教育・学校の最近のブログ記事

☆:Tさんは、どうして『学び合い』をやろうと思ったのか理由を、聞きたいんだけど?
T:えっとね、新潟総会で『学び合い』の講演をされていた話の中に「その子を変えるのではなくて、周りを変える・・・」とか「一人口は食えないが二人口は食える、・・・そして、小さい子どもの世話は夫婦の両親に頼る・・」、この二つの言葉がヒットしたからなんだ。

☆:どうして?
T:私がやろうとしている目標(願い)と一致しているから。
私の目標は
 1.三世代同居
 2.子どもを変えない(すでに持っている能力を活かす)
この2つです。

☆:へ~ぇ、そうなんだ。Tさんは、そんな願いがあったんだ。
T:うん。西川先生は『親なら知っておきたい学歴の経済学』の本に「昔のライフスタイルへの回帰」について書いているんだけど。

☆:もうちょっと、詳しく教えて?
T:私は「おじいちゃんと、おばあちゃんと、夫婦と子供が同居して暮らす」を26年間実践しています。これって「昔のライフスタイルへの回帰」だよね。

☆:ふ~ん。 
T:「夫婦と子供が同居して暮らす」人も多いよね。

☆:そうそう、
T:その家族構成を「おじいちゃんと、おばあちゃんと、夫婦と子供が同居して暮らす」にシフトしたいと考えているんだ。そうすれば、現在起きている様々な問題が解決する部分があると思うからね。

☆:へぇ~、そんなこと考えてたん?
T:おばあちゃん子だったから、小さい頃に、大正生まれのおばあちゃんに教わったんだ。

☆:どんなこと?
T:例えば親子4人で暮らすのは若い時はいいけど、年をとったら大変だよって。でも、年寄りと3世代で暮らすと、若い時は苦労するけど、年をとったら良いよって。

☆:でもさ、今どき嫁姑の苦労をしようと思うお嫁さんいないじゃないですか?
T:そうそう、

☆:それに、「昔のライフスタイルへの回帰」したら昔風の問題がいっぱい出てくるんじゃないのかな?
T:そうなんだ、だから、今まであんまり声に出さなかったんだけど。でも、

☆:でも、
T:総会の講演会を聞いて、「私と同じことを考えている人がいた!」と思ったんだ。

☆:それで、
T:「その子を変えない」ということろが、自分の考えと一致したんだよ。

☆:「その子を変えない」って、よくわかんないんだけど、もうちょっと教えて?
T:はい、それはね。子どもはすでに能力があるんだよ。

☆:うん、
T:私は就職する子どもの面接指導をやっているんですが、そのとき気づいたことは、その子の能力と相性の良い仕事(会社)をいっしょに探して、そこへ就職してもらえばいいんだってね。そうすれば、離職も少なくなると考えたんだ。でも、

☆:でも?
T:普通は弱点克服といって、できないことを練習して克服しなさい!っていうじゃないか。でもね、私が出会っている子どもたちは、それをさんざんやらされて、「なぜ、できないんだ!」って言われて勇気をくじかれているんだ。

☆:それで、
T:私たちは「子どもは能力を持っていないから教えないといけない」と、小さい頃から習ってきた。

☆:うん、うん。
T:でもね、子どもってよく観察すると、すでに能力を持ってるんだよ。だから、べつに、いまさら「能力をつけさせる」必要はないんだ。もうあるんだから。

☆:えー、ホントに?
T:えっとね、たとえば、対象を高校生ぐらいとしますね。彼らが不適切な行動をするのは、能力を持っていないからだとします。

☆:うん、
T:その時、その子に挨拶の仕方、TPO、〇〇の仕方を教えれば適切な行動ができると考えて教えます。

☆:そうそう、
T:でね、教えてもほとんど効果がないんだよ。

☆:え! そんな、ばかな?
T:やってみて、実際そうだったんだ。本人がやりたいと思っていないから。だから、

☆:だから?
T:その方法を使うよりも「この子には能力が必ずあるんだ」という信念で探す。そうすると見つかるんだね~これが、

☆:見つかると、どうなるの?
T:それをね、相手に伝えるんだ。「あなたは〇〇の能力がある」ってね。

☆:そうすると、どうなるの?
T:たとえば、その子がある行動をしたとします。ある仕事でもいいです。その時「どうして、できるの?」「なぜ、できるの?」と尋ねると、「別に?」とか、「そんなん当たり前」とか、「普通」とか言ったりして、ニヤッとしたりするんだ。

☆:よくわかんない?
T:「なぜ、できないの?」は、その原因を見つけ、それに除去することで「できる」ようするために使う言葉ですが、「どうして、できるの?」、「なぜ、できるの?」は原因がわからなくても、その人は、すでにできるのだから、別に困らないし、そのままほっといてもいい。

☆:そうなの、
T:子どもたちには、自分には「○○の能力」があるとか、こんな長所がある、と気付いてほしいし、その能力を使って「社会の役に立つ人」になってもらいたいんだ。

☆:そうね、
T:友達に、〇〇の能力があるとか、〇〇の長所があるとか、言われたことがあると思うんだけど、どんなことがあった?と聞いてみるとね。

☆:そうすると?
T:「えっと、そういえば、・・・・」と思い出してくれる。それをネタにお話をするの。

☆:ふ~~ん、でもさ、その子の能力がわかんないときはどうするの?
T:教えて?って聞くんです。

☆:え?だれに?
T:だれって、周りにいる子どもたちに決まってるよ。面接指導はパセージのように丸くなってイスに座り5~7人でやります。私は主として面接官役をやります。他の人は面接官役、受験生役をします。

☆:え??? 面接練習って一対一じゃないの?他の人は廊下で待っているんじゃないんだ?
T:違うよ!みんなが同じ場所にいるんだよ。だから、私がわからないときは、パセージで「皆さんどう思われましたか?」って聞くように、周りの子に「ね~、あの子のよいところ、長所、能力って、どんなことかな?」って聞くとね、『〇〇ちゃんの能力はね』と、教えてくれるよ!

☆:え??? 子どもの方が?
T:はい、わたしよりも、的確にいろいろと知っていましたね。私が知らなくても、周りの子どもは知っている。教師一人の力には限界がある。でも、メンバーさんの能力を使って面接練習をすれば『学び合い』授業になっているってことなんだ。

☆:お!『学び合い』に戻ってきましたね。
T:だから『学び合い』をやろうと思ったんだ。

☆:なるほど、お話ありがとうございました。
T:こちらこそ、頭を整理するのに役立ちました。ありがとうございました。


【Y.T(新潟)2017年1月】




 鈴鹿市に住む小学校の先生のSさんと親しく話すようになったのは、何年か前の練成講座でのことだった。その時の話が彼女の学校での出来事であったこともあって、ぼんやりと、三重県の北の方でも学校にアドラー心理学が広まればいいなあ、と考えていた。

 そういう思いは、Sさんの方も持っていらしたようで、一昨年秋に一度、鈴鹿で一緒に「事例検討会」をやってみた。「事例検討会」というのは、私が勤め先の学校等でやっている形のもので、課題のある生徒さんについて、その生徒さんに関わる先生たち数名がそれぞれに情報を持ち寄り、みんなで分析して援助プランを立てる会の呼び名である。いわゆる「事例検討会」とは少し趣が違う。

 Sさんは、その後昨年末から3回の事例検討会を開いておられ、私は12月と3月の2回、いわばスーパーバイザーみたいな形で参加をさせてもらった。会の参加者は鈴鹿や四日市周辺のアドラー自助グループ仲間が中心だが、少しずつ学校関係の方たちが来はじめている。

 先日の会では、小学校3年生のクラス担任を持つ先生が事例を出してくださった。その先生の気になる生徒さんについての話を参加者みんなで詳しく聞いて、その生徒さんの行動の目的やライフスタイルの一端、そういうライフスタイルが育ってきた背景などをみんなで話し合って、その後、その生徒さんのパーソナルストレングスをさがして、援助プランを立てる、という流れだった。

 こういう「事例検」というのは、アドラーを知らない先生たちにはわりと目新しいのではないかと思う。私も仕事柄いくつかの事例検に出ることはあるが、たいていは事例提供者がどれほど大変な事例かを訴えるだけとか、スーパーバイザーがパラパラと分析してしまうだけとか、あまり解決方向に沿った援助プランを立てるところまで行かない。それに、口を開くのは提供者とスーパーバイザーだけで、参加者みんなで考える、という形にはなかなかならない。

 Sさんは、この「事例検討会」に"(アドラー・)パレット"という名前をつけた。パレット上のいろんな色の絵の具を使ってみんなで援助プランという設計図を描く、という意味だそうだ。参加者ひとりひとりが違う色の絵の具を出し合って、一枚の絵を描いていく。一事例について、一枚ずつ、オリジナルの設計図。

 このアドラー・パレットにはいろんな要素が詰まっている。自助グループ、パセージ、学校(とか幼稚園)というシステム。それぞれの場所での経験があってこそ作り上げていけるものだと思う。

 いつか、三重県のいろんな学校で、アドラー・パレットのような事例検が当たり前みたいに開かれるようになるといいな。そうしたら、生徒が十把一絡げに「生徒」と呼ばれるのでなく、一人ひとりの生徒の個性的な生き方が理解され、一人ひとりが少しずつ生きやすくなれば、全体としての学校が落ち着いてくるのじゃないかと思うのだが。

 まずは、第一歩が踏み出された。


【松田 郁子 2012年3月】

生きる力を育てる

昴の会の2周年で、講演をした。テーマは「生きる力を育てる」。
昴の会は、2年前に北斗市に誕生した不登校の親の会だ。

IMG_4611-5.jpg昨年不登校の子どもたちの昼間の居場所「自由高原」を閉鎖した。10年間の活動の中で得られた人のつながりと資金を有効活用するため、今年「不登校情報センター南北海道」を立ち上げたた。今回の講演会は、その「不登校情報センター」のお披露目もかねている。


内容は不登校への対応について。不登校については、今までいろんなところでお話してきたが、あるインスピレーションがあって、今回は内容を一新した。



まず、不登校に関して、問題の所在が「学校に行くのか?行かないのか?」ではなくて、「どんな風に大人になるのか?」にあることを確認する。


そして、不登校に対する対応を、第1段階「学校に行かない子どもを認める」、第2段階「社会的な訓練を始める」の2段階に分けて考える。


「学校に行かない子どもを認める」ことは、今までもたくさん言われてきているが、「社会的な訓練を始める」ことは、普通はあまり強調されてない。しかし、社会的な訓練の段階を見通しながら関わることがとても大切なのではないかと思う。単に行かないことを受け入れるだけでは子どもは前に進めない、私たちには子どもを一人前の大人にして社会に送り出していく責務がある。


また、実は社会的な訓練を意識して関わることが、学校に行かない子どもを認めることを容易に進めることにもつながっていく。


さて「社会的な訓練」は、どのように行うのか?それがすなわち、今回のテーマ「生きる力を育てる」ことだ。「生きる力」を3つに分けて考える。


1)「自分が好きになる」
2)「人が好きになる」
3)「仕事が好きになる」


それぞれの内容を、アドラー心理学を援用して具体的に説明した。社会的な訓練は、学校に行っていようと、行っていまいと必要なことだ。学校に行くことは社会的な訓練のひとつの方法(とても効率よく、かつとても有用な方法ではあるが)にすぎない。


そこで、第1段階に戻って、「学校に行かない子どもを認める」話。まずは、私たち保護者や支援者が援助する力を持たなければならない。そのためには、自分を受け入れること、しかし不登校の子どもを抱えると、どうしても怒り、不安、悲しみなどの否定的な感情に押し流される。


自分が感情的になっていることに気づくことからはじめる。否定的な感情は、自分になにか危険が迫っているという恐れから生まれる。その危険から自分を守ろうとするための防衛反応なのだ。でも、本当に私を守らなければならないのだろか?


「わが子の不登校が"私"にとってどういう意味があるのか」と考えるから、身構えて"私"を過剰に守ろうとしてしまう。不登校をしているのは、私ではなくて子どもなのだ。「わが子の不登校が"社会"にとってどういう意味があるのか」と考えると、"私にできること"が見えてくる。


否定的な感情におぼれている場合じゃない。子どもにとって一番身近で、最もいい影響を与えられる保護者のできることは大きい。今、あわてて学校に行かせなければとあせるのではなく、ある長いスパンの中で社会的に訓練することをはじめよう。


そこで、「子どもを勇気づける」ことをはじめる。
○子どもに感謝しよう
 生まれてきてくれたこと、今そこに生きていること、どれだけ人生が豊かになっているか?
○子どもを信頼しよう
 子どもは発展途上、どんな素敵なところがあるか?力、強さ、可能性を見よう
○子どもを尊敬しよう
 たった1人のかけがえのない人、私とは全く違う人格(個性、感性、考え方)をもっていることを尊重する


概略、以上のようなことを話した。「不登校」をキーワードに、アドラー心理学を通じて考えてきたことが、しっかりまとまったように思う。人に話すことを通じて、自分が成長していることを感じる。とてもありがたいお仕事をいただいた。
〔ブログ「上藤城物語」 http://harutaka213.blog62.fc2.com/ より転載〕


【高柳 滋治 2011年4月29日】

  「目標の一致」- これは、科学的な臨床心理学であるアドラー心理学の技法の一つである。子育てや教育、そして人を援助する仕事をするときに、有効に働く。その根底には「人は誰もが自分の人生を自分で生きなければならない」という考え方がある。一見、そんなことは当たり前だと誰もが思うかもしれない。

 しかし、私たちは、実際の生活の中では、自分の価値基準で物事を見て、人とかかわっている。人を援助するとき、その人がどう生きていきたいのかがまずありきであり、そこに援助する側の価値判断は存在しない。援助する側は、援助される側の方向性に対し、必要なことを協力していく立場に立つことになる。

 このたび私は、県の沖縄新規学卒者緊急就職支援事業として、1~3月の間、八重山農林高校に就職コーディネーターとして配属された。八重山では、委託先である民間企業から依頼された3人が、各高校でその業務に当たっている。この時期に、まだ進路が決まっていないということは、何らかの問題を抱えているはずだからと、個人の状況に応じた個別の密着支援を!ということであった。

 私たち3人に就職支援の経験はない。しかし、私たちは、一人ひとりの思いや考えを聴くことで、これから社会に旅立とうとする生徒が、自らの一歩を考えやすく、動き出しやすくすることは可能であると思った。そして、支援というからには、その一人ひとりの生徒の方向性にそって、協力することであると思っている。

 人は話すことで自分の思いが明確になり、整理ができる。生徒の思いや考えを聴いて、方向性が定まるのを援助する。そして、その方向性に向かいやすくするために、必要なことを可能な限り、協力していく。支援される側と支援する側が、共同の課題に向き合うことになる。これが、「目標の一致」である。

 生徒と面談するとき、大切にしたいのは、価値判断をしないこと、ノージャッジで臨むことだった。その子なりの18年生きてきたヒストリーがあり、その経験の中から自身の考えや思いがある。そこを大切にしたい。そして、自身の先を見据えた、スキルアップのための一歩である視点に立ってもらいたい。

 安易にバイトでもいいと考えている生徒には、社会の仕組みや制度の話をする。目先のとりあえずの仕事ではなく、長い目で見たときの、自分にとっての有益な情報としてとらえてもらいたい。それでも決断するのは、自身の人生を歩いていく生徒自身である。その生徒の決断を応援する姿勢に変わりはない。

 また、その業務の一つに企業開拓もあった。生徒の希望する職種の開拓にも当たる。この度、新規学卒者就活を促進する体制として、県外から参加する企業と離島の生徒への旅費全額補助の合同面接会、専門家による集合研修会、採用拡大奨励金制度等も用意されていた。

 そうして一人、また一人と進路が決まっていく。それは先生方、ジョブサポーターさんの築き上げてきた土台と協力、ハローワークの担当の方との連携、すべての調和があってこそである。一人の生徒の就職が決まった! と喜びを分かち合う瞬間がうれしい。皆が同じ目標でいたことを再確認できる瞬間でもある。そして、現在進行形で3月末日まで就職支援は続いていく。一人でも多く、意義のある就職に結びつくように。
(八重山毎日新聞 日曜随筆より転載)

【市原 由加里 2011年3月13日】