【池野 麻矢 2015年10月19日】
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【池野 麻矢 2015年10月19日】
10月19日(金)~21日(日)の日程で浜松で開催された第29回日本アドラー心理学会総会に参加致しました。
私は、アドラー心理学を学び始めてから10年以上経ちますが、総会に参加するのは今回が初めてでした。総会に参加しても難しすぎてついていけないのではないかと不安だったからです。しかし、今学会が大変な状態だということを『アドレリアン』などで知り、自分にできることをしなければ!と思い、何はともあれ総会に参加することにしました。
実際に参加してみて、確かに研究発表を全部理解することは難しかったのですが、日本のアドラー心理学の最前線の研究が何をテーマに、どんな方法で、何を明らかにさせようとしているのか、ということに生で触れたことは、とてもエキサイティングで貴重な体験でした。
シンポジウムでは、「学会を存続させるために、私達1人1人に何ができるか」という大きなテーマについて、壇上の役員の方だけではなく、フロアの学会員全員で考え話し合ったことが印象に残りました。「自助グループの運営の仕方はもっと研究の余地があると思います。自助の問題点は、新しい方が入りにくいことです。Adler Net やmixを上手に使うことは効果的だと思います」「自分1人で全部やろうとしない。例えばExcel苦手なら得意な人の助けを借りる。自分の仕事を手伝ってくれるお友達を作って巻き込みなさい」などの野田先生のお話が印象に残りました。
「私にできることをしよう」という決意と、「全部私がしなくてはならない」という思いこみは別のものなんだ、私はできないことはできないと言っていいし、人の助けを借りることは無責任なことではないんだ、と思いました。
また、澤田理事が、理事を引き受けることについて、「苦しく辛いわけではないので安心して下さいね。役目が来たのは、名誉なことです」ときっぱり断言されていて、その姿勢と言葉に深い感銘を受けました。
2日目の夜に、自主研究グループでともしびの会サロンが設定されていたので、そちらに参加しました。サロンの最初に、司会の中井さんが「なぜ今日このサロンに参加しようと思ったのですか?」と全員に問いかけて下さったので、アドラー心理学のともしびを後世に伝えよう、という志で結成されたともしびの会の午前中の座談会を拝見して素敵だなと思い、岩手でアドラー心理学を広めるためのヒントが頂けたらと思って参加した旨を発言しました。
サロンはとても穏やかで、皆が楽しくおしゃべりしながら、ゆったりと時間が流れました。どんな風に自助を運営していけばいいのか、どんなイベントを企画し、それをどういうルートで宣伝すれば本当にアドラー心理学を必要としている方に情報が届くのか、など、色々なヒントをいただけました。また、「アドラーやっている人はついつい『私にできることは何だろう?』と考えるけど、他の人に助けてもらうって大事なことだと思うよ」という柿内さんの言葉が印象に残りました。
3日間はあっという間に過ぎました。初めて総会に参加して、得られたものはアドラー心理学を後世に伝えるぞ、という熱いともしびでした。岩手の仲間と協力しながら、私にできることをこつこつ地道に実行していきます。3日間、本当にありがとうございました。
【北村 江奈 2012年11月9日】
私がお手伝いさせていただいた研究関係の発表も、無事におわって、ほんとうによかったです。
イヴォンヌさんの講演も、よかったです。「ただのおばさん」だった彼女が、75歳のいま、日本でアドラー心理学のワークショップをしている、その彼女の人生の道のりのお話に、人はこのように、何歳になっても、その人のもっているチカラを成長させていくことができるのだなあと、勇気をもらいました。
彼女は、33歳のとき、初めてチューリッヒでドライカースのワークショップに参加したそうです。内気になっていた彼女は事例などを積極的に話すことができなかったそうですが、勇気をだしてドライカースに挨拶にいったそうです。そのとき彼から、「私が来てほしかったのは、あなたのような母親です」と言われ、「所属感 feel belonging」を体験することができたというエピソードは、なんだか自分とかさなる部分もあって感動しました。わたしも、「ただのおばさん」だったけど(いまも専門家でも天才でもなく、「ただのおばさん」だけど)、パセージリーダーなどのアドラー心理学のお仕事をさせていただいているとは、むかしは夢にも思わなかった。わたしも、アドラー心理学のコミュニティにいることで、「self-esteem (誇りをもつこと)」と「feeling of belonging(所属感)」、「the courage to be imperfect(不完全である勇気)」を体験し、育てていただきました。いただいた恩を、身の丈で、人々にお返しをしたいと思います。
イヴォンヌさんは、師であるドライカースやエリック・ブルメンタ-ルからさまざまなことを学び、スイスアドラー心理学会の設立や、アドラー心理学会研究所の設立に尽力される中、「水の中に落とされて、泳ぎを覚えた」とおっしゃっていました。考えるよりも行動、というような彼女の生き方にも好きだなあと思いました。
イヴォンヌさんと夫さんのハインツさんと、ランチのときにご一緒できて、お話するチャンスにめぐまれました。鎌倉に行ってこられたそうで、「建長寺」「鶴岡八幡宮」「大仏」に感動しておられました。「温泉」は、まだ入っておられないことや、日本の食事は塩がたりないので、塩を買って持ち歩いていること、イヴォンヌさんのお母さまの形見の水晶のペンダントのことや、滅びていっているスイスの古い言語のことなどなど、世間話をたくさんしました。(そばに、ダイアンさんがいてくださったので、もれなく聴きとることができました~)
ハインツさんは、スイスに一校しかないギムナジウムを卒業しておられる、「スイス男児」です。ギムナジウムとは日本でいうと昔の「一高」とか「三高」です。「ニッポン男児」の日本のおじいさんたちと相通じる雰囲気があるなあと思ったのでした。
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総会中、目に見えるところ、目に見えないところで、ほんとうに、いろんなことが起こっていました。
これまでわたしは、たくさんの人々から支えてもらってきたんだなあということを思い出すできごともありました。
わたしが腹が立ったり悲しかったり、感情的に動揺したりしたできごとに直面していたとき、みんなに聴いてもらったんだなあと、そんなことを思いだしました。愚痴や文句を、わたしはみんなに聴いてもらって、感情的な動揺も受け止めてもらって、支えてもらって、生きていくことを助けてもらっていたのに、いったん聴いてもらってスッキリし、整理できてしまうと、助けてもらったことを忘れてしまっていました。最近の(いえ、ずっとかも)わたしは人の愚痴や文句や、感情的な動揺の部分をあまり聴かずに、事をすませようとしていたのかもしれない。
目に見えない感情の部分でも、わたしはたくさんの人々に支えらえているのですね。感情も大事です。とても印象的だったのでブログにも書きましたが、なんのことかわからない方、すみません。
【清野 雅子 2010年10月18日】