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その時、私が注文したのは、ベトナム珈琲。
しかし、飲んでみると、普通のブレンドだったので、
店員の所に行き、
「これ、注文したベトナム珈琲と違うよ」というと・・・
なんと!店員は、
「ベトナム珈琲とはね・・・」と、説明をしだした。
(おいおい・・・)
「あ、だから、それと違って、
普通のブレンドになってるって言ってるんだけど・・・」
すると、その店員は、「アッ!」と言い、嫌な顔をした。
(嫌な顔とは、私の受けとめ方だけど)
そして、別の店員が、ムッとした顔で手を差し出し、
「じゃ、入れ替えます」。
(このムッというのも、私の受けとめ方)
さらに、後から来たお客の注文を、
先に処理をされて、
結果、一番後回しにされた・・・
(「マジ」って感じ・・・)
しばらく待って、ようやく・・・
小さな声でボソボソっと「スイマセンでした」と、
入れ直したベトナム珈琲を手渡されました。
(この時点で、はじめてのスイマセン)
私は、「ありがとう」と言って、
そのベトナム珈琲を受け取りました。
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私、こういう店員の応対が苦手で、
どうしてもすぐ怒ってしまう・・・
で、私がよく陥るパターンは・・・
「接客態度がなってない!」
「なんだ、あの愛想の悪さは!」
「間違えたんだから、ちゃんと謝れよ!」
「間違えた上に、後回しかよ!」
「まともにお詫びもできないの!」
「これから、この店は、もう二度と行かない」
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が、その時は・・・
いつもとは違う選択をした!
そりゃ、注文を間違えてくれない方がいいけど・・・
間違うことは、誰だってある・・・
そりゃ、愛想よく対応してくれ、
お詫びの言葉もあった方がいいけど、
別に、それを求めている訳ではない。
私がして欲しいことは、
間違えたモノを取り替えもらうこと!
そして、たぶん、店員に対して怒ってしまうと・・・
せっかく、ベトナム珈琲を飲んで、
ゆったりしようとする時間まで、だいなしになって、
何のためにそのカフェに行ったのが分からなくなる・・・
ということで、
陰性感情(マイナスの感情)が、
少しは発生したが、
それを最少で納めることができた。
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ベトナム珈琲を飲みながら
以下のように自己分析・・・
もしかすると、店員が全員、新人さんで、
余裕がまったくなく、かなりテンパっていたのかもしれない。
であれば・・・
私は、あの人達を勇気づけする行動もできたはず・・・
う~ん・・・
(これは、今後の課題やな)
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しかし、これは、私が典型的に怒るパターンだ。
陰性感情に
-5から-1までの点数をつけるとしたら・・・
従来なら、このパターンは、
-4とか、-5ぐらい怒っているかもしれない。
(「悪いあの人、かわいそうな私」ということだ)
が、この時は、-1ぐらいか・・・
しかも、スッと短時間に怒りがなくなっている。
という意味では、
この体験も、よい学びの機会だ!
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こういう対応が、
日常生活の中で、少しずつできるようになってきたのも、
アドラー心理学を学んだおかげだと思っています。
【山崎 勝 2014年12月1日】
「共同体への建設的な行動に注目する」という目的で、クラス内で起こった出来事や、自分自身が体験したエピソードなどを学級通信で紹介するようにしています。
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未来飛行Ⅱ
NO.46(1/30)
今日の印象的な出来事
今日、ちょっと印象的なことがありました。今日の理科の授業は、理科室を使って行ったのですが、終わってみると、机の下にチョークの粉が散らばっていました。残っていた人に聞いてみると、誰がやったのか分かりました。これをどうしようかということになりました。やった本人はすでに2組の教室に帰っていました。本人を呼んできて清掃をしてもらうべきか。当然、やった本人の責任なのだから、その人がやるべきだというのが正論です。しかし、今日は、代議員のMさんが「私がやります」と言って、ほうきをもってきて丁寧に粉を掃きとって、そのあとぞうきんがけをしてくれました。すばらしいなと思います。自分がやったのではないから関係ないと考えて見て見ぬふりをすることもできます。でも、もしそのままにしておいたら、次に使うクラスに迷惑がかかります。あるいは、掃除担当の人が、どうして汚れたままにしておいたのだろうと少し嫌な気持ちになりながら処理しなければいけなくなります。
自分がやったのではないけれど、いま自分にできることがあるなと考えて実行に移したMさんはすばらしいなと思います。さすが2組の代議員です。
そう言えば、先日こんなことがありました。休日、家族であるスーパーに買い物にいったときのことです。ATMで、母がお金を下ろそうとしていたら、となりに外国人の親子がいて、そのお母さんがATMの機械を操作していました。その隣にいた小さい子がミルクの入ったボトルを逆さにしてしまい、ボトボトとミルクが床にこぼれ始めていました。後ろのベンチに座ってその光景を見ていたボクやボクの家族が、すぐに「ミルクこぼれていますよ」と大きな声で言ったのですが、お母さんはすぐにそれに気づきませんでした。そして、床はミルクがこぼれて大変な状態になってしまいました。ATMの機械操作を終えて、そのお母さんはやっと気づきました。でも、なにくわぬ顔をして、子どもを連れてその場を立ち去ってしまいました。
「どうしようか」とボク自身迷いました。そのままにしておいても、自分がやったことではないし、とがめられることはないでしょうし、責任を追及されることもないでしょう。しばらくしたら、そのスーパーの掃除担当の人が来て、きれいにしてくれるでしょう。それが掃除担当の人の仕事だし、それでお金をもらっているわけです。ボクにはある意味関係のないことなのです。
しかし、そのときのボクは、そこを掃除しておくことに決めたのです。近くにトイレがあったので、そこのトイレットペーパーを使えばすぐにきれいになりそうです。実際に実行に移してみると、ほんの1、2分できれいになりました。これで何か安心できました。というのは、掃除担当の人がすぐに来てくれるとは限らないし、その間は、床が汚れたままです。そうしたら、このあとATMを使いに来た人は、床の汚れを見て嫌な思いをすることでしょう。それを想像したら、今ボクができることをすぐにしたほうがいいと考えたのです。
みなさんも、自分がやったことではないけど、自分がすればすぐに終わるような後始末をする機会があったら、実行に移してみてください。とても気持ちがいいですよ。
【瀧口 純二 2013年1月31日】
私のような養護教諭の仕事は、人の話を聞くことが多いが、ある日の昼休み保健室にやってきた生徒たちに、「今日は、私の相談きいてくれる?」と尋ねてみた。すると、「かまんよ。きいたる」というOKをもらったので相談にのってもらうことにした。
「彼氏が欲しいし、結婚もしたいけどできんの。どうしたらいい?」という悩みを相談した。すると生徒から、まず「先生、自分のいいところ言ってみて」という質問。ちょっとはずかしいなあと思いながら、二つくらい言うと、何人かが私のいいところと思うところをいくつか付け加えてくれる。
次は、「先生、どんな人が好きなん?」という質問。私の星座や血液型まで聞いてくれたり、最初からのそんなやりとりをカウンセラーふうにメモをしてくれる生徒。生徒たちに人気の占いの本も活用して、私のことを一生懸命理解しようと、そして勇気づけようとしてくれる姿。
結局、「日本中、あちこち行きまくれ」というアドバイスと「あきらめない。ハートを強くして」と自分の胸をたたきながら励ましてくれた。
その後も、私の相談は続き3つ目でチャイムが鳴り時間切れ。保健室を出て行く時に、その中の一人の生徒が「先生、幸せやね」と。「ほんまにほんまに私は幸せやわ」と答える私。
生徒たちがなんとか力になりたいと、思考しながら真摯に向き合ってくれる彼らに勇気と幸せをもらったある日の保健室の昼休みだった。
【S.K(三重) 2013年2月】
特にここ2年ほど、このタイプの仕事の機会が、私にしては増えました。
これがしんどくなるほど緊張するのです。
うまくやりたい!という願いが強すぎて、いつも憂鬱になります。
うまくやりたいのに、現実の自分の出来を冷静に評価すると、今ひとつパッとしない。
発表内容に、いつも自信がもてるわけではないので、
これじゃぁ、来てくれる人に「よかったなー」と思ってもらえないんじゃないか。
偉いさんたちから厳しいコメントをいただいて落ち込んだことも多々あり、
イマイチという評価になることを極度に恐れます。
できれば直前の仕事から逃げたい、あーいやだいやだ、と思うのですが、
直前まで発表の内容を反芻する努力をする方が、その場であまり緊張しない、ということも、経験からわかっています。
失敗したときに、「直前までやってなかったしなー、あれが敗因か」と自責の念にかられますし。
なので、できることは、努力すること。
とにかくやるしかないのです。「すごくイマイチ」から「ちょっとイマイチ」に底上げするためにも。
私の自信は、努力によって支えられています。
ただ、努力が実を結ぶかどうかはわからないんですが....
....これが基本的な私のライフスタイルです。
今の私のままではダメで、理想に近づくためにはもっともっと努力しなければ。
それで、締め切りまで禁欲的にそれにかかりっきりになります。
できれば、他の仕事も遊びも余裕を持って楽しみつつその日を迎えたいのですが、
実際には直前に髪の毛を振り乱して、他の日々のことがおざなりに....。
しんどいんですよね、これ。
実はこのところ、その時の思考を少し意識的に変えています。
昨年、ライフスタイルについていろいろ学び、ワークで代替案も考えてもらったことが、
大きなきっかけになっています。
「無理に背伸びをしようとしても、たかが知れている。
今からでは結果が大きく変わって、びっくりするほど優秀になるわけではない。
だから、あるがままの正味これだけの自分の考えを、
わかりやすく筋の通った形に整理し伝えることを努力して、
みなさんに聞いてもらおう。
そして勉強させてもらおう」
こうお念仏のように唱えて臨んだ発表の仕事を2回終えましたが、
とてもいいです。緊張も心地よいです。
充実感もあり、所属感もあり、みなさんが仲間だ、聞いてくださってありがとう、
という気持ちになります。
あー、これなら、これからもやっていけそうです。
私は攻撃や批判されることに過剰に反応するため、
しんどい仕事を選んでしまったと思うことも多く、
それが仕事のタスクにおける自分の一つの課題でもありました。
仕事を楽しいと思えないことが多かったからです。
向いていないのかなーとも。
(それならその発表の仕事だけをやめればいいのですが、
それをやめてしまったら、また「発表できない自分はダメだな―」と沈んでしまうのです)
でも、「攻撃される」と思うこと自体、タテ関係ですね。
自分は劣っている、と、相手にgive in(屈服)している。
それに、自分の体裁にばかり意識が向いているので、かなりの「自己執着」です。
それが、「攻撃じゃなくて、一緒に考えてもらいたい」という態度をとると、
発表の最中も、質疑応答も、自助グループで感じるような暖かさすら感じることができました。
これは、私にとってものすごく収穫です。
なぜこれが今までできなかったんだろう?
アドラーを知らなかったから?
実際に私が年を重ね、ペーペーではなくなってきた、ということも、理由の一つかも知れません。
周りが私を批判する、「偉い(苦手な?)」先生方ばかりだった時代から、
私の話を聞いてくれようとする同輩、後輩、若い人たちが存在する時代になってきた気がします。
少しずつ、心地よい時代環境へと変化してきたのかもしれません。
いや、そういう人たちを意識的にターゲットにすることで、
心地よい環境を自分で仮想的に作り出せるようになってきた、とも言えるかも。
私はこれからも、
今のままの自分ではちょっとイマイチだなーと思い、
努力して、上げ底でもいいから少しでも良くしたい、と行動してしまうでしょう。
それが私のライフスタイルだから。
でも、もう少し、努力のプロセスを楽しみたいです。
うまくいったときの充実感はよいとしても、その直前のひどい緊張が、
ものすごくストレスで、そろそろしんどくなってきました。
ダメだった時の自分を強迫的にイメージする緊張じゃなくて、
自分をイジめ、追い込む努力を強いる緊張じゃなくて、
人がわかりやすく理解してくれるような論理運びを努力する、という、
充実感の時の自分をイメージする緊張、楽しい緊張にしていけたら、
これからの仕事も長持ちするかも!
成功体験はまだ2回ですが、これからも意識して自己暗示かけてやってみたいと思います!
【岡田 尚子 2013年01月14日】
さっき。
病院から帰ってきたら、ちゃーさん5歳の自転車が出しっぱなしでアパートの脇の通路に出ていました。
隣の子A7歳がちょうど、自分の家の庭でお友達7歳と遊んでいるところでした。
わたしは、隣の子Aが出したに違いない。。。勝手に使うのもイラっとするけど
それを出しっぱなしってほんとどういうことなの!?とイライラしました。
かなり怒っていました。
車を降りたちゃーさんもそれを目撃しました。
わたしは何も言っていませんでしたがちゃーさんは、隣の子のところに
『Aちゃん、自転車でてるよ!』と詰問口調でいいました。
『えー(ニヤニヤした感じ)そーなのぉー?でも、Aじゃないよ!』とAちゃんは答えていました。
それを車の陰で聞いていたわたしは、あいつにチガイナイ。。。と思いました。
あの言い方!あれは、自転車が出ていることを知っているいい方だ!
と思いました。
ですが、怒りマックスだったのでとりあえず、自転車もそのままにちゃーさんに何か言うのをやめかえりました。
家に入ってから。。。
Aちゃんのお母さんに言いつけてやろうか。どうやって懲らしめてやろうか。。
とか幼稚な考えも浮かんだけど
わたしは、とにかく、この事件からちゃーさんを勇気付けたい!と思いました。
といっても、どうやって?
とにかく、これについてどう思っているのか聴いてみよう。
わ『ちゃーちゃん、さっき、自転車でてたでしょー?あれどうする?』
ちゃ『Aちゃんにきいたら、Aちゃんじゃないって』
わ『そうなんだー。。。。。。。。。。で?どうしよっか?』
ちゃ『片付ける。ママも手伝って(泣き声)』
わ『ちゃーちゃん、誰かが出した自転車でも片付けようとおもえるんだー。自分が出したものじゃ無くったって、片付けようと思えるんだ!!すごい!尊敬!』
と言いました。
だって、わたしって、誰が出したのかが重要だから。自分の出したものは自分で。
ってちょっと冷たいけどそう思ってるから。
でも、誰が出したにしても片付けようって思えるのってステキだな。。。と思ってでた言葉でした。
ちゃ ニヤニヤしながらかなりうれしそうに『うん!』
そうして、しばらくして、外に一緒に片付けに行ったらAちゃんも外にいました。
いつもは元気に挨拶するAちゃん隠れました。
ヤハリ。。。アイツガ。。。と黒いわたしが出てきかけましたが
Aちゃんのことはほうっておくことにしました。わたしはわが子を勇気付けることを優先しよう!と思って。
普通に挨拶して。
そしたら、後ろから、わたしは怒ってないと思った私にAちゃんが話しかけてきました。
A『どうしたんですか?』
わ『ちゃーちゃんと自転車片付けるトコなんだー』
A『手伝ってあげる!』
わ(あんたが出したくせに。。。手伝うって何よ)と思いつつ何も言わず。
片付けながら、Aちゃんが、ATちゃんが出しっぱなしで帰っちゃったことを言ってくれました。
告げ口っぽいな。。。なんかイヤだな。と思ったけど
とりあえず、教えてくれてありがとう。とだけ伝え、その場は去りました。
帰ってきてから、ちゃーちゃんに、今日、ちゃーちゃんがお友達が出した自転車を片付けてくれてうれしかったです。と伝え、あのことをどう思うか聴いてみたところ
お友達のものつかって、出しっぱなしはダメだと思う。
と言っていました。
それは、わたしもそう思うのでとりあえず、そういう感覚?も育っているようです。
怒りにまかせて対処しなくってよかった~~。。。
【奥田 美幸 2012年9月9日】
私は受付でA先生の病状を聞いてから、病室に行きました。
A先生はベッドに寝かされたまま、一人で居られました。静かな病室で、ほとんど音もしません。本を読んだり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、何かを食べたりという楽しみはなく、ただ天井を見て暮らし、看護士さんとのやりとりが少しあるだけという生活のようです。
私は「久しぶりです。ご無沙汰していました。」と話しかけました。「見えてますか?」と、言いますと、A先生は両目をしっかりと見開きました。でも、固い表情です。
私は絶望を感じてしまいました(私の勝手な思い込みです)。それから何を話してよいやら困りました。絶望しているだろう彼に対等な関係で話しをする言葉を失ってしまったのです。「I am not OK.You are not OK」です。彼の表情は益々固くなったように思いました。私は何をしにここへ来たのだ?
私が言葉を失い、どうして対等な関係をつくればよいか、おたおたしている状態を彼は見ています。その見られている自分が情けなくなりました。彼と特別の友達であったはずの私が、その他大勢以下の、彼を哀れんでいる卑しい人間に思えて、その場を逃げ出したくなりました。
私はお見舞いに来たことを、素直に表現することができませんでした。「お見舞いに来ました」と言いながら、和らいだ表情で彼の前に素直に存在するだけでいいのに、それが出来ません。
私はリュックサックを開けて、持っていた本「生活の貧しさと心の貧しさ」をめくりました。その中のどこかを朗読し、私が現在読んでいる本について、その面白さを分かち合おうと考えたからです。
この本は大塚久男という経済学者の講演や対談を編集してつくられた本です。私は本をめくり、どこの一節を読もうかと探しました。そのごそごそしている時間の長かったこと。しかし、A先生は和らいだ表情で、私がごそごそしているのを待っていてくださいました。
私は大塚久男さんが詩人の集まりで講演された部分を読むことにしました。その講演は、ある詩を読んでの大塚さんの感想を語りながら、その中に大塚さんの思想が込められています。
ふりて消え溶けて透きゆく春の雪かく柔らかに時は移ろふ
大塚さんは大病を患い、何度も大きな手術を体験されています。私は淡々と朗読し続けました。
「手術が終わりましても痛みは直りません。むしろ麻酔がさめてその晩あたりから却って痛みが出てまいりますし、いろいろの苦しみが多かったような気がします。けれども、もうすでにこの苦しみは確実に終わるんだという確かな約束が与えられている。その確信をもちながら過ごす日々というものこそ"かく柔らかに時は移ろふ"とおうたいになったその時間だった、と実は思いあたったわけなのでございます。ああこれだ、なるほど、この歌をおつくりになった方も、きっと何かそういう経験がおありになって、春の雪の溶けていくさまをお詠みになりながら、そういう心境がおのずからそこに滲み出てきたのだなと想像いたしました。あるいは間違っているかもしれませんが、私にはそう感じられました。
ところが、最後の"かく柔らかに時は移ろふ"という1句には、それだけではない、まだ何か残っているというような気がいたしまして、いろいろと考え続けました。歌をお作りになったご本人の気持に踏み入りすぎたり、あるいは厚かましく歪めたり捏造しているかもしれないけれど、私はこの"かく柔らかに時は移ろふ"という言葉にはもっと不思議な輝きというか、光がつきまとっているような気がして、実は、こんな風に考えるようになりました。
手術後の苦しみ、そうした肉体の苦しみから解放されるということだけではなくて、もっと人間の内面的な苦しみから救われる、あるいは脱(のが)れ出る、その心境もまたそこに表現されているのではないか。ある救いの確実な約束が与えられた、その救いはまだ実現していないが、いつか必ず完遂されるにちがいない・・・そういうときの心境ではないか、と。」
この後、文章は現代人の心の苦しみについて、そして宗教についてふれながら続いて行きます。私は人の気配を感じながら、それを読み続けていました。
すると、しばらくして「リハビリをしたいのですがどうしましょうか」と看護士さんが言われました。「あっ、ごめんなさい。リハビリをお願いします」と、私は本を閉じました。すると、看護士さんは「このまま本を読むのがいいか、リハビリをするのがいいか、本人に聞いてみましょう。折角の機会ですし、リハビリは明日でもできますから」とニコニコしながら言われました。
A先生は、本を読み続ける方にYesのサインを送ってくださいました。
私は最後まで朗読し、別れのときにA先生に握手を求めました。A先生はとても柔らかな表情で、握手を返してくださいました。彼の手はとても温かでした。
私は情けない自分から逃げ出さず、A先生と喜びを分かち合うという課題に挑戦することができました。
振り返ってみると、私はこの時、普通でいることの勇気をもたず、A先生に特別な人間であろうとしています。もしそれが失敗していたとしても、失敗を受け入れる勇気があり、再度A先生のお見舞いに挑戦できれば、それは普通でいることの勇気をもっているということになるのではないかなと思います。
【棗田 眞一 2010年11月5日】