2010年12月アーカイブ

湯河原総会に参加してきました。素晴らしい総会だったと思いました。たくさんの学びがありました。

私がお手伝いさせていただいた研究関係の発表も、無事におわって、ほんとうによかったです。

イヴォンヌさんの講演も、よかったです。「ただのおばさん」だった彼女が、75歳のいま、日本でアドラー心理学のワークショップをしている、その彼女の人生の道のりのお話に、人はこのように、何歳になっても、その人のもっているチカラを成長させていくことができるのだなあと、勇気をもらいました。

彼女は、33歳のとき、初めてチューリッヒでドライカースのワークショップに参加したそうです。内気になっていた彼女は事例などを積極的に話すことができなかったそうですが、勇気をだしてドライカースに挨拶にいったそうです。そのとき彼から、「私が来てほしかったのは、あなたのような母親です」と言われ、「所属感 feel belonging」を体験することができたというエピソードは、なんだか自分とかさなる部分もあって感動しました。わたしも、「ただのおばさん」だったけど(いまも専門家でも天才でもなく、「ただのおばさん」だけど)、パセージリーダーなどのアドラー心理学のお仕事をさせていただいているとは、むかしは夢にも思わなかった。わたしも、アドラー心理学のコミュニティにいることで、「self-esteem (誇りをもつこと)」と「feeling of belonging(所属感)」、「the courage to be imperfect(不完全である勇気)」を体験し、育てていただきました。いただいた恩を、身の丈で、人々にお返しをしたいと思います。

イヴォンヌさんは、師であるドライカースやエリック・ブルメンタ-ルからさまざまなことを学び、スイスアドラー心理学会の設立や、アドラー心理学会研究所の設立に尽力される中、「水の中に落とされて、泳ぎを覚えた」とおっしゃっていました。考えるよりも行動、というような彼女の生き方にも好きだなあと思いました。

イヴォンヌさんと夫さんのハインツさんと、ランチのときにご一緒できて、お話するチャンスにめぐまれました。鎌倉に行ってこられたそうで、「建長寺」「鶴岡八幡宮」「大仏」に感動しておられました。「温泉」は、まだ入っておられないことや、日本の食事は塩がたりないので、塩を買って持ち歩いていること、イヴォンヌさんのお母さまの形見の水晶のペンダントのことや、滅びていっているスイスの古い言語のことなどなど、世間話をたくさんしました。(そばに、ダイアンさんがいてくださったので、もれなく聴きとることができました~)

ハインツさんは、スイスに一校しかないギムナジウムを卒業しておられる、「スイス男児」です。ギムナジウムとは日本でいうと昔の「一高」とか「三高」です。「ニッポン男児」の日本のおじいさんたちと相通じる雰囲気があるなあと思ったのでした。

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総会中、目に見えるところ、目に見えないところで、ほんとうに、いろんなことが起こっていました。

これまでわたしは、たくさんの人々から支えてもらってきたんだなあということを思い出すできごともありました。

わたしが腹が立ったり悲しかったり、感情的に動揺したりしたできごとに直面していたとき、みんなに聴いてもらったんだなあと、そんなことを思いだしました。愚痴や文句を、わたしはみんなに聴いてもらって、感情的な動揺も受け止めてもらって、支えてもらって、生きていくことを助けてもらっていたのに、いったん聴いてもらってスッキリし、整理できてしまうと、助けてもらったことを忘れてしまっていました。最近の(いえ、ずっとかも)わたしは人の愚痴や文句や、感情的な動揺の部分をあまり聴かずに、事をすませようとしていたのかもしれない。

目に見えない感情の部分でも、わたしはたくさんの人々に支えらえているのですね。感情も大事です。とても印象的だったのでブログにも書きましたが、なんのことかわからない方、すみません。

【清野 雅子 2010年10月18日】

ICASSI 3度目の正直? 

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毎年夏に世界のどこかで開催される、アドラー心理学夏期集中講座があり、ICASSIとよばれている。今年はルーマニアのブラショフという都市郊外の山村で開催された。世界各国から来たアドレリアンたちと共に学び、遊び、文字通り寝食を共にするのだ。内容は、講義やグループでの講座、自主的な勉強会や余興と盛りだくさんで、退屈する暇がない。外国の人達と友達になれるのはもちろん、高名なアドレリアンから直接教わったり、お話を聞いたりできることは、とてもすばらしいのだが、公用語は英語とドイツ語なので、はっきり言ってここはかなりきつい。しかし、だからこそ日本ではできない経験ができることは確かだ。アドラーの高弟ルドルフ・ドライカースの娘である、エヴァ・ドライカース=ファーガソンがICASSIの現在の代表の一人である。 

「ICASSIは中毒になるよ」とは、初参加のときに聞いた言葉だが、これは本当だ。それ以来私は中毒にかかり、今回は連続の3回目である。

会場のホテルに到着するやいなや、以前にグループで一緒だった友達や先生に目がいく。さすがに3回目ともなると友達も増えるし、先生方も覚えていてくださるのがとてもうれしい。もっとも、東洋人というだけで目立つので、よくも悪くも覚えてもらいやすいのは確かだと思う。西洋人の団体の中にいると、東洋人は見てくれが全然違うので、それだけで目立つだろう。こういうときには得だと思う。ただし、同じくらいの年格好の東洋人が2人以上いた場合に、どれくらい個体識別されているかについては、かなりあやしい。

こちらも名前は忘れているが、顔はしっかり覚えている。前回Hug!で終わっているので、Hug!から始まる友達もたくさんいる。それで、何人もの人と感動の再会を果たす。片言で会話をしているうちに、私は、年々自分のふてぶてしさが増大していることに気づいた。

初めて参加したのは2年前、ハンガリーでだったが、そのときは今よりももっと英語が聞き取れないししゃべれないし、グループが何をやっているかわからなくてもそのままやり過ごしてしまうことが多かったように思う。今回も、基本は日本人なので日本人的に、「グループの流れをこわしたらいけない」とか考えがちにもなってしまうが、それでもここぞと言うところは質問したり発言した。できる限りしたつもりだ。

かなり間違った英語でも、とにかく言ってしまう。とにかく言ってしまうのだ。後になって間違ってたことに気づいて一人赤面することもしばしばあったが、グループのみんなや話した相手はほとんど理解してくれていたように思う。だから、よしとした。しょせん私が完璧な英語など、しゃべれるわけがないのだ。

ICASSIでは何かにつけて人々は言う。

"Courage to be imperfect!"

そうよ!不完全万歳!!
英語なんて 間違ってもいいの、ふてぶてしく自分の場所をつくるの。所属するのよ!!!

そうして2週間、過ごした。

【大竹 優子 2010年8月14日】