2011年5月アーカイブ

アドラー心理学心理学のサイコドラマワークショップ、かささぎ座「巣作りの段」に参加しました。
学んだことを、書いてみようと思います。


1.心理劇の監督とはどういう仕事をするのか?


「クライエントが前に出てきた瞬間、いえ、立ち上がった瞬間からそのライフスタイルや気の方向に気付いていること。そして即座に解決の方向性を予測する。話を聞きながら、解決の方向を決める。解決の方向に向かって、いろいろな技法を繰り出す。」
こう書いてみると、普通の心理療法のセッションとどこが違うのかしら、と思ってしまいますが、これが大変に違っていました。

まず、個人セッションではクライエントさんは、向こうから「話すぞ」と思って来てくださいますが、心理劇ではいきなりその場でクライエントさんにお誘いをかけなければなりません。いきなり「その気」にさせなければならないのです。

また、個人の心理療法では、クライエントさんは原則として一人です。狭いセッションルームに自分とクライエントさんと二人、その範囲にだけ気を配っていればいいのですが、心理劇の監督は、セッション中会場の隅々まで意識を配っていなければなりません。プロタゴニスト(主役)であるクライエントや他の役者さんはもちろん、観客までも、会場にいるすべての人を忘れてはいけないのです。その、会場の隅々まで影響を与える力を、「テレ(tele)」というのだそうです。心理劇では監督に強いテレが求められますが、個人セッションではそれほどまでに強いテレは必要ないと思われます。

それから、個人セッションではセラピストもクライエントも原則として座っています。ところが心理劇では、監督は、常に動いていなければなりません。それは、前に書いたように、会場の隅々まで意識を及ぼすこととも関係がありますし、よりよいドラマを演出をするためでもあります。

などなど、サイコドラマの監督は、それはそれは大変な仕事だと、感覚としてだけでなく、その理由も理解しながら納得しました。


2.サイコドラマを作るのにどうして演劇を勉強する必要があるのか?


これも、感覚としては当然のように思われます。心理劇だって「劇」ですから、演劇の知識がある方がよいものができるでしょう。これを、実際に体験して納得することができました。

初日は戯曲の台本から一部を取り出し、舞台を作ってみるという実習でしたが、このときに監督見習い生は「役者に指示するときは具体的な指示を出すように。『悲しそうに』とかいった指示はいけません。」と言われました。具体的な指示とは例えば、声を高く、とか、目線をどこに、とか、どのあたりに立ってどっちを向いて、とか、そうしたことです。そんなことが心理劇でどう役にたつのでしょう??

2日目のあるケースでのことです。エピソードの中で、プロタゴニスト(主役=クライエント)に向かって野田先生が、「そのせりふを、相手役の近くに寄って言ってみて」とおっしゃいました。実際にそのように演じてみると、プロタゴニストの体の感じが前と変わり、それにつれてセリフも自然に変わりました。すると相手役の体の感じとセリフも変わったのです。プロタゴニストの人は「こうやって近づいて言ってみたことはないですね、これはいいですね。」と話しておられたように記憶しています。

このとき、初日にお芝居の台本で「具体的な指示」を練習した意味が深く理解できました。役者と役者の距離を具体的に指示して、演じると、それまでと違ったコミュニケーションが生まれるのです。問題のエピソードをドラマにしたときに、プロタゴニストが「平等の位置」や「相互尊敬、相互信頼」に立つにはどうしたらいいかを監督は考えます。そのために様々な技法を使うのですが、配役の立ち位置や声の出し方の効果について知っていることも心理劇をつくるのにとても大切なことだと、体験し納得しました。


3.自分のライフスタイルについて


実習の合間に野田先生が、「だいたい心理療法やカウンセリングをやろうっていう人間は、とっても強い支配欲をもっています。話をして人の人生をかえてやろうなんて人間は、権力への欲求がとても強いんです。」とおっしゃいました。私はこのとき、なんだ、そうだったのか、と思いました。

私は、とても権力欲の強い人間です。それをうすうす感じていましたが、ただ、権力欲が強いことはよくないことだと思っていました。野田先生のこの言葉を聞いて私は、「なんだ、権力欲が強ければそれを建設的な方向に使えばいいんだ」と思ったのです。

「権力欲が強いことはよくない」と思いながら行動したら、タテ関係の中での行動になるでしょう。しかし、「私って権力欲が強いのよね」と思いながらそのとき自分にできることをすると、ヨコの関係にありながら行動できるかもしれません。


4.実習:みなさまありがとうございました。


2日目の実習の順番は、監督見習い生のみんなで決めたのですが、じゃんけんに負けて一番になってしまいました。

朝一番、野田先生がウォーミングアップの見本を見せてくださった後、「じゃ、始め」の言葉とともに拍子木が鳴りました。

今回は、ウォーミングアップとして、監督がみんなをお芝居の世界へ誘わなければなりません。そうしながら、観客の中からクライエントを一人選び出します。以前かささぎ座で監督見習いをさせていただいたときは、予めインテイクをとり、どの人が次のクライエントさんか、決まっていました。監督が舞台に現れるときも、ファンファーレが鳴ってフレームがそこで変わり、「はい、これからお芝居の時間ですよ」と、みんなでお芝居の世界に入っていくことができました。しかし、今回はファンファーレはありませんし、クライエントさんも決まっていません。

ここで私は本当に途方に暮れてしまいました。始めのウォーミングアップで、もう、何をしたらいいのか皆目わからなかったのです。思いついたことをやってみて失敗し、舞台袖にあたるあたりで立ち往生してしまいました。頭は真っ白です。アイデアも何も浮かびません。

どれくらいの時間、そこに黙って立っていたかわかりませんが、とにかくとにかくとにかく動こう、と思ってやってみたら、どうにか場を進めることができました。その間、会場にいたすべてのみなさまが、本当に辛抱強く待っていてくださいました。ぎこちないウォーミングアップ中も暖かくご協力くだいました。そして最後まで見届けてくださいました。本当にありがとうございました。またあのとき、厳しく逃げ道をふさいでくださった野田先生にも深く感謝しております。

見習いではあっても「監督」である限り、そのセッションで起きることのすべてに責任を持たなければなりません。なにがあっても途中で逃げ出すことは、あってはならないのです。なんだ、アドラー心理学を実践するってことではありませんか。それはそうなのですが、しかしそれにしても厳しかったです~。
それでも、また機会があればやってみたいと思います。


野田先生のご指導とスタッフの方々の暖かい支えのもと、監督見習い生同志はもちろん、参加された人達が共に協力して応援しあって学びあう、とっても素敵な体験をさせていただきました。厳しく優しく暖かく、怒号に涙に笑いあり、まさに人間ドラマの3日間でした。

 

【大竹 優子 2011年5月9日】