は、また少し強化されるのであった。


【酒井朋子 2017年5月】

パセージテキストの1ページ目に、
子育ての二種類の目標が書いてあります。

そして、
「適切な行動ができるためには、
それを支える適切な信念が
育っていなければなりません。」
とも書かれています。

私はずっと「私は能力がある」とは思えないでいたようです。

私がパセージを受けて、
パセージをみなさんへお伝えしながらも

「私は能力がある」

を、『ああ、こういうことなんだ』

と思うことができていなかったように思います。
(「能力」に関して、何度も書いている気がする^^;)

『私は家事をする能力がある』

と思っても、

『まぁ、それはたいしたものじゃない』

とか、付け足しをしていたようです。

で、、、今年、
私の『たいしたことのない』と思っていた

「事務能力」が、

『あれ?これって、人様のお役に立てるものかしら??』

と思えるようになってきました。

他の人の能力は、いろいろ見えます。

ピアノを弾く。歌を歌う。物を作る。料理をする。
などなど。

『それに比べて、私は、「電卓叩く」だけだなぁ。
たいしたことないなぁ』

と思っていたのですが、

『「ワクワクしながら電卓を叩く」のは、もしかして能力??』

と思えるようになってきました。

長年、訓練されたので、
イヤイヤ電卓を叩くのではなくて、
私の場合、ワクワクするのです。

『能力って、こんな些細なものでいいのかも』

と思い始めたら、

「岩手の能力」にも気づき始めてきました。

いま、ちょっと疲れ気味なので、
なにを体に取り入れたらいいんだろう、

と思っていたのですが、

『あ、そういえば、岩手には
山ぶとうジュースというものがあるじゃないか』

と気づきました。

昔から、岩手には山ぶどうジュースというものがあって、
「女性の体にいいものだ」と
私が小さいころから母が言っていました。
鉄分、カルシウムが豊富です。

http://www.kibudou.com/

岩手は、山が多くてすごく寒いです。
だからこそ、山ぶどうの生育に適しているのだと思います。
(今は、岩手の各地で栽培しています)

「マイナス面だと思っていた部分が、実は、プラス面だった」
ということに気づかされました。

『岩手にあって当り前で、
いままで気にも留めていなかったものが、
実は、岩手のすごい能力なんだ』

と思ったら、

夫の能力にも気づいてしまいました。

「山ぶどう」の魅力って、
年齢を重ねてきた今だから、
わかるようになったのかもしれません。

山ぶどうをそのまま食べると、
ものすごく酸っぱいです。
ジュースとして飲めるようになるまで、
熟成する期間が必要なので、
『とても手間暇かかっているんだなぁ』
と思いました。

今まで気づかなくて、ごめんよ、岩手。

と思っていたら、

夫が、食事をしていて

「ゴホゴホ」とむせたとき、

『ああ、これも夫の能力なんだ』

と気づいちゃったのです。。。

夫は、汁物系をいただくとき、よくむせます。

実は、結婚してからずっと、
『この人は、すするのが下手くそだなぁ』
と、私は少しイラッとしていました。

一緒に食事をしていて、突然、
「ゲホッ、ゲホゲホ、ゴホゴホ」
と、されるのって、なんだかね。。。

でも、岩手の能力「山ぶどう」に気づいたら、
『これは、夫の能力だ。むせるチカラだ!
よかった、食べ物が変なところに入らなくて』
と思えたのです。

夫は何も変わりません。

よくむせるし、
箸の持ち方が悪いので食べ物はこぼすし、
食事中に鼻水が出てくる夫ですが、

夫の能力に気づいた私は、
それ以来、イライラせずに、
楽しく夫と食事ができるようになりました。

『夫には能力があるし、私と夫は仲間だ』

と思えるようになりました。

夫の能力に気づいたら、

『私は、なんでこんな些細なことで
イライラしていたんだろう』

と思っちゃったりなんかりして。

パセージテキスト5-Lと5-Rが
身体に染みます~。

特に、
「住み心地のよいくつろげる家庭作りをしたいですね」
と書かれているところです。

「これもまた勇気づけなんです」って。

ああ、やっぱり、パセージっていいですね。

どんと晴れ


【樋沢律子 2016年11月】

夫の価値観を裁かない

最近、自分が夫に対して競合的になっていることに気づいたできごとがあったので、それについて書いてみたいと思います。


うちの夫は家事を手伝ってくれたときに、私が「ありがとう」と言うと、いつもなんとなく怒っているようでした。

例えば、私が取り込んだまま、たたまずに置いておいた洗濯物を夫が見つけてたたんでくれたときなどに、夫に「ありがとう」と言うと、夫はいつもちょっと嫌な顔をして、「だって、たたまんとあなたに怒られるから」とか、「いかにもあんたがたためと言わんばかりにここに置いてあるから」と言っていました。
他にも、家事を手伝ってもらってお礼を言うと、夫からはあまりいい反応が返ってこないことが多く、私は「ありがとう」を言うのがなんだか苦手だなあ、と感じていました。

ある朝のことです。
夫はいつも朝起きてすぐにコーヒーを飲むので、私は夫が起きてくる前にコーヒーメーカーのスイッチを入れていました。
ところがその日夫は、私がまだスイッチを入れる前に起きてきて、私が洗面所にいる間にスイッチを入れて、そのあとトイレに入りました。
私は心の中で、「ああ、また『ありがとう』を言わないといけないな。気が重いな」と思ったのですが、トイレから出てきた夫にかけた言葉は、自分でも思いがけず「あ、ごめんね」でした。
すると夫はちょっとびっくりしたような顔をしながらも、静かに「いいえ」とだけ言い、いつも通りイスに座って新聞を読み始めました。

あれっ?と思いました。
お礼を言うより、謝ったほうがいいんだ。なぜだろう?

考え始めてすぐにわかりました。
うちの夫は封建的な田舎の農家の育ちで、「家事は女の仕事」という価値観を持っています。
4年間のアメリカ暮らしを経験し、歳もとったことで、彼はだいぶ変わってきたようですが、その価値観はいまだに持っているようです。
なので、「ありがとう」と言われるより、「あなたに家事なんかさせて、ごめんね」と言われたほうが、私に大切にされていると感じるのではないかと思いました。
それはつまり、夫の価値観=夫が大切に思っていることを、私が尊重したことになるのだと思います。

もちろん、今どき「家事は女の仕事」という価値観ははなはだ時代遅れだと思うし、私は息子に対してはその価値観は採用してほしくなく、私の持っている価値観「家事は家族全員で協力してするもの」に賛成してもらいたいと思い、息子が中学生の頃から料理を教えたり、お手伝いもしてもらっていました。
でも、61歳の夫をしつけることはできません。
「あなたのその価値観は間違っている。変えなさい」と言うのは、「私は正しい、あなたは間違っている」と、夫を裁いていることになるわけで、とても競合的だと思うし、逆の立場に立って考えてみると、そんなことを言ってくる人に対しては反発してしまうと思うのです。
それならそれで、封建的な価値観を持っている人として、夫とどうつきあっていくかを考えていくのが、夫と良い関係をむすぶ上で大事ではないかと思いました。

むろん、夫が「家事は女の仕事」と思っているからと言って、私が全面的に夫の価値観に合わせる必要はないと思います。
やっぱり家事の手伝いはお願いしたいです。
まったく違う価値観を持つ二人が協力するにはどうすればいいのでしょう?
もしかしたら、その答えの1つが、「あ、ごめんね」だったのかもしれません。

そう気づいて暮らしてみたところ、驚くべきことが起こりました。
私は夫に、あまり家事を手伝ってもらおうと思わなくなりました。
はてさて、これは一体どういうことでしょう?
どうやら私は、家事についてあまり困っていなかったようなのです。
今、私は専業主婦をしています。
確かにアドラーの活動を活発にしたり、大好きなタヒチアンダンスを週2日習っています。
でも、昔の仕事をしていたときのオニのように忙しかった頃のことを思い出すと、比べものにならないくらい時間的に余裕のある生活を送っています。
結局私は夫の「家事は女の仕事」という価値観を、間違っているから変えるべきだ、と思っていて、夫に権力争いをしかけていたのだと思います。
「ありがとう」も、心から出た言葉ではなく、「ありがとうと言えば、きっと夫は勇気づけられて喜んで家事をするようになるだろう」と言う、腹黒い考えから出ていたのでした。
それを夫はちゃんと察知して、「ありがとう」を言われるたびに怒っていたのではないかと思います。

ところで、私はなぜ、夫と権力争いなんかやっていたのでしょう?
それは、「夫が家事を手伝わない」=「私を貶めている」と感じていたからです。
私のことを家政婦とでも思ってるんでしょっ!って、怒っていました。
でも、よく考えてみると、私がそんなひどい人を一生の伴侶に選ぶはずがありません。
一応、男性を見る目はもっているつもりです(笑)。
このことを確かめるべく、夫に聞いてみることにしました。

私「ねえ、Jちゃんて、結婚したときに、家事は女の仕事と思ってたでしょ?」
夫「もちろん。当然そう思ってたよ」
私「今もそう思ってはいるよね?」
夫「そうだね~。だって、そういうふうに育ったんだもん」
私「そうだよね。べつに家事を手伝わないのは、私を貶めてるわけじゃないんだよね?」
夫「とんでもありません!あなたのことは大事に思ってます!」
私「そうだよね。Jちゃんは、ただ自分の価値観を大事にしてるだけだよね?」
夫「大事にしてるっていうか、それしか知らないんです。すいませんねえ、母親にそう育てられたんで。母親に文句言ったってください」
私「(大笑い)いやいや、あんなやさしいお母さんに文句言ったら、バチあたるよ」

どうやら、私の推測はあたっていたようです。

この会話があってからしばらく経ちますが、私は、まず洗濯物をとりこんだままほうりっぱなしにしておくことはやめました。
前は、なんとか夫にたたましたろう、って思ってたことに気づきました。←オニ嫁
それから、夜になって疲れて、更年期障害の症状が出てきたときには、夫に、「ちょっとこれ、運んでもらえない?しんどいもんだから、ごめんね~」と言っています。
そうそう、「ごめんね」は心から出ます。まったく陰性感情無しに使える言葉です。
そして、「ごめんね」を言い始めてから、夫は前より一段とやさしくなったような気がするし、気持ちよく家事を手伝ってくれるようになりました。
大感謝です。

夫婦が協力して、仲良く暮らすのは難しいです。
野田先生がよくおっしゃっていますが、「親は子どものためなら死ぬことだってできる。でも、配偶者に対してはそうはいかない」だな、と思います。
でも、そういう相手だからこそ、仲良くなれたときは二人で前よりずっとずっと幸せになれると思うし、そうなれるよう努力してゆきたいです。


【酒井 朋子 2014年1月21日】

永遠の5歳児?

夫は、「5歳児」のような素直さを持った、「しろいうさぎとくろいうさぎ」の絵本のような「くろいうさぎ」です。
そして、外見は、いかつい40歳過ぎのおじさんです。

夫は、いつもいつも(をを、レポートだ)ネットで自転車(ロードバイクとマウンテンバイク)を見ています。

「はぁぁ」とか、「ちっ」とか、「ふぅぅぅぅ」とか言いながら。

私が夫から離れると、何も言わずに黙々とパソコンの画面を見ています。
私が夫のそばに行くと、「はぁぁ」「ちっ」「ふぅ~」と言います。

を?

っと思って、夫から離れたり、夫のそばに行ったりを何度か繰り返したら、
やっぱり、夫のそばに行くとなにか言うんです(笑)

夫に声をかけてみました。


私「ねぇねぇ」
夫「ん?」
私「その、はぁぁぁ、とか、ちっ、とか、ふぅ~っていうのは、私がそばにいると言うようですが、それは、私から注目関心がほしいのでしょうか?」
夫「!」


夫は、パソコンの画面を見ていた顔を私に勢いよく向け、
にぱーっと笑って、「うん!」と言いました。

をを、(まるで)5歳児。
ナイス素直!

どうやら、私に言われて、本人も気づいたようです。

夫の目的がわからないと、
『はぁぁ、とか言って、うるさい!(怒)』と思ってしまいますが、
夫の目的が「私からの注目関心である」とわかると、
『はいはい』と納得して、イライラしません。

娘を育てるのはそろそろ終わりになりそうですが、
夫を育てるのは、まだまだかかりそうです(笑)


【樋沢 律子 2014年1月17日】

夫婦の葛藤のパターン

自己成長のためのジャーナルとして書こうと思います。


アドラー心理学の考えの道筋で書いています。

用語もアドラー心理学をご存知じゃない方はわかりにくいと思いますが、

その辺は、ジャーナルということで、お許しください。


昨日、夫の言動に対して、ムカッとすることがありました。


反射的に「なんなんよ!」と言いました。


そして言った後、自分を客観視する自分ができました。

私、陰性感情を感じた途端、なんと素早い対処行動・・・

自分でもびっくりでした。

恥ずかしい~


自分を観察して、ここからは理性で対応しようと決めました。


その後、夫からの反撃があったのですが・・・

これに乗っちゃうと、葛藤になってしまうのが明白だったので、

言ってすっきりしたい気持ちはあったのですが・・・

アドレリアンなんだからと、ぐっとがまんしました。


半日かけて、いろいろ考えた結果、実感したことは・・・


恥ずかしながら、陰性感情を感じているときの私は、ろくなことを考えないものだということ。

一応解決策を考えてたつもりなのに・・・

後で思い返してみると、

なんと、自分を守ることだけを目的にして、優しさのかけらもなかったり、

正論ではあっても、相手に対しての配慮がなかったり・・・

私って、自分が大事なんだなあって、つくづく自分の小ささを実感。


本当に、うっかり夫の葛藤への誘いに乗って、変なことを言わなくてよかったなって思ったのでした。


夫の仮想的目標を推測してみました。

「自分は大切に扱われるべきだ」かな・・・


私はいい加減な扱いをしてるつもりはさらさら無いのだけれど、

彼は、ちょっとしたことで、すぐに劣等の位置に落ちてしまうようです。

(もちろんこれも私の主観です。)


そして対処行動としてその陰性感情(怒り)をぶつけてくるから、

そこに私がつい反応してしまうというのが、いつもの夫婦のパターンのようです。


私の仮想的目標も同じなので、

彼の対処行動によって、私もひどい扱いを受けてる気がして劣等の位置に落ちます。


でも、そこで、葛藤になってしまっても何もいいことはないので、

二人とも、求めてることは同じなんよね~と思い、

もう水に流そうって思うことにします。


そして、私の幸せのために私はどうしたらいいかではなく、

二人の幸せのために私はどうしたらいいか、を、

いかなる時も、考えるようにする・・・


それは、陰性感情が無くなったら簡単にできること。

だから、私の場合は、陰性感情があるときは、ただ、ひたすら時を待つということかな。


【H.M(和歌山)2013年3月4日】

聞いてるわけじゃないよ

最近、友人の一人が愚痴聞き屋という商売を始めた。
あらかじめ携帯のメールで時間を予約してもらい、その時間に彼女に電話をかけて、30分から1時間愚痴を聞いてもらうという商売だ。

「愚痴聞き屋」でWEB検索すると、たくさんのお店のHPが出てくる、その宣伝文句に、「いらないアドバイスはいたしません」と書いてあって、思わず笑ってしまった。

以前、私は夫と時々喧嘩した。
ちょっと嫌なことがあって、話を聞いてもらいたいと思って話すと、途中で質問されたり、ありがたいアドバイスが返ってきたりするので、段々腹が立ってきて夫に対して怒ってしまったりしていた。
そうすると夫は、「アドバイスがいらないなら、なんでそんな話するの!?」と、逆ギレされた。

そんなことを繰り返しているうちに、ある日私は気がついた。夫は、私がアドバイスを求めて話をしてくると思っているんだと。

それで、次に話すときに「今から話すことは愚痴なので、アドバイスはいりません。ただ、聞いてもらえますか?」とお願いすることにした。
そうしたら、夫は「わかりました」と言って、話を最後まで聞いてくれた。
逆にアドバイスがほしいときは、「ちょっと相談があるので、アドバイスをお願いできますか?」ということにした。

それはもう10年くらい前のことだと思うけど、最近は夫も慣れたのか、私の話を黙って最後まで聞いてくれるようになった。相談があるときだけは、「相談したいんだけど」というと、とても頼もしいカウンセラーさんになってくれる。

先日のことなのだけど、私が「今度ワークで泊まる椿会館というところは、アメニティにヘアドライヤーとかシャンプー、リンスとかが書いてないけど、ついているのかなあ?」とつぶやいたら、いきなり夫がちょっと怒り出して、「そんなこと僕に聞かれたってわからないよ。電話して聞いてみればいいじゃない。そんな質問しないで、僕は答を持ってないから」と言った。

そういえば、前にも同じようなことがあったな、と思い出し、私は夫に、「私、淳ちゃん(夫)に聞いてるわけじゃないよ」と伝えた。すると、夫はちょっとびっくりした顔をして、「今のは独り言なの?」と言った。私は、「まあ、そんなようなものです」と伝えた。
夫は、「じゃあ、そんなとき、僕はどう返事すればいいの?」と聞いてきた。私は、「う~ん、『どうだろうねぇ』とか、『わかんないねぇ』とでも言っててくれればいいわ」ということを伝えた。

些細なことだけど、結婚して31年経っても、まだお互いがお互いを理解していないところがあるんだなあ、と思った。

夫婦が仲良く暮らしてゆくには、こういうなんでもないことをちゃんと話し合って、お互いの取り扱いマニュアルに書き足していくことが大切なんだなあ、とあらためて思うできごとだった。


【酒井 朋子 2012年4月11日】

昨日はゴメンね。

昨日、夫は新しい仕事のことで、今から思えば若干イラッとして居りました。

なにやら仕事の電話も掛かってきていた。

そして夕食を食べながら世間話をしておりました。

なんだかねぇ、いつもよりも音声高めボリュームが大きいことに気が付くべきだった。

くだらない話だったんだけれど、妙に夫が食いついてきた。

メンドーなことにナルと思って「もぉいい」と話を切ったら気に入らんかったよぉで・・・・・

多分怒りの矛先は別のところにあるんだと思うけれど、夫に言わせると「今のお前の言ってることは論点が違う」と噛み付いてきたので「もぉいいわ」と話を切った。

その後はやり場のない怒りにイライラしていた夫。

私的には、アノ声のボリュームから夫の現状に気づくべきだった。

私だって後味が悪かった。

朝、夫はフツーだった。私もフツーにしていた。

でも、夫の火に油を注いだことは否めないのでココはひとつ謝っておこうと思い、

ちょっと勇気が必要だったけれど「お父さん、昨日はゴメンね」と言うと「ヘン、ナニをそんなこと・・・」と苦笑していた。

仕事のことはよくは分からないけれど、ちょっと今が踏ん張りどころの様子。

せめて家でなと、心穏やかにしてもらうのが私の今のお仕事かと思います。

ささ、今日もがんばろーっと

 

【山本 尚子 2011年2月8日】

夫からの言葉

寒くて雪の多い冬真っ只中を過ごしていても、娘のちょっと大人に向かう旅立ちの春がやってくる気配がする今日この頃です。

娘が小さい頃は、あんなことやこんなことがあったな~と感慨深くなるのは、私だけでなく夫も...のようです。

夫:「娘がいい子に成長したのは、君のおかげかな~?
私:「ん~?どのへんがいい子だと思ったの?」
夫:「自分(父親)とフツーに話すところ。」
私:「ああ~。なるほどね~。」
夫:「父親とまったく話さない子もいるっていうじゃん。」
私:「ふふふ。どのへんが私のおかげだと思うの?」
夫:「わかんないけど、俺の親とは(育て方が)違う気がする。」
私:「ほぉぉぉぉ~。」

夫は、私の陰謀により「アドラー心理学会」の学会員になりました(笑)
けれど、夫はアドラー心理学をきちんと勉強していないのでほとんどわかりません。
2010年に横手市で行われた地方会に参加して、野田先生がいたグループでテントを作るワークなどをして身体で体験しただけです。
たったそれだけですが、「自分の親と育て方が違う」と理解しているところが、『さすが、動物的勘が鋭い人は違うな~』と思います。
夫はアスリートなので、動物的勘や直感が鋭く働くことがあります。

そんな夫でも、私がアドラー心理学を知った当初は、私の子育て方法に抵抗しました。もちろん、私はその頃、パセージも受けていませんし、アドラーフェラインみちのくにも通っていませんでしたので、私のアドラー心理学っぽい子育て方法はぎこちなく、薄っぺらいものだったのだと思います。

私は「あなたも私のようにしてくれ!」と訴えました。
けれど、上手くいきませんでした。
上手くいくどころか、反発を受けました。
アドラー心理学にもとづいた子育て方法は 良いもののはずなのに、どうして上手くいかないのだろうかと悩みました。

それから、アドラーフェラインみちのくに通い、パセージを受けて、わかりました。

パセージの31-Lに書いてあります。

1.家族に宣伝しない
2.まず自分が実践すること
3.あなたが変われば家族も変わる

まずあなた自身が新しい子育ての考え方とやりかたを十分に身につけることです。そうして、子どもだけではなく、配偶者やその他の家族を勇気づける力を手に入れることです。~他人を変えることはできません。まず、あなたご自身の考え方ややり方を変えることです。

ここの言葉を知って、『ああ、その通りだ』と思い、それからは夫に押し付けなくなりました。

夫は、もう忘れているかもしれませんが、私がアドラー心理学を押し付けていたとき、「俺は親からそう育てられてきたのだから、俺も親のように育てる。それで、俺はちゃんと生きてきた!」と言ってました。
私が夫の勇気をくじいたので、わたしのやり方に感情的に反発したのだと思います。

あれから、数年が経ちました。早いものですね。
夫から、最高の勇気づけの言葉をいただきました♪


【樋沢 律子 2011年2月3日】