幸せの収穫祭 

今日はパセージ・フォロー会に参加しました。フォロー会には、毎回パセージ・リーダーさんが来てくださって会をコーディネートしてくださいます。

フォロー会の最後に、リーダーさんが、「今日お話を聴いたり話したりする中に、幸せがたくさんあったと思うんです。それを、探してみてください」とおっしゃり、ペアになってたわわに実った幸せの収穫をしました。

わたしは、先日お友だちから「働くって、傍を楽にするってことなんだよ」って教えてもらったことを思い出し、「お仕事のある幸せ」を見つけました。お仕事があるって、役割がある、必要とされている、所属しているってことで、それって幸せなことだな~って思いました。
「今日このフォロー会に参加できたのは、家族の協力があったから。ココに来れたことが幸せです」という幸せを見つけた方もおられました。幸せって、がんばって掴み取るものじゃなくって、そこに目を向けるだけでいいんですよね。

2007年、カウンセラー養成講座で初めて聴いた「平等 Gleichwertigkeit」の話を思い出しました。劣等感もその補償としての優越の位置も目標追求もすべては仮想。現実には、みんな平等で、平等とは「違っている」ってこと。違ったまま、尊敬し合い、信頼し合い、協力し合い、助け合って生きるってこと。

ここのところこの「違っている」ということについて考える機会をたくさんいただいています。アドラー先生から、「平等」についてしっかり学びなさい、と言われているような気がします。

【東 純子 2010年10月2日】