ども。娘をパセージで育てたパセージリーダーりっちゃんです。
でも、私がパセージを受講したとき、
娘は、もはや中学生になっていたので、
パセージ適齢期の子にパセージを実践するよりも
ちょい難しいようでした。
(パセージの適齢期が何歳かってのは、定例会に聞きにきてね♪)
でも、パセージって、
子どもをいい子などに変える育児プログラムじゃなくて、
子どもとの関係を変える育児プログラムと思います。
なので、「うちの子、いい子になったのよ~」というよりは、
「うちの子と私、いい関係になったの」って感じのように思います。
そんな、うちの娘から、電話でうれしい報告がありました。
(そんなって、どんな娘なんぢゃ)
電話をしてきた娘が、とてもとても興奮して、
ウキウキと喜んでいる声が聞こえてきました。
電話を切ってから考えてみました。
「うれしい報告」は、それなりにうれしいのですが、
それよりも、
『こうやって子どもの喜んでいる声を聞くことができるって本当に幸せだなぁ』
と思いました。
母親になってよかったなぁ、と思う瞬間です。
子どもがもたらしてくれた「結果」がうれしいのではなくて、
『わーい、お母さんに電話しよう。お母さんに話そう』
と思ってくれて、行動してくれる子どもがいることの幸せです。
夫もそうです。
なにかあると『りっちゃん(妻)に言おう!』と
思って、行動してくれます。
もちろん、これが吉報でなくてもよいのです。
子どもにいやなことがあって、
『お母さんに言おう。めそめそ』も
同じくありがたくてうれしいことになります。
私が主にアドラー心理学を学んでいる岩手のグループは
「多祥もりおか」と「多祥けんなん」です。
多祥(タシと読みます)とは、チベット語です。
意味は、「喜びごと、吉祥」です。
子どもを育てること、人を育てることは喜びごとだと思います。
生きているといいことばかりでもありません。
一般的な「悪いこと」からでも、学ぶことがあると思います。
学ぶことがあるということは、やっぱり喜びなんだと思います。
いいことも悪いことも「お母さん、あのね」って
言ってくれる子どもを一緒に育てませんか?
そして、自分も育てませんか?
子どものいいことは聴きたいけど、
悪いことは聴きたくないっていうのは、
自分が育ってないな、と私は感じたのです。
(たとえば、動揺するとかもかな)
だから、私は娘が大人になったいまでも
アドラー心理学で子育てを勉強中なんですよね~。
子育てや自分育てに悩んでいたら
お喋りしに来てくださいね。
【樋澤律子(岩手) 2019年5月】