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今回の国際個人心理学会では、約90題の一般演題発表発表がありました。日本からは4名が発表しました。

会期中3日間、午後の3時間が一般演題発表にあてられました。会場はウィーン大学ですが、件の歴史的建造物ではなく、そこから路面電車沿いに歩いて2分ほどの所にある、近代的な大学ビルで行われました。

二つの建物の間には何件かオープンエアのカフェがあり、そこでドロップアウトする人もいたようです。私も自分の発表の後、一緒に歩いていたイヴォンヌご夫妻が「ちょっと休んでいきましょう」と誘ってくださり、林檎酒を炭酸で割ったのみもので緊張をいやしたものです。おお、それは格別においしかった! いえいえ、まだ発表のお話もしていませんでした。

演題が多かったので、一度に10もの会場で同時進行の発表となりました。会場ごとに大まかなテーマが決まっており、例えば私の発表は「成人の心理療法」というテーマの会場へ割り振られました。

ガイ・マナスター先生や、エリック・マンサガー先生といった重鎮も同じように発表されます。マナスター先生は参加することができませんでしたが、他の人が発表原稿を読み上げていました。
イヴォンヌ・シューラー先生は、お師匠のブルーメンタールから伝授されたカウンセリングの技法を発表されました。
また、イスラエルのジヴィット・アブラムソン先生は、「アドラーとサルトル」について発表しておられました。

そうした先生方の発表へはたくさんの人が聞きに行きますが、その他の発表に関しては、同時進行の発表が多かったためもあってか一つの会場にそれほどたくさんの聴衆はいませんでした。それだけに、その演題に強い興味を持った人達が聞きに来ます。会場によっては、まるでICASSIのクラスのようなアットホームな雰囲気で進むセッションもありました。

日本からの発表は、例えばKさんの、アプローチワークについての発表がそのようでした。ライフスタイルを扱うグループワークに興味を持った人達が参加されていて、みんなすすんでアプローチワークのカードを並べたり、聴衆(というか、もはや「参加者」)の間でも盛んにディスカッションがされていました。

Yさんは、学級での勇気づけの試みを発表されました。オーストリアのオスカー・シュピール学校(アドラー心理学に基づいた教育を行う学校。オスカー・シュピールはアドラーの弟子。)の先生と時間を分け合ってのセッションでしたが、両方とも勇気づけの教育がテーマでしたので、発表内容について活発に意見交換や質問が行われていました。

Nさんの発表は、アドラー=ドライカースカードのワークについての研究で、エヴァ・ドライカース先生のご夫君で哲学者のビル・リンデン氏が聞きに来ておられました。「理論と実践が結びついた素敵な発表だ」と、リンデン氏が好評をされました。また、「英語のカードはないのですか?」などの質問も出ていました。

私の発表には約20人の方が聞きに来てくださいました。
日本の参加者の方々が会場で写真を撮ったり、原稿のコピーを配ったり、いつでも通訳ができるように聞いていてくださって、おかげさまで、緊張はしたものの安心して発表にのぞむことができました。ありがとうございました。

内容は、2008年からいただいているテーマ「心理療法の構造分析」のうちの一つでした。たくさんの日本のアドレリアンがクライエントとしてこの研究にご協力をくださいました。それから、治療者としてデータをくださり、ご指導くださった野田先生、英語をご指導くださったDさん、大阪のカウンセリング講座の後で予演会を聞いてくださったみなさま。その他にも本当に本当にたくさんの方が支えてくださってこその発表でした。心からお礼申し上げます。
そしてこの発表でいただいた好評を、すべて日本のアドレリアンへ、そのままお返しいたします。

同じセッションの時間を分け合ったイタリア人の先生は、「セラピー中の会話はつい流してしまいがちだが、よく分析されましたね。これは言語分析だ。すばらしい」などと"compliment"をくださいました。余談ですが、この先生はその後もお会いするたびに"compliment"をくださるのです。以前から聞いてはいましたが、「男性は女性に声をかけないと、女性に対して失礼になる」という道徳を持っている民族がいる、というのは、どうやら本当のようだと思いました。

他にも何人かが好評をくださいました。例えば、イヴォンヌの友達のイギリス人からは、「今回学会に来てこれまでに研究発表をいくつか聞いたが、みんないいかげんだったし精神分析派のようだった。でもあなたのは論理的で、しかもアドラー心理学の研究だった。」との言葉をいただきました。

イヴォンヌからは、質問の時間にするどいつっこみ(質問)をいただきました。イヴォンヌにちゃんと納得してもらえる答えが言えずにちょっと悔しかったですが、発表を聞いて質問をしてくださるのは、とても嬉しいことです。なぜなら、質問は発表者に対する最高の尊敬と信頼の表れなのですから。

「日本人の発表」ということで、私たちの発表に興味を持って聞きに来てくださる方もありました。2日目の午前中にICASSI派から拍手を受けた意見を述べたスイス人の心理学者は、Kさんの発表の後で「日本ではこのようにアドラー心理学をやっているのですね。ぜひ日本の様子をもっとうかがいたいです。ICASSIへはこられますか?」と声をかけてくださいました。また、野田先生の書かれたドイツ語の論文を読んだというオーストリア人の医師も、日本人の発表というだけで興味をもって聞きに来てくださいました。

私たちは西洋人とは、まったく違った文化を持っています。そのなかで同じアドラー心理学をやっている、というのは、彼らにはとても興味があるのでしょう。私たちが彼らに出会うときに違いを知り、そこから自分を見なおすことができるように、彼らも私たちと出会うことで、彼ら自身についての再確認をすることもあるのかもしれません。私たち日本人が国際的な集まりへ行くことには、こんな意味もあるのだなと思いました。

日本からの発表は、論文にして『アドレリアン』に順次掲載を予定しています。
また、イヴォンヌ・シューラー先生の発表は、Iさんが訳してくださって、早くも次号の『アドレリアン』に掲載されます。

どうぞお楽しみに~。

【大竹 優子 2011年9月29日】

 国際学会初日の私はアルフレッド・アドラーの学んだ場所に立つことができた感激でただただ一杯だったのですが、「ウィーンでの」国際個人心理学会大会に参加するということにはもう少し奥深い意味があったのだと、だんだんに知ることになりました。

 初日の基調講演で、ウィーン大学の心理学の教授、ウィルフリート・ダトラー氏が言いました。
「フロイトはここで何十年も教授を務めました。アドラーは、学位は取りましたがあまり長くここにはいませんでした。」

 それを聞いて、イヴォンヌ・シューラー先生がおっしゃったことには
「フロイトはセクシュアルなことを扱って女性の人気があったから教授がつづけられたのよ。あんなの人気投票みたいなもんだわ!」
 
 さてそれが本当かどうかは定かではありませんが、「個人心理学」の国際学会の開会式で、フロイトの方をアドラーよりも持ち上げて言及することに、私はまずちょっと違和感を感じました。

 2日目午前中のテーマは、境界型人格障害の精神療法でした。まずトリノ大学の先生が、「構造化されたアドラー派短期療法」(Sequental Brief Adlerian Psychodynamic Psychotherapy)について講演しました。休憩を挟んでオーストリアの先生が、「高頻度療法」(High Frequency Therapy)について発表されました。そして最後にドイツの先生が、境界型人格障害の治療について、過去の個人心理学関係の論文を調べた結果を発表されました。

 これらを聞いて私は大変面食らいました。なぜなら、どの発表にも"psychoanalysis"(精神分析)や "transference/countertransference"(転移/逆転移)という言葉がとても頻回に出てきますし、質疑応答では、「大切なのは、転移や逆転移に気づくことだ」などと発表者が答えます。これらの言葉は、私がフロイトの精神分析学の用語として記憶していたものでした。私の知っているアドラー心理学用語といえば、「勇気づけ」「ライフスタイル」「共同体感覚」などなど・・・。いやしかしそんな言葉は、この時間の講演のどこにも出てきません。  おお、本当に、これは一体何の学会なのでしょうか!? 

このとき隣に座っていたイギリスのアドレリアン、アンシア・ミラーがつぶやきました。
"Where is Adler?"  

 この午前中の講演のディスカッションの時間に、あるスイス人の男性がフロアーから意見を述べました。要約するとだいたいこのようなことでした。(聞き取れなかったところを想像で埋めています。)

「アドラー心理学の治療というのは、医学的診断や症状を中心に行われるのではないと思っています。症状はすべて目的があって出されているのだから、治療者はその症状の背後にあるライフスタイルを知る必要があるのです。そのために、例えば早期回想を聞き取ったり、家族布置を聞き取ったりします。そうして、クライエントのゴールを知り、その人が建設的に生活できるように援助します。決して症状や診断にとらわれたりはしないのがアドラー派の治療だと思います。」

 これを聞いて、私がICASSIを通じて知っている人達は拍手喝采していました。私も聞き覚えのある言葉や文章が出てきたので、ほっと安心しました。

 
 そしてこれはとても大きな疑問となりました。ウィーンやドイツのこれらの治療者たちは、アドラー心理学(=個人心理学)をどういうふうに認識しているのでしょう? また、彼らの言う"psychoanalysis"とフロイト派の"psychoanalysis"は、どう違うのでしょう?

 
 3日目のプログラムが終わり、夜の宴会の時に、この疑問を中島さんにお話しました。すると中島さんも同じような疑問を持っておられたとのことでした。そこで思い切って、一緒にウィルフリート・ダトラー氏に直接聞きに行きました。
 ダトラー氏のお答えはだいたいこのようだったと思います。

 「個人心理学は、精神分析学の一つである。アドレリアンというのは、アドラーの著作をめくって『アドラーはこの本のここでこう述べている!』と言うような人達のことをいうので、私はアドレリアンではない。」
 
 フロイト派と個人心理学の"psychoanalysis"の違いについては、残念ながらダトラー氏からお答えをいただくことはできませんでした。とはいえ、ウィーン大学の現教授がこのように考えているのだ、と、知ることはできました。

 それにしてもこれは少なからず驚きでした。今まで私は、精神分析学というのはすなわちフロイト派の心理学のことだと思っていたのです。

 そして、なにより、今回新しく国際個人心理学会の会長になったダトラー氏その人が、「私はアドレリアンではない」とおっしゃるのです。

 学会長に関しては、いきさつがありました。本来は、これまで会長であられたガイ・マナスター先生がもう一期続けて会長の任に就かれる予定だったとのことでしたが、マナスター先生はご体調を崩され、交替されることになったのです。
 マナスター先生はテキサス大学の先生で、その書かれた教科書は翻訳されて、日本語でも読むことができます。(G.マナスター・R.コルシーニ著、高尾利数・前田憲一訳『現代アドラー心理学』)
 
 つまり、国際個人心理学会の会長は、今回をもってルドルフ・ドライカースのお弟子筋の先生からウィーンの「精神分析学」の教授へと交代したことになるのです。
 自称「アドレリアンではない」方を会長とした国際個人心理学会は、今後どのような方向へむかうことになるのでしょうか。

 
 私はこれまで、アドラー心理学イコール個人心理学だと思っていました。この二つの呼び方は、交換可能なのだと思っていたのです。が、今回国際学会に参加して、この二つを違ったものとしてとらえている人達もいるのだと知りました。そして私が日本やICASSIで学んだアドラー心理学は、アドラーの高弟ドライカースの系統のものであり、それとはまったく違う理論や技法を「個人心理学」として学んでいる人達もいるのだと知りました。
 
 しかし、このような人達がいることもまた、アドラー心理学では「多様性」ととらえるのでしょうね。自分たちの考えとは違う考えを持った人がいることを認めた上で、議論するのでしょう。

 一体「アドレリアン」って何でしょう? アドラー心理学とフロイト派の精神分析学との違いは何でしょう? 議論はきっと、これまでもされてきたでしょうし、何年先になっても続くのかもしれません。そうして先輩達がしてこられたように、これからも、アドレリアン達はこの疑問をぶらさげ、議論し、そのうちそれぞれ自分の立ち位置を見つけることになるのでしょう。 


【大竹 優子 2011年9月1日】

第25回 国際個人心理学会( International Congress of Individual Psychology)に参加しました。

 
今年はアルフレッド・アドラーがフロイトと袂を分かってからちょうど100年目にあたります。それと25回目を記念して、今回はアドラーの生誕の地であるウィーンで開催されました。本大会は7月14日から17日の4日間ですが、12日にはアルフレッド・アドラーの追悼式典、13日にはプレ・コングレス・プログラムとして、ケースカンファレンスが開かれ、足かけ6日間にわたる大きな学会でした。私はそのうち14日から17日まで参加しました。
 
P7150964.JPGのサムネール画像 
会場はウィーン大学、アドラーの母校です。地下鉄のショッテントア・ウニヴァジテート駅を出ると、プラタナス並木の向こうに大学が見えます。古い石造りの建物は頑健で、100年前にアドラーが通っていた頃からきっとあまり変わっていないのではないかと思われます。
  


 
大学の玄関を入ると広いエントランスになっていて、そこを突き抜けると、広い中庭に出ます。きれいに手入れされた芝生にベンチ、大きな樹の木陰、まるで公園の一角のようです。大学生のアドラーも、一人で思いにふけりながら、友人と議論をしながら、ここを歩いたでしょうか。



P7140948.JPG 
 






 

   中庭をぐるりとめぐる回廊には、過去に大きな業績を残したウィーン大学の教授たちの胸像が飾ってありました。その中でもひときわ大きなのは、世界で初めて胃ガンの手術に成功した外科医、ビルロート(Billroth)先生のものでした。1867年から長いことウィーン大学の外科教授を勤めていましたが、アドラーが学生だった頃にはもう亡くなっていたようです。

名誉教授として、作曲家のアントン・ブルックナーの顔のレリーフもありました。面白かったのは、アドラーのところで勉強したことのあるカール・ポパーの胸像です。ポパーは教授としてではなく、ただの「市民」としてそこに飾ってありました。彼もウィーン大学の卒業生で、そこで博士号をとりましたが、ウィーン大学の教授にはなりませんでした。なぜ彼がそこに飾られているのか、不思議です。きっと理由があるに違いありません。
 
エントランスの突き当たりの学会受付カウンター付近にいると、ICASSIで知り合った友達たちと出会いました。周りが静かなことをしばし忘れて、興奮しつつ挨拶をすませ、「会場はどこ?」「こっちじゃないかしら?」などどおしゃべりしながら開会式や基調講演の会場へと向かいます。

 
開会式は厳かな雰囲気で始まりました。まだ英語にあまり慣れてないこともあり(いえ、実力でしょう)残念ながら内容はあまり拾えませんでした。学会会長のガイ・マナスター先生が開会で歓迎のスピーチをするはずでしたが、今回は体調不良のため参加されませんでした。ミーハーながら、教科書を出している先生に会えなかったのはとても残念です。が、それ以上に彼の欠席には大きな意味があったのだと、後で知ることになります。

 
公式言語は英語、ドイツ語、イタリア語です。それぞれに同時通訳がつき、翻訳機を借りると自分の好きな言語を聞くことができます。私はほとんど英語で聞いていましたが、もちろん全部は聞き取れません。意味のわかる単語をつなぎ合わせて、どんなことが話されているか、大筋だけ追うのが精一杯でした。

 
午前のプログラムの間に、中庭の回廊でコーヒーブレイクがあります。学会のために特別にしつらえられたカウンターで、飲み物が一杯1ユーロ、ケーキやペストリーもひとつ1ユーロで買えます。このケーキやペストリーがもうたまらなく美味しいのです。ケーキは主にパウンド系のベイクドケーキ、ペストリーには甘いジャムやカスタードが焼き込められてあったり、シュトゥルーデルというウィーンの伝統的なパイもありました。おお、しかし、美味しいけれどお腹もいっぱいになるので、一度に一つしか試せないのがとっても残念でした。
 
  
それらおやつを手に、みなみな挨拶やおしゃべりをします。初日はICASSIの友達や先生方と挨拶したり、日本からの参加者ともお会いしました。約36時間ぶりの日本語会話にはどんなにほっとしたことでしょう。
 
 
今回日本からは、中島さん、山本さん、かきうちさん、私、の4人が発表者として参加しました。一般演題発表は毎日午後の3時間を使って行われます。初日は中島さん、2日目は山本さんと私、そして3日目はかきうちさんの発表がありました。午後の発表についてはまた別に書こうと思います。
 
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初日の夕方には、この中庭回廊で歓迎パーティーがありました。このパーティーの前に特別プログラムとして、アルフレッド・アドラーの孫のマーゴット・アドラー(アルフレッドの息子クルトの娘)のインタビュー談話があり、彼女もこのパーティーに参加していました。ちょっと猫背で顔の奥にある強い漆黒の目で、話す相手をのぞき込むようにしっかり見つめます。
 
写真は、マーゴット・アドラーとエヴァ・ドライカースと一緒に記念撮影をする中島さんです。



【大竹優子 2011年8月19日】