"Where is Adler?" 第25回 国際個人心理学会 参加録(2)

 国際学会初日の私はアルフレッド・アドラーの学んだ場所に立つことができた感激でただただ一杯だったのですが、「ウィーンでの」国際個人心理学会大会に参加するということにはもう少し奥深い意味があったのだと、だんだんに知ることになりました。

 初日の基調講演で、ウィーン大学の心理学の教授、ウィルフリート・ダトラー氏が言いました。
「フロイトはここで何十年も教授を務めました。アドラーは、学位は取りましたがあまり長くここにはいませんでした。」

 それを聞いて、イヴォンヌ・シューラー先生がおっしゃったことには
「フロイトはセクシュアルなことを扱って女性の人気があったから教授がつづけられたのよ。あんなの人気投票みたいなもんだわ!」
 
 さてそれが本当かどうかは定かではありませんが、「個人心理学」の国際学会の開会式で、フロイトの方をアドラーよりも持ち上げて言及することに、私はまずちょっと違和感を感じました。

 2日目午前中のテーマは、境界型人格障害の精神療法でした。まずトリノ大学の先生が、「構造化されたアドラー派短期療法」(Sequental Brief Adlerian Psychodynamic Psychotherapy)について講演しました。休憩を挟んでオーストリアの先生が、「高頻度療法」(High Frequency Therapy)について発表されました。そして最後にドイツの先生が、境界型人格障害の治療について、過去の個人心理学関係の論文を調べた結果を発表されました。

 これらを聞いて私は大変面食らいました。なぜなら、どの発表にも"psychoanalysis"(精神分析)や "transference/countertransference"(転移/逆転移)という言葉がとても頻回に出てきますし、質疑応答では、「大切なのは、転移や逆転移に気づくことだ」などと発表者が答えます。これらの言葉は、私がフロイトの精神分析学の用語として記憶していたものでした。私の知っているアドラー心理学用語といえば、「勇気づけ」「ライフスタイル」「共同体感覚」などなど・・・。いやしかしそんな言葉は、この時間の講演のどこにも出てきません。  おお、本当に、これは一体何の学会なのでしょうか!? 

このとき隣に座っていたイギリスのアドレリアン、アンシア・ミラーがつぶやきました。
"Where is Adler?"  

 この午前中の講演のディスカッションの時間に、あるスイス人の男性がフロアーから意見を述べました。要約するとだいたいこのようなことでした。(聞き取れなかったところを想像で埋めています。)

「アドラー心理学の治療というのは、医学的診断や症状を中心に行われるのではないと思っています。症状はすべて目的があって出されているのだから、治療者はその症状の背後にあるライフスタイルを知る必要があるのです。そのために、例えば早期回想を聞き取ったり、家族布置を聞き取ったりします。そうして、クライエントのゴールを知り、その人が建設的に生活できるように援助します。決して症状や診断にとらわれたりはしないのがアドラー派の治療だと思います。」

 これを聞いて、私がICASSIを通じて知っている人達は拍手喝采していました。私も聞き覚えのある言葉や文章が出てきたので、ほっと安心しました。

 
 そしてこれはとても大きな疑問となりました。ウィーンやドイツのこれらの治療者たちは、アドラー心理学(=個人心理学)をどういうふうに認識しているのでしょう? また、彼らの言う"psychoanalysis"とフロイト派の"psychoanalysis"は、どう違うのでしょう?

 
 3日目のプログラムが終わり、夜の宴会の時に、この疑問を中島さんにお話しました。すると中島さんも同じような疑問を持っておられたとのことでした。そこで思い切って、一緒にウィルフリート・ダトラー氏に直接聞きに行きました。
 ダトラー氏のお答えはだいたいこのようだったと思います。

 「個人心理学は、精神分析学の一つである。アドレリアンというのは、アドラーの著作をめくって『アドラーはこの本のここでこう述べている!』と言うような人達のことをいうので、私はアドレリアンではない。」
 
 フロイト派と個人心理学の"psychoanalysis"の違いについては、残念ながらダトラー氏からお答えをいただくことはできませんでした。とはいえ、ウィーン大学の現教授がこのように考えているのだ、と、知ることはできました。

 それにしてもこれは少なからず驚きでした。今まで私は、精神分析学というのはすなわちフロイト派の心理学のことだと思っていたのです。

 そして、なにより、今回新しく国際個人心理学会の会長になったダトラー氏その人が、「私はアドレリアンではない」とおっしゃるのです。

 学会長に関しては、いきさつがありました。本来は、これまで会長であられたガイ・マナスター先生がもう一期続けて会長の任に就かれる予定だったとのことでしたが、マナスター先生はご体調を崩され、交替されることになったのです。
 マナスター先生はテキサス大学の先生で、その書かれた教科書は翻訳されて、日本語でも読むことができます。(G.マナスター・R.コルシーニ著、高尾利数・前田憲一訳『現代アドラー心理学』)
 
 つまり、国際個人心理学会の会長は、今回をもってルドルフ・ドライカースのお弟子筋の先生からウィーンの「精神分析学」の教授へと交代したことになるのです。
 自称「アドレリアンではない」方を会長とした国際個人心理学会は、今後どのような方向へむかうことになるのでしょうか。

 
 私はこれまで、アドラー心理学イコール個人心理学だと思っていました。この二つの呼び方は、交換可能なのだと思っていたのです。が、今回国際学会に参加して、この二つを違ったものとしてとらえている人達もいるのだと知りました。そして私が日本やICASSIで学んだアドラー心理学は、アドラーの高弟ドライカースの系統のものであり、それとはまったく違う理論や技法を「個人心理学」として学んでいる人達もいるのだと知りました。
 
 しかし、このような人達がいることもまた、アドラー心理学では「多様性」ととらえるのでしょうね。自分たちの考えとは違う考えを持った人がいることを認めた上で、議論するのでしょう。

 一体「アドレリアン」って何でしょう? アドラー心理学とフロイト派の精神分析学との違いは何でしょう? 議論はきっと、これまでもされてきたでしょうし、何年先になっても続くのかもしれません。そうして先輩達がしてこられたように、これからも、アドレリアン達はこの疑問をぶらさげ、議論し、そのうちそれぞれ自分の立ち位置を見つけることになるのでしょう。 


【大竹 優子 2011年9月1日】