ZOOMチッチあらどの会開催

2020年6月3日チッチあらどの会初めてのZOOM開催しました。

パセージ修了者とのZOOMでのおしゃべり会はやっていましたが、
あらどの会としては、初めての開催です。

2日前から、ZOOM初めての方とは、練習をして、
今日の日に参加出来る様にしました。

10時からのあらどの会でしたが、初めての方の為に
9時半に入れる様にしました。

ミュートを外しても、声が聞こえてないので、大慌てです。
色々やってみて、私が、イヤホンをしていなかった事が分かり、大笑い。


10時、スタートには、間に合って良かったです。

あらどの会もZOOMは、初めてでどうなるかと、思っていましたが無事終わりました。
40分で切れて慌てましたが、再度繋げて再会できました。

最初に自己紹介をしてもらいました。
明石からも参加してくださいました。

その後、事例をいただきました。

一つ目は、歯磨きの時に2人の姉妹がママの膝を取り合いして、イライラするお話でした。


二つ目は、年の離れた1歳7ヶ月の妹が、小学校2年生のお姉ちゃんの髪をひっぱり、お姉ちゃんが、お母さんに、妹に「やめてと言って」と頼まれるお話でした。
お母さんの願いは、お姉ちゃんに、自分でやめてと言える様になってもらいたいとの事でした。

お話を聞いてから、ロールプレイにもチャレンジしてみました。
現状のやり方で、お姉ちゃんがどう思っているか点検しました。


妹にやめてと言ってくれるお母さんは、おにママではなく、仲間でしたが、能力があるかは、?でした。

そこで皆さんから代替え案をいただき、
テイク2からテイク4まで色々やってみました^_^

子どものひっぱられて、痛い気持ちを共感してから、
開いた質問で、子どもと話し合う案をしました。

テイク4では、事例提供者が、お母さん役になってもらいました。
メンバーさんで、点検したら、
お母さんは仲間、 子どもは、能力があるになりました。

最後に皆さんに「今日は、何を学ばれましたか?」を1人ずつお話してもらいました。

ZOOMでしたが、それぞれに学んでくださり、嬉しかったです。

今回は、昔使っていた、鬼ママ・開いた質問の懐かしいうちわも登場しました。

私の不手際もありましたが、皆んなで
和気藹々とできて、嬉しかったです。

不手際が多くてまだまだですが、兎に角チャレンジできてよかったです。

参加してくださった皆さん、待っていてくれた子どもさん、ありがとうございました。

後の感想で「ZOOMでロールプレイまでできてびっくり、でも良かったです」と言っていただきました。

リアルが一番だと思いますが、今困っているママにとっては学びになり、その後すぐに
実践してくださったと、報告があり、嬉しかったです。

     びわこのいっこさんでした。


【山口育子(滋賀)2020年6月】

アドラー心理学の楽観主義


緊急事態宣言が5月末まで延長されるようですね。

皆さま、多かれ少なかれ影響を受けておられると思いますが、お元気でお過ごしでしょうか?

私はここ数ヵ月、学習会を中止にしたり、パセージを延期にせざるを得なくなったりと、いろいろ困ったことが起こりました。

それでも落ち着いていられるのは、アドラー心理学の楽観主義が身についてきたおかげかなあと思います。



楽天主義と楽観主義は違います。

楽天主義は、「私が何もしなくてもまわりが勝手に変化して、なんとかなってゆくわ(^o^)」と考えること。

楽観主義は、「どんな状況になろうとも、まだ私にはできることがある」と考えること。



楽観主義に関して、アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーが弟子たちに語ったという逸話があります。



『ミルク壺に落ちた2匹のカエルの話』

2匹のカエルがそれぞれ別々のミルクの入った壺に落ちました。

1匹目のカエルは「もうダメだ」と諦めてしまい、溺れ死んでしまいました。

2匹目のカエルは諦めず、足をバタバタさせて必死にもがき続けました。するとミルクがバターに変わり、それを足場にして外へ出られ、そのカエルは命が助かりました。



私は2匹目のカエルでいたいです。

どんな状況にあろうと、いつも自分にできることを考え、泥臭く頑張ってゆきたいです(^_^)v



名古屋アドラーフェラインでは初心者の方のための学習会を行っていますが、現在は会をお休みにしています。

6月以降、社会の状況が許すようになってきたら、また月に一度日曜日の午前に会を開いていこうと考えています。その際は、お部屋入口に消毒液を置き、換気やソーシャルディスタンスに気をつけながらやってゆきます。

ご参加の皆さんには、マスク着用をお願いしてゆきます。

お問い合わせはご遠慮なくどうぞ(^-^)/


【酒井朋子(愛知) 2020年5月】

帰省を断る


 大学に進学したものの、授業も始まらずアパートに一人こもる次男。

 先日、家に帰って来たいと言ってきました。
 家に帰りたいと言われたのはこれで2回目です。

 1回目に言われた時は優しくきっぱりお断りしたのですが、2回目となるとやはり切なくなります。
 
 もし、次男が帰ってくるとしたら。
 そのリスクを考えました。
 まず、帰省途中でウイルスを身につけてしまい、それを周りに拡散しながら移動してしまう可能性があります。それでは社会に大きな迷惑をかけます。
 子供自身にも感染のリスクがあります。
 家庭内で感染する可能性もあります。さらに夫が職場にウイルスを持って行ったら大変です。

 やっぱり、帰ってきていいとは言えません。

 次男には、「今は家にいるのが、世のため人のためなんだ」と話しました。
 

 ほんと、忍びないです。慣れない土地でアパートに一人居させることが。帰って来ていいよと言ってあげたい。でも、今はそれを言うことはできません。
 
 じゃ、何かせめて親として他に力になれることはないかと考えました。せめて、アパートでの時間を楽しく過ごせたら。。。

 そこで、次男に聞いて、お菓子作り好きの次男にチョコを買うことになりました。インターネットで探し、次男からオーダーされたチョコを無事注文。次男も喜んでくれました。


 一人暮らしを始めて2週間あまり。
 当初、子離れできない親になってはいけないと、あまりこちらから連絡をしないようにと考えていたのですが、このような状況なので予定変更。様子伺いも兼ね、毎日連絡とってます。

 大学が始まり、次男の新しいスタートが切れたら、連絡をするのは徐々にフェードアウトしようと思います。
 


 ちなみに、私はといえば、夜なべしていたマスク作りを終え、こちらをスタートさせました。

 『写経と写仏の練習帳』

毎朝、家の掃除が終わった後、心静かに取り組んでいます。仕事はしばらくお休みになりました。私も引きこもり生活継続します。


 なんだかんだとありますが、すべき事をして、してはいけないことはせず、心穏やかに、過ごそうと思います。
 
 写した弥勒菩薩様にお願いしました。

 一日も早いウイルスの収束と、世界に平安が訪れますように。


【えっこ(宮城) 2020年4月】 

自助グループ


先日、流山の自助グループに参加してきました。
流山は私のホーム自助グループです。今住んでいる横浜から「千葉のチベット(笑)」と呼ばれる流山までは片道2時間弱かかるのですが、その距離感も会の雰囲気も、なんだか里帰りの気分にさせてくれる場所です。

会の内容は詳しく書けませんが、やっぱり自助グループっていいですねぇ~。なんというんですかね~、あの雰囲気。お互いを昔から知っている仲のよい親戚がつどう場。なんだか真ん中に囲炉裏がありそうな、そんな雰囲気がありますよね。

十年以上一緒に学んでいる方々もいるので、自分もその方も、そして相手役も成長してます。しかもロールプレイで相手役とかやるじゃないですか?何年ぶりかで同じ相談者の相手役をやらせていただくと、小学生だった子が中学生とかになってるんですよ。なんだか、親戚のおじさんになった気分ですよね。

エピソードの質もいろいろで。日々の積み重ねの実践エピソードや、家族がライフステージをひとつ上がる際の象徴的なエピソードや、相手役が本当に困っている時のエピソードなど。その時その時の物語をみんなで一緒に考えて、協力的な代替案を紡いでいこうと力をあわせます。そして、その結果を、またわかち合います。「苦楽をともにする」とはまさにこのこと。そうやって、学び合って成長していくって、本当すごいことですよね。

もちろん、囲炉裏の真ん中にはアドラー心理学の灯火があります。この灯火を、そして自助グループという場を、私は絶対に絶やしたくないです。

専門家同士が集まる場も私は必要だと思います。守秘義務とかありますしね。でも、自助グループも絶対に必要だと思います。自助グループには、専門家と非専門家の区別もないですからね。学びの過程や、人生経験での先輩後輩とかはありますが、その時に与えられている役割に、それぞれがベストを出し合えたらいいと思うんです。アドラー心理学を実践するひとりの人間として。

専門家と呼ばれる人たちにも、自助グループ活動に参加することって大切だと思うんですよね~。そこで自分も相談をしながら成長し続けていくことが、必要だと私は思います。そこから得られるものは、専門家だけで集まって活動するグループのそれとは、また違う味わいがあると思います。自助グループ活動に身を置いている職業的「専門家」の雰囲気が私は好きですし、きっとアドラーもそんな雰囲気を身にまとっていたのだと思います。

なんだか『アドラーの思い出』を久しぶりに読み返したくなりました。アドラー、ドライカース、シャルマン、野田先生と考えると、『アドラーの思い出』の中のアドラーを、ひいひいおじいちゃんくらいに感じられるんですよね。

さて、午後も仕事がんばろっと。


【村上 透(神奈川) 2019年11月】

みんなで「なべっこ会」をしました。


たいへんおひさしぶりです。
季節は進み、もう11月。秋から冬へ向かおうとしています。

このブログをしばらくお休みしてしまっていましたが、
定例会などの活動はその間も継続しておりました。
ゆっくりペースですが、また地道に綴っていきたいと思いますので、お付き合いいただけたら幸いです。
ブログをお休みしている間にもステキなできごとがいろいろありましたので、少しずつお伝えしていきたいと思います。

まずは、今日開催したてほやほやの「なべっこ会」のことです。

突然ですが、
「なべっこ遠足」ってご存知ですか?

秋田県(特に県南?)の生まれ育ちの方にとっては、
ひょっとしたら、秋の風物詩として子ども時代から親しんできた行事で、
「共通感覚(←アドラー心理学用語です)」的に知っているものかもしれません。
でも、全国的には、きっと珍しいものなのではないかと思います。

「なべっこ遠足」って、
「協力」を学べる、おいしくって、楽しくって、とてもすてきな行事だと私は思います!
インターネット上にも情報があるようでしたので、
知らない方は、まずは、ぜひネット検索してみてくださいね。ふふふ♪

パセージ・プラスのテキストの26-Lに、
「文化の伝承」について書かれています。
私は「なべっこ」はこの辺りのとてもステキな「文化」だと思うので、
その「文化」を、今日、仲間と一緒に味わえてとっても幸せでした。

今日、ここえんで行った「なべっこ会」は屋内の調理室で行ったので、
「なべっこ遠足」とは言い難いですが、
それでも、とっても楽しかったです。
そして、とってもおいしかったです♪


今日のなべっこ会、実は、最初に「やってみたい!」となってからだと10ヶ月ほど、
ゆっくりじっくり時間をかけて準備してきました。

4人の大人と2人の子どもが、
実行委員(その名も、なべっこ隊♪)として、
パセージテキストの「家族会議」のやり方をもとにして
グループで話し合って、
準備期間や当日までの役割を決め、
責任をもってそれを担ってくれました。
一人一人が自分の「能力」を
「仲間」のためにたくさん使ってくれました。

開催当日の今日は、10人(大人6人と子ども4人)が
楽しくっておいしい時間を、いい顔をして一緒に過ごしてくれました♪
ありがとうございます!!!

みんなで協力して行ったこの「なべっこ会」を通して、
また一層、私たちの「仲間」具合と、パセージの学びが深まったように私は思います。

今日の最後に、今回の「立役者」のFくんが
「ぼくがやりたかったなべっこを、みんなとできてうれしかったです。
また来年もやりたいです。」
というようなお話をしてくれました。
私もまったく同じ気持ちですし、とってもとっても勇気づけられました。

みなさん、ぜひまたやりましょうね~!!!
残念ながら今回は参加できなかったみなさんも、
またの機会にぜひご一緒できたらうれしいです♪

さあ、次回からはまたいつもの定例会に戻ります。
子育てのこと、その他の人間関係のこと、
気になること、困っていること、よかったらお話うかがいます。
まずはお気軽に雰囲気をのぞいてみてください。
パセージやアドラー心理学をもとに、みんなでよりよい解決方法を考えてみませんか?


【三浦朋子(秋田) 2019年11月】

私のアドラー心理学


エンカレッジ金沢は、ここ数か月、持ち回りでブログの記事を担当しています。

今回は、エピソードに基づく記事にはならないと思いますが...

「いろんなパターンがあってもいいよね。」と、勝手に納得し、最近思っていることを書いてみようと思います。

 

私 がアドラー心理学と出会ってもう7年が過ぎました。

この間、私なりに学びのテンションを緩めることなく、アドラー心理学に出会ったご縁に喜びを感じながら、年を追うごとにハマり続けてきました。

仕事もまあまあ忙しく、何とか時間を空けて、夫や三人の娘に協力してもらって、ちょっと無理して、充実しながらハマり続けてきました。

こで、今回は私が恋に落ちた?「アドラー心理学のここが好き!」を書いてみようと思います。

と、言っても書くときりがないので、「ここ最近私のベスト5!」と勝手に絞ってみました。

 

・1つ目は、全ては仮想であるという考え方。

 

  いつつは仮想論と名づけられ

  個人は事象を勝手に解釈し

  それを事実と思って生きていく

  主観の世界に人は生きている(基本前提の歌 35)

 

どういう風に意味づけをするかで変わってくるというところが、とっても魅力的なのです。

勇気がわく感じ...わくしかない!というところが好き。 

 

・2つ目は、個人の主体性という考え方。

 

  ひとつは個人の主体性といい

  個人が心と体を動かすが

  心が個人を動かすのではない

  個人はいつでも主語の位置にある(基本前提の歌 4)

 

「結局、自分が変わるしかないのか...」→「自分が変わればいいんだ!」と、毎度毎度の展開ながら、勇気がわく感じが好き。

 

 

・3つ目は最近のマイブーム!なんといってもエピソード分析が面白くて好き。

 

エンカレッジ金沢は、ここ1年間くらいカウンセリング練習ブーム?なのですが、それぞれが確実に前に進めた1年間でした。

エピソード分析を学び、カウンセラー役になったり、カウンセリングをしてもらうことによって、アドラー心理学を実践していこうという勇気が充電されるのです。

私自身は、子供にイマイチな対応をしてしまって、「カウンセリング練習なんてしてる場合じゃないやん!!パセージもできてないやん!」と、いう場面が未だによくありますが、それでもとにかく学びたい!と思わせる魅力があります。

 

 

・4つ目は自助グループの仲間が好き。

 

アドラー心理学に出会っただけでは、ここまでハマることはできなかったと思っています。切磋琢磨しながら、ちょっとづつ成長しながら同じ目標に向かって頑張れる仲間と支えあっているのです!「チーム金沢」な感じが好き。

 

 

・5つ目は、アドラー先生からの教えを受け取ることができ、そしてその教えを未来に手渡していくという感じが好き。

 

  創始の師なるアドラーと

  ドライカースとシャルマンと

  多くの師たちと同学と

  教えを頼りに学ぶべし(○○の歌の冒頭より)

 

私に教えて下さったどの師たちも、素敵すぎて...

そんな師たちとアドラー心理学を学ぶことでつなっがっていられることが好き。

流行に左右されない感じが好き。

ちゃんとつながっているから大丈夫。な感じが好き。

 

 

以上「アドラー心理学のここが好き!ここ最近私のベスト5!」でした。

私の世界過ぎて、ちょっと分かりにくい?記事になってしまいましたが、アドラー心理学がシンプルに好き!で、一生かけて学ぶに値するものに出会えた自分の引きの強さに、ちょっとニヤニヤしてしまいます。

これからも、ハマり続けることは必至ですが、身に付いた力を家族、子ども、夫、生徒、同僚...に少しでも役立てることができるよう精進していきます!

 

【石川美紀子(石川) 2019年7月】

全ての手段は勇気付けるために


こんにちは。

昨日朝でんくん(小2)が起きてすぐ

やっぱり怒られるから学校行きたくない。。と言いました。
私はちょうどトイレへ行きたかったのもあったのでちょっと待っててトイレ行ってくるからと答えました。

やっぱりそうきたかーと思いました。

その前の日こんなことがあったのです。

夜8:00
本読みカードをもってきたでんくん。
書こうと中をみると

作文を学校で書けなかったので書いてきてくれると助かります。
と母向けに先生からのメッセージがありました。

でんくん、作文の宿題もあるみたいよ?

と聞くと

無いよ

と答えるので

先生がここに書いてたのよ。ほら。

と見せるとだんまり。

その後わかった情報が

400字詰1枚
テーマはたのしかったよ2年生
原稿用紙は日曜日に紛失したことに気づいていた
明日が発表

じゃあ、前と同じく、さらちゃんといっしょに書いたら?

と言うと

どうしてもやらなきゃダメ?
やらなきゃゲームできない?

と。

え?いやそう言うわけじゃ無いけど。例えばやらないとどうなるの?

怒られるだけ。

ふーん。。ママはやったほうがいいとはおもうけど。

。。。

怒られることにしてやらないで学校へいくの?

うん。

ふーん。。。

といったやりとりがあった翌日でした。


翌日の行動はわたしの感覚だと

自分の行動に責任が持てない。
後始末を逃げる。
好きなことだけやっといて
その後待ってる自分のせいで発生した何かからも逃げる勝手。

最も気になりいつも激しい怒りを感じる案件なんです。

で、クールダウンも兼ねて入ったトイレにいるわけです。

部屋へ戻るとでんくんはまたふとんへ戻っていました。

そこで私は話を聞きたいとおもいました。

だけど、いつものわたしはマイナスの雰囲気で学校へ行かせることを目標に話をきいちゃってるんです。
それは良くないと思いながら、そうしていました。

この冬から春にかけた
4回講座エピソード分析by中井あゆみ先生
そのあゆみ先生が最初から終わりまで貫いた

全ては勇気づけるためという姿勢。

わたしは話を聞く前、急にその姿勢を思い出しました。

後始末をさせるために、学校へ行かせるために話を聞くんじゃない。

勇気付けるために聞くんだった。

でも何をどう勇気付けるんだい?
でんくんはどういった感じで勇気をくじかれていたんだったっけ?

勇気付けってなんだっけ。

と頭総動員で動かし
パセージのページ
5、10、15が勇気付けのページだったはずと思い出しました。
そうだ!尊敬よ!!re spect もう一回見る

どんなところがいいのか?見てみよう

そりゃこうやって想いを口に正直に話してくれたことよね。

そうやって自分の会話の癖「学校へ行かせるために話を聞く」をいったん保留にすることにした。

落ち着いたところで思い出す

講座中のあゆみさんは、話を聞いた時点でクライエントさんに学んでもらうことがなんなのか決まっていたこと。


でんくんの今回のこの話も何を学んでもらおうか?まず考えてみることにした。

学んでもらうことは1-Lの中にしかない。

こどもが人々は仲間だと思っている
私には能力があると思っている
自立しているか
社会と調和しているか

作文を書けなくて先生が怖いから学校へ行きたくないっていうでんくん。

何を学んでもらうんだろう。

本人の本当の願いはなんなのか。

そう思ってあゆみさんや先輩たちやリーダーマニュアルを真似して話を聞いた。

考えと感情と今後の行動


ここまでずっと穏やかに話してくれたでんくん
目標を聞いてみようと聞いてみた

でんくんは本当はどうしたいの?

しばらく待った

わかんない。。。と言われた。

そうだよね難しいことをきいちゃったね
例えば
本当は学校で作文を発表したいとかさ

うん。本当はちゃんと書いて発表したい!

そうかほんとうの願いは

ちゃんと作文を書いて学校へ行きたい。

やっぱりそうか。と思った。

じゃあ学校遅れちゃうけど書いて行くのもありじゃない?
国語のテスト見てるけどもう書く能力十分だとママは思う
喋るのも上手だしきっと書けると思う

そう言って

作文を書いたでんくんは1時間遅れて学校へいった

学んでもらおうと思ったのは社会と調和すること

勇気付けるため話をきく全てはゆうきづけるためにするんだっていう大きな学びを
でんくんの事例で気づいたので

先輩たち同学のみなさまへご連絡いたします。


【自助グループ一員(静岡) 2019年3月】

娘からの吉報と多祥(タシ)


ども。娘をパセージで育てたパセージリーダーりっちゃんです。

でも、私がパセージを受講したとき、
娘は、もはや中学生になっていたので、
パセージ適齢期の子にパセージを実践するよりも
ちょい難しいようでした。
(パセージの適齢期が何歳かってのは、定例会に聞きにきてね♪)

でも、パセージって、

子どもをいい子などに変える育児プログラムじゃなくて、

子どもとの関係を変える育児プログラムと思います。

なので、「うちの子、いい子になったのよ~」というよりは、
「うちの子と私、いい関係になったの」って感じのように思います。

そんな、うちの娘から、電話でうれしい報告がありました。
(そんなって、どんな娘なんぢゃ)

電話をしてきた娘が、とてもとても興奮して、
ウキウキと喜んでいる声が聞こえてきました。

電話を切ってから考えてみました。

「うれしい報告」は、それなりにうれしいのですが、
それよりも、

『こうやって子どもの喜んでいる声を聞くことができるって本当に幸せだなぁ』

と思いました。

母親になってよかったなぁ、と思う瞬間です。

子どもがもたらしてくれた「結果」がうれしいのではなくて、
『わーい、お母さんに電話しよう。お母さんに話そう』
と思ってくれて、行動してくれる子どもがいることの幸せです。

夫もそうです。
なにかあると『りっちゃん(妻)に言おう!』と
思って、行動してくれます。

もちろん、これが吉報でなくてもよいのです。

子どもにいやなことがあって、
『お母さんに言おう。めそめそ』も
同じくありがたくてうれしいことになります。

私が主にアドラー心理学を学んでいる岩手のグループは
「多祥もりおか」と「多祥けんなん」です。

多祥(タシと読みます)とは、チベット語です。
意味は、「喜びごと、吉祥」です。

子どもを育てること、人を育てることは喜びごとだと思います。

生きているといいことばかりでもありません。
一般的な「悪いこと」からでも、学ぶことがあると思います。
学ぶことがあるということは、やっぱり喜びなんだと思います。

いいことも悪いことも「お母さん、あのね」って
言ってくれる子どもを一緒に育てませんか?
そして、自分も育てませんか?

子どものいいことは聴きたいけど、
悪いことは聴きたくないっていうのは、
自分が育ってないな、と私は感じたのです。
(たとえば、動揺するとかもかな)
だから、私は娘が大人になったいまでも
アドラー心理学で子育てを勉強中なんですよね~。

子育てや自分育てに悩んでいたら
お喋りしに来てくださいね。


【樋澤律子(岩手) 2019年5月】

枠組みの変化

娘は6年生になり、このところまた一段と大人びてきたように感じます。

娘が学校などで起こった嫌なことを話すとき、言葉遣いが乱暴だったり毒舌であると感じることがしばしばあり、
私はそのたびに、
それは言い過ぎじゃない?
ちょっと!言葉!!
と小さな陰性感情が湧いておりました。
 
そこでうーんと考え、
娘のよい意図を出してみました。
 
・外で同じように話しているわけではなさそう
・私を信頼して、安心してくれている
・その都度その都度娘には娘の事情があり、言い分がある(のにその場では上手にいなしている)
 
うんうん、そうだよね。十分考えているし、家では言いたいこと言いたいんだよね。
 
そこでふと、
そうか。
じゃあせっかくだから娘の話を聴いて、これからどんなことができるか相談に乗ろう!
とひらめいたわたし。
 
ある日、娘が不満を話してくれた時をチャンス!と思って、切り出してみました。
 
私『そうなんだ。そのとき、娘はどんなこと考えてたの?』
娘『え?』
私『いや、、最近その話題多いし、何か解決できること探せないかなーっておもって。』
娘『かいけつ・・?』
私『だって、そんなことあるの、やなんでしょ?』
娘『うん、まぁ・・。』
私『娘は、相手にどうしてほしかったんだろうね?』
娘『相手に?えー、そんなのない!相手がやめればいいだけ!わたしが考えるなんておかしい!』
私『・・・。』
娘『もう大丈夫。この話はもういいかな。』
私『はぁい。。』

話を聴こうと思っただけなのに、娘はイライラした様子で席を立ってしまいました・・・。
 
そうして残されたわたしは一人反省会を開くことにしました。
 
なにがまずかったんだろう?
もっと娘の話をしっかり聴いてから相談に入ればよかった?
もっと娘のよい意図を伝えてからの方がよかった?
自分の陰性感情はしっかりなくなっていると思ったけど、残ってた?
 
つらつらと考えていて、
はっ
と気づいたこと。
 
娘はどういう目的でわたしに話してたのかな?
 このことで困ってるから、どうしたらいいか相談に乗って、と頼まれたかな?
 
頼まれてないのに、わたしが毒舌が嫌でそれを私の望むやり方で話してもらうように、要は娘を変えようとしていたんだ。
それって、起点がそもそも支配的だよね。
 
陰性感情もないし、からだもゆるんでいたのに、わたしはリラックスして娘を支配しようとしていたんだ。。
 
ひぇーーー、恐ろしい~!ガーン!
 
でもまてよ?
 
娘がもっと小さい時は、
公園で嫌なことをお友だちにされた、と泣いて私のところに来た時、、
 
わたしは同じように、
「どうしたかったの?」
て聴いたよね。
 
娘は一生懸命考えて、
「あれはわたしのおもちゃだ」とか何とか言ったりして、
じゃあどうしようか、話し合ったよね。
 
なにがちがう?
 
あ、、、
 
「相談的枠組み」
 
これだ、きっと。。
 
公園で泣いた小さな娘は、
お友だちにされた嫌なことについてお母さんを頼っている。
これからどうしようかを話し合うか、
可哀想ねぇと抱きしめるか、
かわりにお母さんが怒鳴りつけてやるわと乗り込むか、
それはお母さんが決めることだけど、
ともあれ子どもはお母さんどうしよう、と頼っている。
 
でも今の娘は、
学校など外であった嫌なことについて私を頼ってない。
これからどうしようか話し合ってとも、
可哀想ねって抱きしめて欲しいとも、
かわりにお母さんが怒鳴りつけてきてとも、
多分どれも望んでいない。
 
じゃあ何を望んでいるか。
 
家でくらい好き放題言わせてくれ。
 
とかかな。
 
そうかー、
娘は成長して大きくなって、
困ったことについて無条件で(まぁほんとは無条件じゃないけど)わたしが何か助言できる相談的枠組みはなくなっているんだ。
 
ふむふむ。
 
なるほどね・・・。
 
だんだん整理がついてきました。

娘の話を聴こうと思って失敗し、
一人反省会を開いて、

まずこの話について娘の目的はなんだったんだろう?
そもそも私の目的が、娘の毒舌を封印するために話を聴こうとしていた。
娘は小さい頃と違って、どんな話でも親に助言を求めるわけではなくなっている。
相談的枠組みが変化してきてるんだ。。

ということに気がついた私は、ある日、お互いがのんびりしているときに、娘に聴いてみました。
 
私『あのさ、こないだわたし、あなたの話ちゃんと聴けなかったでしょ。そのことでお話聴きたいんだけど。』
娘『話を聴けなかった話を聴く!(笑)』
私『(笑)ややこしいね(笑)でね、わたしは娘の話を聴くのが好きだしたくさんいろんな話をして欲しいなって思うの。
 だから娘にとって話したいことを話せる親になりたいんだけど、どんなふうに聴いて欲しいと思う?』
娘『いいよ~母上はそのままで~(笑)』
私『ありがとう(笑)じゃあさ、例えばこないだみたいにネガティブな話のときとか。嫌なことがあったときのこととかは?』
娘『そうねぇ・・・ただふんふん聴いて欲しい』
私『そうかー。そうだよね。わかりました。じゃあ内容には口を挟まないで聴くね。
 それで相談なんだけどね、、もしさ、もしも、その言葉はちょっとなーってわたしが感じたときに、その言葉を別の言葉に言い換えるとどんな言葉がある?って聴かれるのって、どうかな。』
娘『いいよいいよー。ありがとね、そこまで考えてくれて。
 じゃあ私も、ただ聴いて欲しい時は"この話はただふんふん聴いてね"って最初に言うことにするね。』
私『ありがとう。わかりやすくて助かる!
 じゃあ、聴いていてもし気になる言葉があったら、ちょっと口をはさむ感じになるけど・・。
 何か不都合があったらまた教えてくれる?』
娘『わかったー(^^)』
私『話し合ってくれてありがとう!』
 
 
こういうときに、親子関係のベースをいつもしっかりよく耕しておくって本当に大切だなって思います。
 わたしが失敗してうっかり娘をイライラさせてしまったのにも関わらず、
そしてそのイライラさせてしまった話題を持ち掛けたのにも関わらず、
 娘は軽やかに話し合いの席に着いてくれました。
 
実はこの話し合いをしたのが確か今年の二月くらいです。
 
それからとても不思議なのですが、、、
この話し合いを境に娘の口調がとても穏やかになり、オブラートに包んだ表現をするようになったんです。
 
あ、一度だけ娘の言い方にピンっと反応したので『ちょっといい?』と口を挟んだら、
『今は黙って聴いていてくれる?』と断られたことがありました。
でもそのときも、ひとしきり話が終わると娘から『で、さっきのなに?』と聞いてくれました。
やっぱり最中は嫌なんだね(笑)まぁ、そりゃそうだよね(笑)と納得です。
 
覚えているのはその一度くらいで、今は多少強い言い方をすることはあるけどずいぶん言葉を選ぶようになったと思います。
 
嫌だな、やめて欲しいな。
と思っていた時は盛んに言ってたのに、
 
どんな話でもしてくれるって嬉しいな、どうしても気になったときだけ、ちょっと口をはさませてもらおう。
と思ってからは言わなくなる。
 
・・・ん?
 も、もしかして注目関心だった!?(←あいも変わらず今更な気づき・・)
 
何はともあれ、思春期に入った娘は今後ますますさまざまなところで『親は立ち入り禁止!』の看板を立て始めるようになるかもしれません。
 
大人の5年はズルっと過ぎるけど、子どもの5年は大きく変化します。
 
ズルっと以前と同じような対応をするんではなく、
目の前の娘を見て、丁寧な育児をしていくことを改めて心に留めた出来事でした。
 

【久郷 緑(茨城) 2019年4月】

「アドラーのおかげです」

1月26日、年明け初めての松阪のフォローアップの会へ行ってきました。 
2018年に始まったパセージで、それなりに時間が経ちましたが、
メンバーの大半は子育て中からのママ友ということもあり、みなさん会うことを楽しみにしていて、
リーダー不在の時はテキストを開かずに終わるということもあるようです。
おしゃべりは活発ですが、事例をというと俄然静かになることもあります。

この日は、2名の参加で私を含め3人でしたので、近況を詳しく話してくださいました。 
ひとりの方は、お姉ちゃんのOA入試で短大への進学が決まった、というお母さん。 
ご両親とも進学でなく就職をお願いしたそうですが、
「学費は自分でなんとかするから」と進学を希望し選んだ短大だそうです。
2年ではなく3年コースを選び、午前は授業、午後はアルバイトできるよう授業が入っていないとのこと。
そして就職は地元に戻って保母さんになると返さなくても良いという奨学金を申し込んだとか。
寮も安く、ご両親もこれなら、ということで進学を応援したとのこと。
合格し家を出ることが決まってから「お母さん、私の部屋はこのままにしておいてね」 と念を押したそうです。
「地元に戻ってきて地元で働く、ともう決めているんだろうね」とお母さんから笑みもこぼれます。

そんな話を伺って「頼もしいね」というと、「アドラーのおかげ^^」とおっしゃいました。 
そのセリフをきいて、正直びっくりしました。 

この方はまだそのお姉ちゃんが保育園の頃、一度パセージを受講されていた方でした。
その後は一度もフォローアップに来ることもなく、一昨年のパセージのときに10年以上ぶりにお会いしたのでした。 
パセージのテキストも一度も開くこともなく過ごしてしまった、と。 
「親の課題、子どもの課題」「目標の一致」などパセージ用語も忘却のカナタ、でした。

なのでどういうところがパセージのおかげだと感じているのかな、と思ったのです。 

話を聴いていくと、どうやら
毒ガスを止めた(止めようとこころがけている)、子どもを信頼することにあるのだな、と思いました。 
例えば、中学に入って部活が3ヶ月で3つも変わったときもぐっと我慢、余計なことを言わずおまかせした、とのこと。
ちょっと入った部活でユニフォームを買ったりもしたとのことで、
ひとこと言いたくなるのを、アドラーを思い出してぐっと我慢したこともあったそうです。
結局、吹奏楽部にはいり高校進学も吹奏楽が活発なところを選んだとのこと。 

この日、何度このお母さんから「アドラーのおかげ」というセリフを聞いたことでしょう。 

私から見るとパセージから離れていたようにみえても、子育てをしていく中でその方は、
お口をチャックして余計なことは言わないことを(アドラー、アドラー)と思い出しながら、
がんばって実践されていたのだなあ。 
一点突破、お見事です。 

学ばせていただきました。 


【河野直子(三重) 2019年1月】