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盛岡でアドラーを学ぶ

盛岡でともにアドラーを学ぶ仲間が、アドラー心理学講演会「21世紀の子育てと教育」と「教師のためのケース・カンファランス」を企画してくれた。東北・北海道で、野田先生から教えを受ける機会は珍しい。残念ながら、講演会の方は、8月1日土曜日開催なので参加することができない。でも、アドラーネットで、「教師のためのケース・カンファランス」がとても学べる内容だと知り、早速申し込んだ。前日仕事が終わってから、スーパー特急白鳥、東北新幹線はやぶさを乗り継いで、盛岡へ向かう。

そして、翌日、待望の「教師のためのケース・カンファランス」。最初から圧倒されてしまった。先生方がクライエントになって、日頃、教育現場で悩んでいること、詰まっていることをお話しする。野田先生は、いとも簡単に絡んだ糸を解きほぐしていく。

野田先生が強調していたのは、まず第1に、教科指導をしっかりすること。第2に、不適切な行動はクラスへの適応行動であることを理解すること。第3に、子どもの不適応行動はクラスの中で起こっている、従って、クラスの中で解決を見つけること。

それを一つ一つの事例に即して解き明かしていく。7人の方が、実に様々な問題を持ってこられ、それぞれに一つ二つ大きく解決に役立つヒントを得て帰られたものと思う。野田先生の知識と技に感服する思いであった。野田先生は、ただアドラー心理学の理論を単純に応用しただけだとおっしゃる。でもそこには、野田先生の様々な分野に及ぶ広く深い知識(何しろ学校の先生方が舌を巻くようなそれぞれの教科に対する知識)と豊富な臨床経験からくる生きた知恵が必要なのだと思う。

教育現場と小児科臨床の現場と場所は変わっても、動かす原理は変わらない。とくに不登校をはじめとする心身症関連の疾患への対応に応用できることが多い。また、クリニックの職場運営に役に立つヒントもたくさんいただいた。途中、年齢ごとの子どもの発達状況の概略とそれに即した接し方の工夫をお話ししてくれたが、それもとても勉強になった。小児科の現場でも、大いに役に立つ知識だと思う。

アルフレッド・アドラーは、臨床家であったが、第1次世界大戦に従軍して帰って来てから、子どもたちの教育に力を入れるようになった。すべての子どもが何らかの教育をうけるので、教師がアドラー心理学を学び、教育実践が変わることで子どもが大きく変わるのではと考えたらしい。確かに、今回の相談に来た先生方が、アドラー心理学に基づいた助言を実行したならば、クラスが大きく変わり、多くの子どもたちがそれに影響を受けて、変わっていくのではないかと思えた。

北海道でも、このような場を持てるといいなと思う。今教育現場に必要なのは、アドラー心理学の理論に裏付けられた技なのではないかと思う。

帰りの列車にから見る夕焼け。いつになく美しいと思った。そして、お土産の南部せんべい。盛岡は、折よくさんさ踊りの真っ最中。踊りのパレードを見ることはできなかったが、お土産缶にさんさ踊りが・・・東北の熱い情熱を七飯に届けるのにちょうどいい土産となった。


【高柳 滋治(北海道)2014年8月3日】

Re:ケース・セミナー

大阪で行われたケースセミナーに参加し、心療内科クリニックでライフスタイル分析をしているケースをスーパーヴァイズしていただきました。
そしてとても大切なことを勉強させていただきました。

他の事例からもたくさんのことを教えていただきましたが、特に自分のケースで一番大きく学んだことを書きます。

それは、医療の枠組みの中で治療としてライフスタイル分析をすることについて、です。

1.症状(身体的問題)はorgan dialect(器官言語)である。

アドラーは、「人の劣等な器官が心理学的影響を受けて、それに反応して器官言葉(organ laguage)を話すことがあります。その言葉はつまり、眼の前にある問題に対するその個人の態度を表現しているのです。」と述べています。そして、このようにしてあらわれる症状をorgan dialect(器官言語)と呼び、「この器官言語を理解することは不可欠です。」と言いました。(IPAA,p308,p310)

患者さんはふつう、ある症状をもって医師にかかります。医師は診察したり検査をして、その症状の原因となりうる異常を探します。が、そうした検査などで異常が見られなくても症状がある場合があります。そういう時に医師は心身症を考えて、心療内科へ行くようにと勧めることがあります。

心療内科でこのような患者さんのライフスタイル分析を受け持つときには、その症状をorgan dialectとして考えておく必要があるのです。そのことを、しっかり理解しました。


2.アドラー心理学の「治療」とは何か。

これまで私は、医師から指示のあったライフスタイル分析事例については、症状は医師の受け持ち領分だと考えて、ライフスタイルが言語化されて出るまではライフスタイル分析だけをするようにしてきました。ライフスタイルが出てから現在の問題とライフスタイルの関係を見る時になって初めて、症状とライフスタイルのつながりについて考えるようにしていました。

アドラー心理学のカウンセリング(ライフスタイル分析)では、症状を治すことを、少なくともさしあたっての目標にはしません。自分のライフスタイルを知った上で、これからは「この出来事は私にとってどういうことか、私が幸せになるために自分には何をしたらいいか」を考えて行動するのではなくて、「この出来事はみんなにとってどういうことか、みんなが幸せになるために私は何をしたらいいか」を考えて暮らすことをクライエントさんにお勧めします。症状は、こうして暮らしていくうちに変化していくのだと理解していました。これはおそらく、全くの間違いというわけでもないと思います。

しかしそれは、症状を無視してよい、という意味ではありませんでした。
私はここを取り違えていました。

臨床症状のある人のライフスタイル分析では、症状について医師の問診のように原因論的に聞くのではなく、organ dialectとして質問をするのだとわかりました。もっとも、実際には同じ質問になることもあるかもしれませんが。
そして、「なぜ(何のために)症状が出ているのでしょうね。それを見てみましょう。」と言ってライフスタイル分析を始めるのだ、と教わりました。この一言で、症状そのものが扱われるのではないことをクライエントさんに伝えられるでしょう。

organ dialectである臨床症状とその患者さんの人生とのかかわり、ライフスタイルとのかかわりについて、初回面接のときから(推量ではあったとしても)しっかり出していくことが必要、と、そして最終的には、薬からの離脱を目指すのだ、と教えていただきました。

これがすなわちアドラー派の「治療」なのだと学びました。


3.心理療法は解剖ではなく手術である。

痛すぎて声も出ません。

手術をするまでに、外科医はいろいろな準備をします。診察やさまざまな検査をして、患者さんがなるべく侵襲少なくよい治療が受けられ、よい結果になるように力を尽くします。

心理療法をする場合もまったく同じなのでした。その準備をきっちりとして、つまり、必要な情報はきっちりととって、治癒像(目標)もきちんと描いていかなければならないことを学びました。

具体的な3つの質問も教えていただきました。
1)症状はどんな時にどんなところで起こりますか?
2)医療(薬)がなくなったらどうなりますか?
3)どういう状態になったら医者に来なくてよくなりますか?

1)はクライエントさんの社会的文脈の中での症状の役割についての質問、ということだと思います。3)は治癒像ですから、目標を一致させるための質問だと思います。

が、2)についてはよくわかりませんでした。これは、長く医療にかかっている患者さんにする質問とのことだったので、ひょっとして、長く医療にかかる目的についてやんわりと正対しているのかもしれない、と思いました。

ドライカースの論文に、「患者が、よくなるためにではなく他のいろいろな理由で来ている場合は、目標の一致はより複雑です。そういう人は、自分はよくならないことを証明するためか、しんどい人生の責任を肩代わりしてくれる誰かを探しているのかもしれません。(Psychodynamics,Psychotherapy, and Counseling. pp54-55)」とありますが、ひょっとしたらこのあたりに通じる質問かもしれないと思いました。


これから、心理療法の具体的な方法やケースについて勉強するために、アドラーやドライカースの著作や『アドレリアン』論文集をもっとしっかり読もうと思いました。

そしてさしあたっては、
Ⅰ、セッションの初期には、教えていただいた3つの質問を軸にすること
Ⅱ、臨床症状とライフスタイルとのかかわりを頭に置いて、それをしっかり出せるようなセッションを一回一回して行くこと
をしようと思いました。
ライフスタイル分析だけでなく、診療の時も同様です。


スーパーヴィジョンをしてくださった野田先生、あたたかく見守ってくださったみなさまに感謝申し上げます。


【大竹 優子 2013年1月30日】