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近況報告のエピソード

昨日のパセージ・プラスの近況報告@流山で話したエピソードです。 

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先週の土曜の夜、小三の娘が『明日はおばあちゃんとプール行きたい』と希望を出してきた。
 
私の母はジムの会員になっていてしょっちゅうプールに通っているんだけど、娘が年少の頃からたまに連れて行ってくれる。 
娘はとことん水遊びに付き合ってくれる母とのプールが大好きで、いつの間にかクロールと潜水と背泳ぎができるようになった。 
そんなわけで、娘は実家に電話をしておばあちゃんの都合をきいてみよう、ということになった。 

娘が電話をかけると、出たのは多分おじいちゃん。 
娘のやり取りを聴いていると、 
母が疲れているのに娘の希望を叶えるために無理をして妥協案を提案してくれている流れだとわかった。 
しかも疲れている母だけでは大変だからと父まで付き合ってくれるみたいだった。
 

とりあえず電話を切った娘の話を聴こうと待っていると、電話を切った娘はおじいちゃんも来てくれるんだってー♪とご機嫌そう。 
私は、『おばあちゃん、疲れてるとか調子悪いって言ってなかった?』と聞いた。
 
娘は、『うん、言ってたけど・・・でも見てるだけなら大丈夫って言ってたよ!』と言う。 

私 『あのね、これは私の意見なんだけど。』 
娘 『うん』 
私 『明日のプール、おばあちゃんが元気になるまで延期してくれないかな。』 
娘 『えー、なんで!?』 
私 『おばあちゃんもおじいちゃんもさ、H(娘)がやりたいって言うと、それに無理してでも協力しようって思ってくれてるんだと思うんだ。 Hがプールやる間ずっと水につかって見てるだけなんて、おばあちゃんもおじいちゃんも大変だと思うんだよ。』 
娘 『だって、私が話し合って決めたんだよ?私がわがまま言って、どうしてもやりたいからってごねたわけじゃないよ? それにおじいちゃんは、おばあちゃんも今夜ゆっくり寝たら明日は元気になるだろうって言ってたよ!』 
私 『うん・・・そうだよね、Hがわがまま言ってごねて無理やり決めた感じじゃないことはお母さんも分かるよ。 でもおじいちゃんとおばあちゃんって、とにかくHがやりたいことやらせてあげたいってどうしても無理をしちゃうと思うんだ。 それに、Hと違ってあのくらいお年寄りになるとね、疲れたーっていうのが寝てもとれないものなんだよ。』 
娘 『・・・・じゃあ、どうすればいいの?』 
私 『・・・明日はお父さんとお母さんがおうちにいるし、3人で一緒に公園で遊ばない?母の日のプレゼントもすっかり忘れてたから買いに行きたいし、、、一緒に選んでくれない?』 
娘 『プールは?おじいちゃん、11時に迎えに来てくれるってさっき話したよ。』 
私 『もしお母さんの意見をのんでくれるんだったら、お断りの電話かけてくれないかな・・・』 
娘 『うーん・・・わかった。』 

娘は私の意見に従ってくれ、また実家に電話をかけ、 
『あ、何度もごめんね。 明日はお父さんとお母さんと遊ぶことにしたの。 ・・・いやいや、寝たって明日元気とは限らないでしょ。 ・・・おばあちゃんがほんとにちゃんとムキムキ元気になったらまた約束しよ。 じゃあね、ばいばーい。』 
と話して、電話を切った。 

私は電話から戻った娘に超モヤモヤしながら『ありがとう。。。』と声をかけ、 
娘はカラリと『うん、おじいちゃんなんだか慌てて『なーに言ってんだよー行くよー行くよー』って言ってたよ(笑)』と声真似をして笑った。 
その後そのことについて話すことはなく、娘はまたご機嫌になってすっかり忘れたように見えた。 
次の日は夫と私の両方の母に母の日のプレゼントを買いに行ったあと、 
約束通り、3人で近くの公園でへとへとになるまで遊んだ。 

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自分の対応に違和感があるエピソード。 
がっつり介入してしまった。これは違うよなぁ。 
私の意見なんだけど。とか言いながら、最初から説得モード全開で押し付ける気満々だったもんなぁ・・・。 
でもどうしたらよかったんだろう。 

娘と両親を信頼してプールに行ってもらった方がよかったのだろうか。 
しかし母はからだが弱く、少しの無理がたたって長患いすることがこれまで何度となくある。 
両親は高齢でこれから若返ることはなく、どんどん無理がきかなくなる。 
だから娘にもだんだんに、老いた祖父母をいたわれるように付き合い方を考えて欲しいと思っている。 

娘はこのエピソードで何を学んだだろう・・・。 

という話を、近況報告としてさせていただきました。 
 

さて、そうして昨日の午後流山から家に帰ると、リビングのテーブルの娘が座るベンチ近くに手紙が置いてあった。 
日曜日に遅ればせながら買った母の日のプレゼントに添える手紙を書こう、と渡してあった便箋だった。 

便箋には母を体調を案じる言葉と感謝が綴られていて、母と娘がお花を持って並んでいる笑っている絵と周りにきれいな飾り枠が書いてあった。 

手紙の文章を読んで、私は自分のしたことが失敗だったとはっきりとわかった。 
今回のエピソードは、私だけが、娘も、両親も、信頼していないという話だったんだ。

娘は相手の状態をまだちゃんとわかってあげられないに違いない、 
両親は無理をして老体に鞭打って付き合ってくれているに違いない、 
どちらの話もちゃんと聞いていないのに勝手に『それはいかん!』って一瞬で反応してしまった。 

さて、ではここから私はなにができるだろう? 

そして、夜ご飯を食べ終えてのんびりしている娘に聴いてみた。 

私 『日曜日さ、お母さんの意見受け取って、プール行くのやめてくれたでしょ。それについて、どう思った?』 
娘 『どうって?』 
私 『うん・・・お母さんの意見受け取ってくれて、お母さんは感謝しているんだけど、同時に意見押し付けてよくなかったかな、とも思ってるの。 Hがちゃんとおじいちゃんおばあちゃんと話し合って決めたことに口出ししちゃったなーって。Hはそんな風に思わなかった?』 
娘 『うーん・・・ほんとのこと言っていい?』 
私 『もちろん!(笑)』 
娘 『おじいちゃんとおばあちゃん、見てるくらいならできるんじゃないのかなって思った。プールはいる時間も、相談して決めたらいいし。』 
私 『そうかー(笑)そうだよね、そう話したんだもんね。プールはいる時間もちゃんと相談しようって考えてたんだね。これからはどうしようと思う?』 
娘 『同じようなことがあったら?そうだなー、、、やっぱりみんな元気ではしゃいで遊ぶ方が楽しいから、ちゃんとほんとに元気か?無理してないか?って確かめようと思う。』 
私 『そうなんだ。ありがとう。私も学んだことあるよ。』 
娘 『お母さんが?どんなこと?』 
私 『これからは、Hとおじいちゃんおばあちゃんが話し合って決めたことに余計な口出ししないようにしようって思いました。3人で決めたことを大切にしてお任せしようって。』 
娘 『そっかー(笑)別に余計って思ってないけどね(笑)』 

娘は笑って許してくれた。 
娘はそもそも許してくれていた。 
ありがたいなぁ・・・・。 

いつも娘は何を学んだろうかと考えて、『どんなことを学びましたか?』と問うことが大事だけど、今回は、同じエピソードの私の課題にも向き合って、私が学んだこともちゃんと言葉にしてシェアできたのがよかった。 

あ、それから、両親にわたしからもいつもありがとうって伝えよう。 
それから話も丁寧に聴こう。両親の願いは、なんなのか。。。 

私の陰性感情によってタテの関係で始まったエピソードは、娘の手紙のおかげで目を覚ますことができ、少しはヨコの関係を取り戻すことができた。(と思う) 
でも手紙がなかったらどうしていたかな? 
一人で代替案を出すのはなかなか難しい。。。 
忘れないように忘れないように、と思っても、心配や不安という陰性感情によってぐぐぐいっと競合的になってしまうパターンが私にはある。 
あるけどそこから、何度でも学んで自分が変わる決心して、娘や周りの人々をホントウに信頼し、勇気づけることができる人になりたい・・・と思った。 

という顛末でした(*^^*) 

今回は分析などしていただくことはなかったけど、エピソードを意識して暮らすってそれだけでもほんとに大事だなと改めて思いました。 
そしてなんであれ仲間に聴いてもらえると、更に整理しやすくなるなとも感じました。
 

日々エピソードがあって、聴いてくれる仲間がいて、ありがたいです。 

流山で近況報告を聴いてくれたみなさま、ありがとうございました♪ 
また、読んでいただいていたみなさまも、いつもありがとうございます。 


【久郷 緑 2016年5月11日】

体験談 ~家族会議

息子が中2の時に初めてアドラー心理学とパセージに出会い、初受講から3年目になります。
・・・という言い訳を振りかざし、家族会議とは一生無縁で私の今世は終わるのだと疑いもなく過ごしてきました。
だって、アドラーで子育てしてないし旦那だって非協力的に映るし、家族会議って、アドラー上級者様向けでしょ?って思ってました。
そんな私が、ひょんなことから家族会議をすることになった話しです。


中学時代の色々を乗り越え、周りのたくさんの方達の力を一杯お借りして、何とか合格した本命の県立高校。
その入ったばかりの高校を辞めたいと言い出しました。
5月、6月と2度。
この時は、リーダーのKさんに沢山助言をいただき、私の気持と思考も整理ができ何とか乗り越えました。
事が過ぎてから気づいたのですが、この時の学校辞めたい、は注目関心だったと思います。


長い夏休みも終わり、2学期が始まりました。
思ったよりスムーズに毎日登校していて、ホッとした最初の金曜日。
仕事から帰ると、家の鍵を忘れて玄関前に座って私の帰りを待っていた息子が、
私の顔を見るなりキッパリ言いました。

「オレ、やっぱ高校やめる」

今でもはっきり覚えています。
真面目な顔をして、落ち着いた冷静な声ー。
あぁ、今回は本当の本当に本気なんだ!

週明けの月曜日から、本当に登校しなくなりました。
学校には、休む時や遅刻する時は保護者から連絡をする事を義務付けられているので、欠席理由をどうしようか考えつつも、後々なんとかなるように病欠にしました。
この時は、少し時間が経つと行くかもしれないと思っていたのです。

そんな事が毎日続き、ある日思い切って担任の先生に、息子の気持ちが学校に向けないようだ、と伝えました。
少し様子を見ましょう、と言っていただき、今すぐ白黒つけなくて良いんだ、と大変心が軽くなりました。

そんな中、9月下旬、息子が突然明日学校に行くと言ってきました。
あー、もしかして学校辞めますって言いに行くのかな...と思ったのですが、何も言わずになんてこともない風を装い、「あら、そうなの」とだけ言いました。

次の日、本当に登校し、夕方私の携帯に学校から連絡が入りました。

「お母さん、息子さんから聞いてるかもしれないですが、本人さんが今日学校を辞めると言ってきました」

この後、1時間くらい今までの学校での様子を先生から聞き、家庭での様子を私が伝え、情報を共有しました。

「お母さん、電話では何なので一度お互い顔を見てお話ししませんか?」

10月に入ってから私が学校に行き、学年主任、担任の3人で話しをしました。

私からのお願いはただ一つ。
「息子本人は望まないでしょうが、親としては休学を望んでいます」

実は、今現在校則違反のバイトをしている、これからバイトは辞めて、知り合いの工場で働かせてもらえることになっている、という事を息子が直接担任の先生に言ったとの事でした。

「校則違反をしている事実を知った以上、休学は難しいかも。前例がないので、上と話し合わないといけない」

想定の範囲内の答えでしたが、話し合うと言っていただけただけで有難かったです。

また、後日連絡します、と言ってもらって早や4か月。

この期間、息子が学校に戻りたいと言ったことは一度もありません。
今まで、甘えてズルズル引きずってきたけれど、本当にこれでいいのだろうか...?
という悶々とした気持ちが湧き上がります。
でも、そんな気持ちも私が学校の事を思い出さない限り沸き起こりません。

そんな中迎えた自助会の日。1月下旬でした。
リーダーのKさんが持参してくれたカードで、好きな事を何でも質問できるカードを引きました。
なんか、レアっぽいカードのようです。

「えー、どうしよう、何も思い浮かばないよー!せっかく引いたのに勿体無い~!」と1人で騒いでいたら、
隣に座っていたMさんが「息子ちゃんのことは?」と言ってくれました。

いやー、最近息子の事でそんなに悩んでないんだよなーと思ったのですが、そうだ!今の宙ぶらりんの状況をどう思うか聞いてみよう!軽〜い気持ちで質問したんです。

「高校から、後日連絡しますと言ってもらってから一度も連絡がこなくてそのままになってます。時期的にそろそろかな、と思っていますが、このまま連絡を待つのか、それともこちらから動き出した方が良いのか。みなさんどう思いますか?」


「内容的には家族会議だよね」 

この一言から全て始まったのです。

それから、その場にいたメンバーで家族会議へ向けての作戦会議が始まりました。

言葉の一つ一つをロールプレイして、どう感じるか確認。
なんかへり下ってる感じがする、なんかエラソーに聞こえる...
率直な気持ちを出し合って、聞かせてもらって聞いてもらって、私の素直な気持ちをそのまま言葉達にしてもらいました。

「開始の言葉はお父さんに言ってもらうのはどう?」

...ワタクシのオット、よく言えば寡黙なんです。多分、世界の3本指に入るキングです!半端ない寡黙です!キングオブザ寡黙です!
そんな人に言えるかな...?

「じゃあ、言葉を紙に書いて渡してそれをそのまま読んでもらうのは?」

それならできそう!ってか、それくらいしてもらわなきゃ!


作戦会議で決めたことは次のようになりました。

①「今ちょっと良い? もう3月で年度終わりやん。 高校行くにしても大事な事やでお父さんと3人で喋りたいんやけどさー、時間取ってくれる?」
と言って家族会議の承諾をもらう。

②お父さんと日にちを決めておく(何日か候補を出す)

ここまでが事前準備。
次からは、当日本番です。


③お父さんに開始宣言してもらう
「今から家族会議を始めます。議題は高校についてです」

④ここからは私が喋る
「仕事やってみてどう?慣れてきた?
「これからどうしていきたいと思っとる?」

「あなたは、高校やめるって言っとったけど、お父さんとお母さんの気持ちで籍は残してあるやん。今はどう思ってるか教えてくれる?」

辞める、と言ったとして

⑤「辞めるにしても手続きとかあるで自分でやってほしいんやわ。お母さんも一緒に行くで。 なぜなら、もう社会人やし最後まで自分の手でケリをつけた方が、あなたの幸せにつながると思うの。
例えば、バイクの免許を取るのだって、自分で調べて書類揃えて申し込みも自分でして、場所もわからないから駅に電話して自分で行き方教えてもらったよね? それと一緒だと思うんだよね。」


舞台は整いました。
1月31日、夜21時くらいだったかな?
いよいよ初めての家族会議が始まりました。

開始宣言を書いた紙をオットに渡し、とにかくこれをそのまま読んでちょーだい
と頼み、自分が読む事も紙に書いて手元におきました。

オットが議題を言った瞬間、息子が
「辞めるで!」

ちーん...,。

私「うん、わかったけどちょっと待ってね。」

せっかくみんなで一生懸命考えて紡いだ言葉達の出番がなくなるやん!!
内心焦りつつも、お母さんの気持ちを言っても良いですか?と承諾をもらってから、紙に書いてある言葉を読み上げました。

そうしたら、息子が自分で学校に電話して聞く、と言いました。
実は、私はもしかしたら面倒いで聞いといて!と頼まれるかなぁ、と思っていたのです。そこを自分でする、と言うのであっけなく議題終了。

オットは、と言うと開始の宣言をしただけで一言も発していません。
何か言いたい事あるかしらん、と思って最期に私が「お父さんから何かありますか?」とダメ元で聞いてみました。

オット「自分で決めた事なんやから、これから頑張れよ」というような事をサラサラっと言いました。

息子「うん」と言ってた気がします。

...というのも、私ビックリしちゃってちょっと時が止まってしまったんですね。
オットはそんなこと思ってるんやー、とか、そんなこと言えるんやー、とか思ってしまって。
これは、とっても嬉しい誤算でした。

そんなこんなで初めての家族会議は無事終了し、後は手続きだけです。

その手続きも、後日言葉通り自分で連絡してアポを取り、必要なものを持って2月12日金曜日、私と息子で手続きしてきました。

学校に、向かう前にオットに手続きに今から行ってくることをメールしました。
返事を期待してなかったんですが、

「自分で決めたことなのでお願いします」とすぐ返信がきました。

この返事に若干戸惑いつつ(今までスルーが多かったので)かなり励まされ気持ちが少し軽くなりました。

無事手続きも終わり、帰ってきてしばらーく経ってから、オットに終わったことを言ってなかったと思い出し「退学してしまったよ」と私の心境を正直に一言、メールしたんです。

この時も返信は期待してなかったのですがすぐに「自分で決めたことなんで見守ってやろう」と返ってきました。

...うちのオットって、こんな人やった...?
なんか、めっちゃ嬉しくて。
今まで、何で自分の気持ちを言ってくれないの!?という言い争いは何だったんでしょう...?
というくらい別人に感じました。

オットに対しても、ものすごく負の注目をしている自覚はあったのですが、それが少なくなった途端私の理想通りに動き出したオット。
アドラー心理学って、本当に子供だけじゃなく、人間全般に通じるんだ!と体感した瞬間です。
不思議とこうなると、オットへのイラつきも激減!

息子のおかげで、一生縁がないと思っていた家族会議も経験でき、夫婦仲も何とか改善の光りが見えてきました。

それもこれも、自助の皆々様のおかげであります!!
これから、何か起きてもアドラーの教えと仲間がいれば乗り越えられる!
その気持ちを強くしました。


【田中 理絵 2016年3月23日】

私の構えが変わったら

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娘が、同じ幼稚園に通うAちゃんに対して意地悪な発言をしたり手を出すことがよくありました。(娘の通う幼稚園は、ケンカはどんどんやってOK、手を出すのもありという方針ですが、娘がそういうことをするのはAちゃんに対してばかりでした。)

その日は、娘とAちゃんは幼稚園のお友達の家に遊びに行きました。みんなで仲良く遊んでいたのですが、娘がAちゃんとおもちゃの取り合いになりました。娘が言うには、娘が先に取ったおもちゃをAちゃんが取ろうとしたということでした。問題のおもちゃを私が預かり、泣きながら怒る娘をなだめ、何とかまたお友達と遊び始めたのですが、今度は粘土で遊んでいるときに娘が『Aちゃんはやっちゃダメ!』と言い出しました。そしてAちゃんに『ブサイク!』と言われ、持っていた粘土の道具で娘がAちゃんのことをぶってしまいました。
~~~~~~


一昨日、またAちゃんとやり合いました。でもフォロー(『さいたまパセージフォローの会』)でみんなに知恵を出し合ってもらって、私の中では『よし!次はうまいことやるぞ~!』と変なやる気がみなぎっていました。そしてAちゃんとのケンカのあと、ここぞとばかりに閉じた質問や推量を使って色々聞き出そうとしました。でも...娘から返ってくる答えに違和感。。なんだか本心というより、私の求めてる答えをわかって言ってるような、そんな感じがしていました。

そして昨日、幼稚園の先生とお話をする機会があり、娘がAちゃんばかりに手を出すこと・このままで大丈夫なのか・幼稚園での様子などについてきいてみました。

先生からは厳しい言葉が返ってきました(p_-)
友だちにイジワルをしてしまう時、子どもはどんな気持ちかな?満たされた気持ちかな?と聞かれました。私はすごく愛を注いでいると思っているけど、もしかして娘の求めているものとお母さんが与えてるものが微妙にズレてるんじゃないですか?(目標の一致ができてない[笑])と言われました。子どもを信頼してますか?とも。正直心が折れましたが、思い当たる節もありました。

詳しくは省略しますが、昨日はとにかく『この子は大丈夫』と信じることと、娘の求めたことを与えることを意識して過ごしました。と言っても子どもが王様で私が奴隷という感じじゃなくて。今までは私の中で『この子はワガママで自分の思い通りにしようとするところがあるから、そうはいかないということを教えなくては!』という思いがあって、娘が求めてきたことをそのまま受け入れることをあまりしていませんでした。『じゃあ◯◯してからね』とか何かしら私が注文をつけて、何でも思い通りにいくわけじゃないぞ!と無意識のうちに教えようとしてたなーと思ったのです。でも昨日は『心配しなくても大丈夫、ちゃんと育ってく!』と娘を信じられて、娘の気持ちを正面から受け入れられた気がしました。

そしたら、一緒に夕飯の準備をしている時に娘が『Aちゃんにはイジワルしたい気持ちになっちゃう』と自分から話し始めました。『わたしは4月生まれでお姉さんだから、貸してって言われたら嫌でもいいよって言うのに、Aちゃんはヤダって言うんだもん』と言ってきました。そっかー、娘は4月生まれってことを自分なりに意識して色々ガマンしてることがあったんだなーと知ることができました。一昨日聞いた時は、私が焦って聞きすぎて、まるで尋問のようになってしまったのですが、私が構えを変えたら、娘が自分から自分の話したいことを伝えてくれました。一昨日は私の中に、安心する答えを聞きたいという気持ちがどこかにあって、娘がそれを察して模範解答を答えてたような感じでしたが、昨日は娘の本当の気持ちが聞けたようで、とても嬉しかったです。


【戸草内 知代 2016年2月20日】

アドラー心理学効果・・・!?!?

先日の夜、全国で展開をしているあるカフェに行った。
その時、私が注文したのは、ベトナム珈琲。
しかし、飲んでみると、普通のブレンドだったので、
店員の所に行き、
「これ、注文したベトナム珈琲と違うよ」というと・・・
  
なんと!店員は、
「ベトナム珈琲とはね・・・」と、説明をしだした。
(おいおい・・・)
「あ、だから、それと違って、
 普通のブレンドになってるって言ってるんだけど・・・」
 
 
すると、その店員は、「アッ!」と言い、嫌な顔をした。
 (嫌な顔とは、私の受けとめ方だけど)
 
 
そして、別の店員が、ムッとした顔で手を差し出し、
「じゃ、入れ替えます」。
 (このムッというのも、私の受けとめ方)
 
 
さらに、後から来たお客の注文を、
先に処理をされて、
結果、一番後回しにされた・・・
(「マジ」って感じ・・・)
 
 
しばらく待って、ようやく・・・
小さな声でボソボソっと「スイマセンでした」と、
入れ直したベトナム珈琲を手渡されました。
(この時点で、はじめてのスイマセン)
 
 
私は、「ありがとう」と言って、
そのベトナム珈琲を受け取りました。

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私、こういう店員の応対が苦手で、
どうしてもすぐ怒ってしまう・・・
で、私がよく陥るパターンは・・・
「接客態度がなってない!」
「なんだ、あの愛想の悪さは!」
「間違えたんだから、ちゃんと謝れよ!」
「間違えた上に、後回しかよ!」
「まともにお詫びもできないの!」
「これから、この店は、もう二度と行かない」

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が、その時は・・・
いつもとは違う選択をした!
 
 
そりゃ、注文を間違えてくれない方がいいけど・・・
間違うことは、誰だってある・・・
そりゃ、愛想よく対応してくれ、
お詫びの言葉もあった方がいいけど、
別に、それを求めている訳ではない。
 
 
私がして欲しいことは、
間違えたモノを取り替えもらうこと!
 
 
そして、たぶん、店員に対して怒ってしまうと・・・
せっかく、ベトナム珈琲を飲んで、
ゆったりしようとする時間まで、だいなしになって、
何のためにそのカフェに行ったのが分からなくなる・・・
 
 
ということで、
陰性感情(マイナスの感情)が、
少しは発生したが、
それを最少で納めることができた。

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ベトナム珈琲を飲みながら
以下のように自己分析・・・
もしかすると、店員が全員、新人さんで、
余裕がまったくなく、かなりテンパっていたのかもしれない。
であれば・・・
私は、あの人達を勇気づけする行動もできたはず・・・
う~ん・・・
(これは、今後の課題やな)
 
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しかし、これは、私が典型的に怒るパターンだ。
陰性感情に
-5から-1までの点数をつけるとしたら・・・
従来なら、このパターンは、
-4とか、-5ぐらい怒っているかもしれない。
(「悪いあの人、かわいそうな私」ということだ)
が、この時は、-1ぐらいか・・・
しかも、スッと短時間に怒りがなくなっている。
という意味では、
この体験も、よい学びの機会だ!
  
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こういう対応が、
日常生活の中で、少しずつできるようになってきたのも、
アドラー心理学を学んだおかげだと思っています。


【山崎 勝 2014年12月1日】

表面じゃなくて根っこから

 こんばんは~


今日は、昨日転んで腕が痛い
と言っていた息子と病院に行ってきました。

腫れてるし、いつになく痛がってるし、
ヒビでも入っちゃったのかしら?
と思っていたら、
骨折!ですって!!!
あらー。
しかも利き腕


お箸とか鉛筆とか
毎日必須で持つものがとても持ちづらそうなので
不便ではあるようですが、
痛みはそこまででもなく、
骨折というイベント(笑)を
意外と楽しんでいるようなので良かったです~


息子と、病院での待ち時間に
パセージテキストのRのページばかりを
読んでみたんですが。。。。


あ、あれ?!

もしかして、私、
わかったつもりでわかってなかった?!
っていう感覚がありました。

私には能力がある
人々は私の仲間だ

と思ってもらえるような行動を選ぶ。


っていうのがテキストの一番最初の方に書いてあって、
どういう対応をしたらいいのかわからないとき

子どもが上の2つを両方感じられるかどうかを
いつもチェックしましょうね。

と、これは完全に頭にはいっていました。
言葉として。


で、も、

あれあれあれあれ???

わたし、
これを使って、
子どもの行動を変えようとしてたんでは!?
と、思いました。


 早く寝て欲しい、
 宿題やってほしい、
 歯を磨いて欲しい、
 ケンカしないでほしい、

って、
目的が、行動を変えることのままだったんかいっっ!!!
と、かなりの衝撃で。。。。
わかったつもりだったのかよぉぉん
と、ビックリ


そっかー。
目的は習慣づくりとかの行動 じゃなくって
信念を育てるってあったものね。。。


で、ですね。
とりあえずなにをどうしていいか
よくわからなくなっちゃったので、


私には能力がある→自立する
人々は私の仲間だ→社会と調和して暮らせる

だけを目標に私の行動を選んでみようかな?!
と思っているところです。


結果はもう自分で考えないで、
すべて子どもにお任せしようと思います。
もう丸投げします。

なぜなら、わかんないから!!
 アハハハハ~☆


極端かなぁ...と自分でも思ったんですけど、
それでダメなら
真ん中あたりを探ってみます。


いままでは、
結局子どもにこうさせたい、ああさせたい。
の手段として、
アドラーの心構えや考え方や
テクニックを使っていたので、
逆を行きます!


 心配?!将来のため?


とりあえず、置いときます。
子どもが、この対応でなにを学ぶか?

私には能力がある
人々は私の仲間だ

が、ちゃんと伝わってるかどうか
だけに集中して意識してやってみます。



もう、わかんないから、
ちゃんと伝わってるかどうかも聴いちゃえ~!
とか思ってます。
いまのどうだった!?って。

幸い、わりと関係が良い方なので、
多分聴けると思うんですよね。


というよりも、集中したところで
私には能力がある
人々は私の仲間だ

を選べるかどうかが、一番怪しいですけども(汗)


でーもーやーるー

実験実験実験中!!


また進展があったらブログに書きますね~。


【高橋 朋子 2014年9月12日】

共同体への建設的な行動に注目

 「共同体への建設的な行動に注目する」という目的で、クラス内で起こった出来事や、自分自身が体験したエピソードなどを学級通信で紹介するようにしています。


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未来飛行Ⅱ
NO.46(1/30)



 今日の印象的な出来事


 今日、ちょっと印象的なことがありました。今日の理科の授業は、理科室を使って行ったのですが、終わってみると、机の下にチョークの粉が散らばっていました。残っていた人に聞いてみると、誰がやったのか分かりました。これをどうしようかということになりました。やった本人はすでに2組の教室に帰っていました。本人を呼んできて清掃をしてもらうべきか。当然、やった本人の責任なのだから、その人がやるべきだというのが正論です。しかし、今日は、代議員のMさんが「私がやります」と言って、ほうきをもってきて丁寧に粉を掃きとって、そのあとぞうきんがけをしてくれました。すばらしいなと思います。自分がやったのではないから関係ないと考えて見て見ぬふりをすることもできます。でも、もしそのままにしておいたら、次に使うクラスに迷惑がかかります。あるいは、掃除担当の人が、どうして汚れたままにしておいたのだろうと少し嫌な気持ちになりながら処理しなければいけなくなります。

 自分がやったのではないけれど、いま自分にできることがあるなと考えて実行に移したMさんはすばらしいなと思います。さすが2組の代議員です。


 そう言えば、先日こんなことがありました。休日、家族であるスーパーに買い物にいったときのことです。ATMで、母がお金を下ろそうとしていたら、となりに外国人の親子がいて、そのお母さんがATMの機械を操作していました。その隣にいた小さい子がミルクの入ったボトルを逆さにしてしまい、ボトボトとミルクが床にこぼれ始めていました。後ろのベンチに座ってその光景を見ていたボクやボクの家族が、すぐに「ミルクこぼれていますよ」と大きな声で言ったのですが、お母さんはすぐにそれに気づきませんでした。そして、床はミルクがこぼれて大変な状態になってしまいました。ATMの機械操作を終えて、そのお母さんはやっと気づきました。でも、なにくわぬ顔をして、子どもを連れてその場を立ち去ってしまいました。

「どうしようか」とボク自身迷いました。そのままにしておいても、自分がやったことではないし、とがめられることはないでしょうし、責任を追及されることもないでしょう。しばらくしたら、そのスーパーの掃除担当の人が来て、きれいにしてくれるでしょう。それが掃除担当の人の仕事だし、それでお金をもらっているわけです。ボクにはある意味関係のないことなのです。

 しかし、そのときのボクは、そこを掃除しておくことに決めたのです。近くにトイレがあったので、そこのトイレットペーパーを使えばすぐにきれいになりそうです。実際に実行に移してみると、ほんの1、2分できれいになりました。これで何か安心できました。というのは、掃除担当の人がすぐに来てくれるとは限らないし、その間は、床が汚れたままです。そうしたら、このあとATMを使いに来た人は、床の汚れを見て嫌な思いをすることでしょう。それを想像したら、今ボクができることをすぐにしたほうがいいと考えたのです。

 みなさんも、自分がやったことではないけど、自分がすればすぐに終わるような後始末をする機会があったら、実行に移してみてください。とても気持ちがいいですよ。


【瀧口 純二 2013年1月31日】

 2月です。三学期もちょうど半分、今年度の修了まで後1カ月余りとなってしまい、あせる気持ちと、1日1日を大切にしようという思いが重なる毎日です。そんな中での保健室での話をひとつ。


私のような養護教諭の仕事は、人の話を聞くことが多いが、ある日の昼休み保健室にやってきた生徒たちに、「今日は、私の相談きいてくれる?」と尋ねてみた。すると、「かまんよ。きいたる」というOKをもらったので相談にのってもらうことにした。

「彼氏が欲しいし、結婚もしたいけどできんの。どうしたらいい?」という悩みを相談した。すると生徒から、まず「先生、自分のいいところ言ってみて」という質問。ちょっとはずかしいなあと思いながら、二つくらい言うと、何人かが私のいいところと思うところをいくつか付け加えてくれる。

次は、「先生、どんな人が好きなん?」という質問。私の星座や血液型まで聞いてくれたり、最初からのそんなやりとりをカウンセラーふうにメモをしてくれる生徒。生徒たちに人気の占いの本も活用して、私のことを一生懸命理解しようと、そして勇気づけようとしてくれる姿。

結局、「日本中、あちこち行きまくれ」というアドバイスと「あきらめない。ハートを強くして」と自分の胸をたたきながら励ましてくれた。

その後も、私の相談は続き3つ目でチャイムが鳴り時間切れ。保健室を出て行く時に、その中の一人の生徒が「先生、幸せやね」と。「ほんまにほんまに私は幸せやわ」と答える私。

生徒たちがなんとか力になりたいと、思考しながら真摯に向き合ってくれる彼らに勇気と幸せをもらったある日の保健室の昼休みだった。 


【S.K(三重) 2013年2月】

良い緊張を!楽しい努力を!

私の仕事の一つに、「調査報告・意見発表」があります。
特にここ2年ほど、このタイプの仕事の機会が、私にしては増えました。

これがしんどくなるほど緊張するのです。
うまくやりたい!という願いが強すぎて、いつも憂鬱になります。
うまくやりたいのに、現実の自分の出来を冷静に評価すると、今ひとつパッとしない。
発表内容に、いつも自信がもてるわけではないので、
これじゃぁ、来てくれる人に「よかったなー」と思ってもらえないんじゃないか。

偉いさんたちから厳しいコメントをいただいて落ち込んだことも多々あり、
イマイチという評価になることを極度に恐れます。
できれば直前の仕事から逃げたい、あーいやだいやだ、と思うのですが、
直前まで発表の内容を反芻する努力をする方が、その場であまり緊張しない、ということも、経験からわかっています。
失敗したときに、「直前までやってなかったしなー、あれが敗因か」と自責の念にかられますし。

なので、できることは、努力すること。
とにかくやるしかないのです。「すごくイマイチ」から「ちょっとイマイチ」に底上げするためにも。
私の自信は、努力によって支えられています。
ただ、努力が実を結ぶかどうかはわからないんですが....

....これが基本的な私のライフスタイルです。
今の私のままではダメで、理想に近づくためにはもっともっと努力しなければ。
それで、締め切りまで禁欲的にそれにかかりっきりになります。
できれば、他の仕事も遊びも余裕を持って楽しみつつその日を迎えたいのですが、
実際には直前に髪の毛を振り乱して、他の日々のことがおざなりに....。
しんどいんですよね、これ。

実はこのところ、その時の思考を少し意識的に変えています。
昨年、ライフスタイルについていろいろ学び、ワークで代替案も考えてもらったことが、
大きなきっかけになっています。

「無理に背伸びをしようとしても、たかが知れている。
今からでは結果が大きく変わって、びっくりするほど優秀になるわけではない。
だから、あるがままの正味これだけの自分の考えを、
わかりやすく筋の通った形に整理し伝えることを努力して、
みなさんに聞いてもらおう。
そして勉強させてもらおう」

こうお念仏のように唱えて臨んだ発表の仕事を2回終えましたが、
とてもいいです。緊張も心地よいです。

充実感もあり、所属感もあり、みなさんが仲間だ、聞いてくださってありがとう、
という気持ちになります。
あー、これなら、これからもやっていけそうです。

私は攻撃や批判されることに過剰に反応するため、
しんどい仕事を選んでしまったと思うことも多く、
それが仕事のタスクにおける自分の一つの課題でもありました。
仕事を楽しいと思えないことが多かったからです。
向いていないのかなーとも。
(それならその発表の仕事だけをやめればいいのですが、
それをやめてしまったら、また「発表できない自分はダメだな―」と沈んでしまうのです)

でも、「攻撃される」と思うこと自体、タテ関係ですね。
自分は劣っている、と、相手にgive in(屈服)している。
それに、自分の体裁にばかり意識が向いているので、かなりの「自己執着」です。

それが、「攻撃じゃなくて、一緒に考えてもらいたい」という態度をとると、
発表の最中も、質疑応答も、自助グループで感じるような暖かさすら感じることができました。
これは、私にとってものすごく収穫です。
なぜこれが今までできなかったんだろう?
アドラーを知らなかったから?

実際に私が年を重ね、ペーペーではなくなってきた、ということも、理由の一つかも知れません。
周りが私を批判する、「偉い(苦手な?)」先生方ばかりだった時代から、
私の話を聞いてくれようとする同輩、後輩、若い人たちが存在する時代になってきた気がします。
少しずつ、心地よい時代環境へと変化してきたのかもしれません。
いや、そういう人たちを意識的にターゲットにすることで、
心地よい環境を自分で仮想的に作り出せるようになってきた、とも言えるかも。

私はこれからも、
今のままの自分ではちょっとイマイチだなーと思い、
努力して、上げ底でもいいから少しでも良くしたい、と行動してしまうでしょう。
それが私のライフスタイルだから。

でも、もう少し、努力のプロセスを楽しみたいです。
うまくいったときの充実感はよいとしても、その直前のひどい緊張が、
ものすごくストレスで、そろそろしんどくなってきました。

ダメだった時の自分を強迫的にイメージする緊張じゃなくて、
自分をイジめ、追い込む努力を強いる緊張じゃなくて、
人がわかりやすく理解してくれるような論理運びを努力する、という、
充実感の時の自分をイメージする緊張、楽しい緊張にしていけたら、
これからの仕事も長持ちするかも!

成功体験はまだ2回ですが、これからも意識して自己暗示かけてやってみたいと思います!
 


【岡田 尚子 2013年01月14日】

お片づけについて

さっき。

病院から帰ってきたら、ちゃーさん5歳の自転車が出しっぱなしでアパートの脇の通路に出ていました。

隣の子A7歳がちょうど、自分の家の庭でお友達7歳と遊んでいるところでした。
 

わたしは、隣の子Aが出したに違いない。。。勝手に使うのもイラっとするけど
それを出しっぱなしってほんとどういうことなの!?とイライラしました。
かなり怒っていました。

車を降りたちゃーさんもそれを目撃しました。
わたしは何も言っていませんでしたがちゃーさんは、隣の子のところに

『Aちゃん、自転車でてるよ!』と詰問口調でいいました。

『えー(ニヤニヤした感じ)そーなのぉー?でも、Aじゃないよ!』とAちゃんは答えていました。

それを車の陰で聞いていたわたしは、あいつにチガイナイ。。。と思いました。
あの言い方!あれは、自転車が出ていることを知っているいい方だ!

と思いました。

ですが、怒りマックスだったのでとりあえず、自転車もそのままにちゃーさんに何か言うのをやめかえりました。

家に入ってから。。。

Aちゃんのお母さんに言いつけてやろうか。どうやって懲らしめてやろうか。。
とか幼稚な考えも浮かんだけど

わたしは、とにかく、この事件からちゃーさんを勇気付けたい!と思いました。
といっても、どうやって?
とにかく、これについてどう思っているのか聴いてみよう。

わ『ちゃーちゃん、さっき、自転車でてたでしょー?あれどうする?』
ちゃ『Aちゃんにきいたら、Aちゃんじゃないって』
わ『そうなんだー。。。。。。。。。。で?どうしよっか?』
ちゃ『片付ける。ママも手伝って(泣き声)』
わ『ちゃーちゃん、誰かが出した自転車でも片付けようとおもえるんだー。自分が出したものじゃ無くったって、片付けようと思えるんだ!!すごい!尊敬!』
と言いました。
だって、わたしって、誰が出したのかが重要だから。自分の出したものは自分で。
ってちょっと冷たいけどそう思ってるから。
でも、誰が出したにしても片付けようって思えるのってステキだな。。。と思ってでた言葉でした。

ちゃ ニヤニヤしながらかなりうれしそうに『うん!』


そうして、しばらくして、外に一緒に片付けに行ったらAちゃんも外にいました。
いつもは元気に挨拶するAちゃん隠れました。

ヤハリ。。。アイツガ。。。と黒いわたしが出てきかけましたが

Aちゃんのことはほうっておくことにしました。わたしはわが子を勇気付けることを優先しよう!と思って。
普通に挨拶して。

そしたら、後ろから、わたしは怒ってないと思った私にAちゃんが話しかけてきました。

A『どうしたんですか?』
わ『ちゃーちゃんと自転車片付けるトコなんだー』
A『手伝ってあげる!』
わ(あんたが出したくせに。。。手伝うって何よ)と思いつつ何も言わず。

片付けながら、Aちゃんが、ATちゃんが出しっぱなしで帰っちゃったことを言ってくれました。

告げ口っぽいな。。。なんかイヤだな。と思ったけど
とりあえず、教えてくれてありがとう。とだけ伝え、その場は去りました。


帰ってきてから、ちゃーちゃんに、今日、ちゃーちゃんがお友達が出した自転車を片付けてくれてうれしかったです。と伝え、あのことをどう思うか聴いてみたところ

お友達のものつかって、出しっぱなしはダメだと思う。

と言っていました。

それは、わたしもそう思うのでとりあえず、そういう感覚?も育っているようです。

怒りにまかせて対処しなくってよかった~~。。。


【奥田 美幸 2012年9月9日】

 私は受付でA先生の病状を聞いてから、病室に行きました。

 A先生はベッドに寝かされたまま、一人で居られました。静かな病室で、ほとんど音もしません。本を読んだり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、何かを食べたりという楽しみはなく、ただ天井を見て暮らし、看護士さんとのやりとりが少しあるだけという生活のようです。

 私は「久しぶりです。ご無沙汰していました。」と話しかけました。「見えてますか?」と、言いますと、A先生は両目をしっかりと見開きました。でも、固い表情です。

 私は絶望を感じてしまいました(私の勝手な思い込みです)。それから何を話してよいやら困りました。絶望しているだろう彼に対等な関係で話しをする言葉を失ってしまったのです。「I am not OK.You are not OK」です。彼の表情は益々固くなったように思いました。私は何をしにここへ来たのだ?

 私が言葉を失い、どうして対等な関係をつくればよいか、おたおたしている状態を彼は見ています。その見られている自分が情けなくなりました。彼と特別の友達であったはずの私が、その他大勢以下の、彼を哀れんでいる卑しい人間に思えて、その場を逃げ出したくなりました。

 私はお見舞いに来たことを、素直に表現することができませんでした。「お見舞いに来ました」と言いながら、和らいだ表情で彼の前に素直に存在するだけでいいのに、それが出来ません。
 
 私はリュックサックを開けて、持っていた本「生活の貧しさと心の貧しさ」をめくりました。その中のどこかを朗読し、私が現在読んでいる本について、その面白さを分かち合おうと考えたからです。

 この本は大塚久男という経済学者の講演や対談を編集してつくられた本です。私は本をめくり、どこの一節を読もうかと探しました。そのごそごそしている時間の長かったこと。しかし、A先生は和らいだ表情で、私がごそごそしているのを待っていてくださいました。

 私は大塚久男さんが詩人の集まりで講演された部分を読むことにしました。その講演は、ある詩を読んでの大塚さんの感想を語りながら、その中に大塚さんの思想が込められています。

 ふりて消え溶けて透きゆく春の雪かく柔らかに時は移ろふ

 大塚さんは大病を患い、何度も大きな手術を体験されています。私は淡々と朗読し続けました。

 「手術が終わりましても痛みは直りません。むしろ麻酔がさめてその晩あたりから却って痛みが出てまいりますし、いろいろの苦しみが多かったような気がします。けれども、もうすでにこの苦しみは確実に終わるんだという確かな約束が与えられている。その確信をもちながら過ごす日々というものこそ"かく柔らかに時は移ろふ"とおうたいになったその時間だった、と実は思いあたったわけなのでございます。ああこれだ、なるほど、この歌をおつくりになった方も、きっと何かそういう経験がおありになって、春の雪の溶けていくさまをお詠みになりながら、そういう心境がおのずからそこに滲み出てきたのだなと想像いたしました。あるいは間違っているかもしれませんが、私にはそう感じられました。

 ところが、最後の"かく柔らかに時は移ろふ"という1句には、それだけではない、まだ何か残っているというような気がいたしまして、いろいろと考え続けました。歌をお作りになったご本人の気持に踏み入りすぎたり、あるいは厚かましく歪めたり捏造しているかもしれないけれど、私はこの"かく柔らかに時は移ろふ"という言葉にはもっと不思議な輝きというか、光がつきまとっているような気がして、実は、こんな風に考えるようになりました。

 手術後の苦しみ、そうした肉体の苦しみから解放されるということだけではなくて、もっと人間の内面的な苦しみから救われる、あるいは脱(のが)れ出る、その心境もまたそこに表現されているのではないか。ある救いの確実な約束が与えられた、その救いはまだ実現していないが、いつか必ず完遂されるにちがいない・・・そういうときの心境ではないか、と。」
 
 この後、文章は現代人の心の苦しみについて、そして宗教についてふれながら続いて行きます。私は人の気配を感じながら、それを読み続けていました。

 すると、しばらくして「リハビリをしたいのですがどうしましょうか」と看護士さんが言われました。「あっ、ごめんなさい。リハビリをお願いします」と、私は本を閉じました。すると、看護士さんは「このまま本を読むのがいいか、リハビリをするのがいいか、本人に聞いてみましょう。折角の機会ですし、リハビリは明日でもできますから」とニコニコしながら言われました。

 A先生は、本を読み続ける方にYesのサインを送ってくださいました。

 私は最後まで朗読し、別れのときにA先生に握手を求めました。A先生はとても柔らかな表情で、握手を返してくださいました。彼の手はとても温かでした。

 私は情けない自分から逃げ出さず、A先生と喜びを分かち合うという課題に挑戦することができました。

 振り返ってみると、私はこの時、普通でいることの勇気をもたず、A先生に特別な人間であろうとしています。もしそれが失敗していたとしても、失敗を受け入れる勇気があり、再度A先生のお見舞いに挑戦できれば、それは普通でいることの勇気をもっているということになるのではないかなと思います。


【棗田 眞一 2010年11月5日】