自助グループの最近のブログ記事
10月の例会でも、前月と同じ「最重要観察記憶法」というワークにチャレンジした。私の早期回想は、次のようなものだった。
小学校の4、5年生頃、弟とみたいテレビ番組のとりあいから、けんかになった。母に「二人とも、けんかするんやったら家から出ていけ。」と怒られた。私と弟は、家から出ていき、二人で小学校の方までしばらく歩いて家に戻った。家に入りづらく外で座っていると、父が「二人とも、家に入れよ」と言ってくれた。家に入ると、母も何も怒らず私たちを受け入れてくれてほっとした。その後、家族で夕食を食べた。
この早期回想は、私にとってよい思い出として記憶に残っている。弟とけんかをして、怒られたけれど、けんかをした弟と一緒に歩きながらクールダウンしたこと、父が優しく言ってくれた言葉や、母が夕食を作りながら待っていてくれたこと、後からグチグチと怒られず受け入れてくれたからだ。
私の家族は、何かをはっきりと頼んだり、断るという意思表示をあまりしない家族だった。そうすることよりも、家族がこうしたら喜ぶだろうとか、こうしたら助かるだろうということを思って何も言わずに動いてくれるということが多かった。私が、頼んでいないことを、何も言わずにやってくれて、やってあげたわよという押しつけもなかった。周りの様子をみながら何か手助けをしてあげるということを大事にする家族だったと思う。
こんな家族の中で育った私は、こうしたら相手が喜んでくれるかな、役に立てるかなと思って行動することが多く、そのことが結局はおせっかいになってしまうことも少なくない。自分でも、気をつけているのだが、私の行動がおせっかいのラインに突入しないことが私の課題だとつくづくそう思う。
それに、父は私たち姉弟をまったく怒らない人だった。そのためか、私は、人に怒られることがとても怖いし、人を怒るということも苦手だ。人の怒りに触れた時、固まって何も言えなくなってしまうし体も硬くなってしまう。
このワークを通して、今の自分について、改めて気づいたり、納得することが多くあった。
それに、現在の気になっている、不登校の生徒の事例を重ねてきいてもらった。親に何度も裏切られ、充分な愛情をもらうことができずに、大人を信頼できない彼女、私は自分が考えられるやり方でいろんなことを試みてきたが、彼女はなかなか心を開いてくれずにいた。今回、早期回想とこの生徒のことを話しする中で、「あなたの家族と、不登校の生徒の家族ってとても違うんじゃない。今までとは違うやり方でやった方がいいのでは」というアドバイスをもらい、なるほどと思った。
でも、今までと違うやり方?どうしたらいいのだろう?と戸惑い悩みながらも彼女と向き合う日々を過ごしている。
「知らん」「うざいわあ」という言葉を言いながらも、「私は傷ついてる」「本当の愛情が欲しいんやよ」「私の理想の家族はね、、、、」なんてことを最近は少し話ししてくれたりもする。
【S.K (三重)】
5年生くらいまでは先生に怒られるような子どもではなかったのに、その頃の私は、たまに不適切な行動をしては先生に怒られていました。例えば、男子と上履きのまま外でチャンバラ、週番をさぼる、買い食いなど。この不適切な行動の目的は、担任の先生が嫌い。でも本当は先生に好きになって欲しい、自分に注目して、認めてほしいからではないかと思っていました。
けれど、今回仲間から、「あなたのそんなところ(激しいところ)もあるってことを知ってほしかったのでは?」「イライラしてたんじゃない?」と言葉をかけられて、はたっと気づいたのです。
小さい頃から、親に心配かけないようにと思いながら生きてきた私は、親に反抗したという記憶がほとんどありません。そして、思春期に入った6年生の頃はたまらなく不安で苦しくて、しんどかった。一度、信頼していた先生に相談したことがあったけれど、不信感だけが残り先生には相談できないと思ったのもこの頃でした。その当時も、今もあの頃は不安定だったなあって思っていたけれど、「イライラ」「常にイライラしていた」というふうに感じたことはなかったので、今回この言葉を言われて、不安でごまかしていたけれど本当はずっとイライラしていて、それが不適切な行動につながったのだと納得しました。
6年生の私は、どうしようもない不安や苦しさ、イライラを本当は誰かに聞いて欲しかった、大丈夫だよと言葉をかけて欲しかったのだと思います。
「今、そんな子がいたらどうする?」と聞かれ、「話を聞きたい」とすぐに答えながら、養護教諭という仕事をしているのは、この時がスタートで今に繋がっているのだと改めて思いました。
【S.K(三重) 2013年2月】
例会は、メンバーさんの親子が野田先生の公開カウンセリングを受けられたときのライヴ録音を聞いて、感想を話し合いました。小学4年生のT君が、しっかりと筋の通った意見をどうどうと発表していることに私は感動しました。野田先生が「子どもは子ども扱いしていると、いつまでも子どもとして行動する。大人として接すれば、大人として行動し、大人としての責任を果たすようになる」と過去におっしゃっていましたが、その見本を見せていただいたようなカウンセリングでした。このように親子が話し合うことができれば、子どもはしっかりと自立できるし、その持っている能力をまっすぐに伸ばすことができるだろうなと私は思いました。
私は大晦日の日のブログに「赤ちゃん、あなどるべからず」というテーマで書きましたが、「子どもをあなどるべからず」です。子どもは小学高学年ともなれば、大人と同じ目を持つようになっています。それなのに私も含めて多くの親は、自分の子どもを子ども扱いし、親が子どもの行動の線路を決めてしまい、余計なトラブルを起こしていないだろうか。子どもの才能をつぶしていないだろうか。そんなことを考えさせられた野田先生のカウンセリングでした。
そして、新年会は「おうちキッチン」という家庭料理の店へ場所を移して行いました。この店の方々は皆さんがアドラー心理学を学ばれていて、店の方との会話がとても居心地のよいものでした。
今日は妻に「飲み過ぎないように、食べ過ぎないように」と言われて出かけたのですが、美味しい料理と美味しいお酒を目の前にして、ついつい食べ過ぎて、飲み過ぎてしまいました。自己責任です。
口が軽くなり、余計なこともしゃべってしまったかな?時計を見ると、もう11時を過ぎようとしていました。私はあわてて「もう、タイムリミットです」と盛り上がっている会話を打ち切らせていただきました。最終電車にぎりぎり間に合い、駅に着いたのが今日の0時34分でした。メンバーさんはちゃんと家まで帰宅できたかな?
【棗田 眞一 2013年1月19日】
師走の風がちょっと冷たい12月の那賀みちは、いつもの支援センターが選挙で使われたため、那賀川町民センターで行いました。
参加メンバーさんは6人+4歳のイケ面君。
私も4カ月ぶりでしたが、3~4年ぶりのメンバーさんや先月の講演会に来て下さって那賀みちは初めてのメンバーさんもおられて、新旧はありましたが、小人数でゆったりとした会になりました。
この日の話題は、自己紹介の時に出た、いわゆる生活習慣についてのこと。
しかも、話題を出して下さったメンバーさんが気になっていたのは、宿題のしつけのことでした。
おおむねの経過の話を聞いたうえで、みんなで宿題の意味について話をしていきました。
同じ宿題でも、きちんとしていく子、適当にやっていく子、やっていかない子、学校でやってしまう子、朝やる子・・・それぞれです。それから、子どもも家ではゆっくりしたいだろうと考える方、宿題は、学校で勉強しての残業・・と意味づけるメンバーさんもいて、宿題の意味って何だろうと考えさせられました。
お母さんによると、以前はちゃんとしていたけれど、ある時期から家ではするのを嫌がるようになったということでしたが、そのころ何かあったのかなと想像はできますが、いま、原因を探しても仕方ないことです。
・・・と、このあたりで、私は4歳のイケ面君と、お外に遊びに出ましたので、以下は後からメンバーさんにお聞きした内容によるものになります。
お母さんによると、学校の先生とはいろいろ話ができていて、放課後に学校で宿題してもいいとか、日記だけを家で書いてくるとか、いろいろ配慮や理解もあるとのこと。でもやっぱり、家でも勉強としての宿題をすることは大切なのではないかと考えのお母さん。
もちろん、どれが正解というものでもありませんが、今回はお母さんの意をくんで?、「しなくてはいけないものとして、宿題を(生徒の)仕事」としてとらえて、やる場所ややる時間や協力について、子どもと話をしてみることになりました。
あと、アドラー的には宿題を通じて、子どもが能力があると感じられたり、お母さんが仲間と感じられるように、対応できたらOKかなというようなお話も出たとのこと。また、ただ宿題の場面だけでなくて、テキスト3-Lを読み、「正の注目」ができる他の場面を探しながら、「負の注目」になる感情も意識しながら暮らしてみることも提案したそうです。
お母さんは、感情について、あまり意識したことなかったし、いろいろと学んだこともあったと感想を言われていました。
いわゆる躾(生活習慣)として宿題をとらえて、オートマティックにしてしまうと、母は楽かもしれません。でも、それではなんだか、ほんらい味わえるはずの学びの楽しさも色あせてしまいそうにも思われて、もったいない感じがします。
宿題に限ったことではありませんが、躾はオートマティックなものではなくて、子どもが自ら自立に向かえるように、また学校という社会で、小さくても自分の役割を果たしながら、協力できる子どもになるように、あせらず急がず、少しずつ勇気づけていくことが、今は必要なんだろうなぁとおもいました。
【湯浅 雅子 2012年12月17日】
昨日は、楽しい集まりに参加させていただきまして、ありがとうございました。
午前の楽笑会風味の例会、初体験!でした。
まず、グループ全員が一緒に課題シートを書き、自力解決を目標に、自分でパセージをめくって参考にできそうなページを探すという手順がとても新鮮でした。
一緒にワークしたグループには、徳島や参加された方もいらして、こういう機会でもないとなかなかご一緒できないので、うれしい体験でした。
午後の開いた質問のワークでは、事例をお聞きして、プラスの側面に気づいてもらえるような目的をもって、一つだけ開いた質問を考えるというものでした。
これも、普段参加しているグループの枠を超えたみんなの渾身の質問によって、お話の光があたっていなかった部分にスポットライトがあたり、キラキラと輝く素敵なお話に変化しいくのがとても感動的でした。このワークでは、岐阜から駆けつけられた方とご一緒できました。
その後の自助グループの情報交換では、徳島のまんまるんカフェさんが、パセージもアドラーも初めて聞くお母さん方に、分かり易く「メガネチェンジ!」して事例の中のみんなのもっている力を見つけあって、書き取って最後にプレゼントされているお話がとても参考になりました。いつか機会がくれば、使わせてもらいたいです☆
そして、最後に、一番最初にみんなでパセージの中の好きなフレーズを書き出して自己紹介した、そのパセージカード!をぐるぐるまわして、引いていきました。
わたしへのお告げは、「5-L 適切な行動や適切な側面を探そう」でした。ついつい気になる行動に目がいってしまうので、再確認でしょうか~
帰りに、「地方ではこんな風に自助グループ同士、集まる機会があるみたいやけど、関西ではグループ同士が集まるのは地方会くらいやから、いい機会やったね」という話が出ました。
グループの枠を超えて交流し、情報交換できるのは、仲間の輪が広がってとても有意義な機会だなあと思いました。何より、とっても楽しかったので☆
北風さま、みなさま、ありがとうございました。
【三木 花子 2012年6月25日】
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