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心豊かな発達のために

函館近くの七飯町、はるこどもクリニックでの子育て講座のびのび「心豊かな発達のために」。私の担当だ。


毎年の恒例になってきた。テーマは同じだし、結論も同じだが、少し切り口を変える。基本はアドラー心理学の考え方だ。

まず、人生における3つの課題~仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクを説明する。いつでも課題はやってくる。人生は大波小波の連続で、楽をして生きることはできない。波を乗り越える力をつけることが必要だ。

人は社会的な存在なので、他者と関わりも持った時に前向きに生きる力が生まれる。他者との関わりは、受け身ではなく、人の役に立とうとする能動的ものである必要がある。

どうしたら、前向きに波を乗り越えていける力をつけることができるのか?「自分を好きになること」「人を好きになること」「仕事を好きになること」この3つを考える。

自分を好きになるためには、自分のパーソナルストレングス(力や能力)を考え、どうすれば自分の持っている力を人の役に立てることができるのかを考える。自分に何が与えられているのかではなく、与えられているものをどう使うのかを考えること。

人を好きになるためには、まず他者は自分の思い通りにならないことを知る。だからこわいのか?ではなく、だからこそ面白いのだということを知る。そのためには、ぶつかり合う経験が大切。

仕事を好きになるためには、小さい時から人の役に立つ経験をたくさん積み上げていくこと。

具体的には、「ともに遊び、ともに働き、ともに話し合う」。

まずは楽しいことから:一人で遊ぶのではなく、他者(まずは親)とともにたくさん遊ぶこと、そして、他者(まずは親)とともにたくさん働くこと。(今の子どもたちの不幸の一つは、家庭電化によって家の仕事から解放されていること)それによって関わることの楽しさ、豊かさを経験する。そして話し合うこと。言葉に出して表現し、議論することを通じて、「話せばわかる」という経験を積むこと。

以上が、心豊かな発達を支えていくのだというお話をした。


【高柳 滋治 2013年2月28日】

終わりました~~。


野田先生、後半は実習少な目で、ほとんど講義でしたから、お疲れになられたのではないでしょうか。 ありがとうございました。


私的感覚は?私的論理は?と、そう細かく考えずに、ざっくり見て、と言っていただきましたが、それでもこの2週間、この宿題に没頭してきたので、講義中に出てきた、私的感覚、目標、相対的プラス、劣等感、という言葉を、タイムラグ無く理解することができました^^;


今回新たに習ったことは、「協力とは、目標の違うもの同士が、どちらかの都合に合わせること」(私なりの理解です)

おぉっ!?

協力とは、目標を一つに合わせて、一丸となって取り組む、というイメージでした。パセージでは、共同の課題にして、目標の一致を取り付けるはずでしたが、応用編以前には、そもそも目標も見つけられませんでしたし、共同の課題にすることが案外難しかったのです。陰性感情がしばしば登場していました。

ところが、目標は初めから違っていて、こちらの目標に合わせてもらうのだから、お願いをするのだし、相手が合わせてくれたら、こちらは感謝するわけです。なるほど~~


もう一つは、相手との間で問題が起きたときに、相手に変わってもらう場合の手続きです。
公式はとてもシンプルなんです。
相手は中学生未満であることが前提です。
まずは、子どもの私的論理を聞き出すこと。
お~、これがひょっとして、パセージでも、フォローアップでも、何度も私を追い詰めてきた「子どもの話を聞く」ということじゃないのか!! そうか、私的論理を聞くということだったのか!!
何も分かっていなかったのですね。子どもの話を聞くつもりが、どうしても事情聴取になってしまったり、そのまま説教になってしまったり、どうも話を聞くということに苦手意識を持っていました。かれこれ1年半、このことをテーマにしてきたのでした。


私的論理から、私的感覚をあぶり出すのですが、これがなかなか難しく、言語化することにこだわるあまり、そこでついつい停滞しがちでしたが、そこはざっくり!、とにかくきらきらしたものをイメージしなさい、という先生の言葉に乗って考えるようにしました。そうしてあぶり出された感覚が、共同体に貢献的であるように、common senseに合うように、自分の属している文化に賛成する方向に向かうように、子どもと話をしたいのです。こんなふうに聞いてみる、というコツもたくさん教えていただきました。なにしろ1年以上も追いかけてきた案件だったのです。おなかがすいて堪らないところに、ごちそうがたくさん!


帰宅して、いつもの相手役である次女に早速話を聞きました。詳細は長くなるので他の場所に書きましたが、結果としてはお互いとても気持ちよく話が聞けました! 
話を聞くってこういうことなのだと深く実感も出来ましたし、次女も話を聞いてもらえたと感じられたようで、満足げでした(ときどき感極まって涙目になっていたほど)。しかも、私は私の私的感覚を棚上げにしておくことが無理なくできましたし、彼女も私的感覚を変えることなく、代替案が見つかったのです。不思議な体験でした。


それでもまだ、話を聞き始めると、見えているように思っていた道筋が突然ぼやけてしまって、迷子になりそうになります。当分、このお稽古ですね。


野田先生、ご一緒下さったみなさま、貴重な機会を本当にありがとうございました^^


【長渡 裕子 2011年11月20日】

 野田先生、お疲れ様でした&ありがとうございました!


目からウロコ的な驚きとは違いますが、これまでさまざまな形で、実践の方から学んできたアドラー心理学の公式が示されて、爽快でした。応用問題を解き続けてきましたが、今回、「これが公式なんですよ」、と初めて対面して、なるほど!と納得できました。いくつかの応用問題を解く中で、「行動の意味は、社会的文脈の中にある」ということにぴったりのケースがあって、当初、まったく別の観点から解こうとしていたので、とても勉強になりました。あぁこれについては、目からウロコでした。

尤も、公式をどのようにあてはめて解いていくのかは、これからの宿題で、しばらくは「これが私的感覚、これが私的論理」と付箋をぺたぺた貼っていく訓練が必要だと思いますが、これから宿題を解いていくのが楽しみで仕方がありません。


また、これまでパセージについて感じていた不満(?)が、なぜ起こってくるのかも分かりました。パセージを3度も受けたのに、なんだかパセージが好きになれない・・(野田先生には申し訳ないのですが)。


パセージでは、子どもとのつきあい方を教えていただきました。教えていただいたのに、なぜかある部分を実践したくないんです。だからうまくいかなくて、でもパセージにはこう書いてあると立ち戻っても、やっぱりやりたくなくて、とぐるぐるしていたんだと思います。


「パセージでは、親のprivate senseを確認する行程を省いてあるんです」と(いうようなことを)先生は仰いました。あぁそうか、と納得。子どもとのつきあい方は教えてくれるけれど、自分とのつきあい方は教えてくれないということなんだ、と。どうしてそこで私は陰性感情を持つのか、ということにはパセージでは触れないわけです。そこに触れないから、private senseを調べてみる、 private logicを変えてみる、ということもしないので、ぐるぐるしてしまっていたのだなぁと思いました。


パセージをうまく実践できていないことの負け惜しみではありません・・パセージくらいはきちんと実践すべき、とは思っているんです。でもなんだかパセージにはぐらかされているような、そんな感じがしていたのですが、これで、パセージはパセージ、と割り切っておつきあいできそうです。


後半戦が待ち遠しいです^^


【長渡 裕子 2011年11月6日】