優子先生、亜由美先生、8日間ご指導くださりありがとうございました。
吉田伸さん、毎日学ぶ環境を整えてくださりお世話してくださって感謝いたします。
カウンセラー養成講座を受けさせていただき「あの8日間は壮大なひとつのカウンセリングだった」と感じています。
先生方の教え、カウンセラー体験、クライアント体験、同期や見学のみなさんと交わす言葉の全部が私のカウンセリングをしてくれていたんだと思います。
すべての方が私に大切なことを教え導いてくれる「師」でした。
そして、地元で共に学んだ仲間が合格されたのが嬉しかったです。精進されている姿を近くで見ていたので、まずは仲間の合格を祈っていました。
合格したカウンセリングを見た同期の仲間が「芸術のようだ」と形容しておられて、私もまったくその通りだと感動していました。クライアントさんの目で見て耳で聴き、クライアントさんの心で考える、を体現されておられると思いました。
ありがたいことに私も合格をいただきましたが、これまでのことを思い返すとこの合格は私のものではありません。
受講するお許しを得てから「これから私にできることは何だろう?」と考えました。カウンセリングのお稽古はほんの少ししかしたことがありませんでした。場数はほぼない状態です。そんな私ができそうなことは「形稽古」でした。亜由美先生に教えていただいたエピソード分析のシナリオを、いつかゴミ箱行きにするぐらい体に染み込ませようと手順を追いました。
その型がどれほど身についているか、仲間が作ってくれた場や自助グループで挑戦させてもらい、場数を踏ませていただきました。先輩方にも見守っていただきご指南いただきました。
ともに学んできた先輩方や仲間の応援のおかげだと思います。
そうして挑んだ養成講座で学んだことはたくさんあって、まだまとまっていないのですが、まとまらないまま書こうと思います。
エピソード分析は、シンプルなアドラー心理学の骨格なのでそれに沿って考えていけば問題は解けるのだと思います。ただ、問題の解き方が分かっても心がそれに追いつかない、そんな体験をしました。
自分がクライアントをした時でした。手順通りに進んで行き、自分の競合性に気がついているんだけれど、どうしても解決に行きたくない自分がいました。自己執着だと分かっているのにです。「アドラーやってちょっとはマシになったもんねー」という思いあがりが露呈した瞬間でした。それと同時に型の怖さも感じたのです。
優子先生が「よく切れる包丁は、最初慣れないうちは誤って手を切るかもしれません。でも上手に使うと美味しいお刺身を作ることができますよね。そのために練習していきましょう」とお話ししてくださったことを心に刻みました。
エピソード分析はよく切れる包丁なんだと思います。適切に使わなければクライアントさんを援助することはできません。
この体験ができて本当によかったです。これから供給者になる上で必要不可欠な学びでした。供給者だなんてまだまだおこがましいですが、この学びを経て、これからは型の向こう側にある人間知も磨いていきたいです。
アドラー心理学を供給するということは、自分の競合性と向き合いつづけることなんだと思います。競合的なのは私なのです。相手が競合的ならば、そうさせている自分がいるんだといつも点検していなければいけません。それに気がついたので「あの時のあれもそうだった」と後悔も湧いてきますが、その後悔の目的は?と自分に問い、自己執着を手放して少しでも協力的目標に向かうためにこれから何ができるかを考えていきたいと思います。
これからが本当の修行の始まりです。
そして!エピソードに登場してくださったみなさんに感謝いたします。
我が家の子どもの話も話させてもらったので、間接的にアドラー心理学の発展にお役に立てたなら幸いです。快く講座に送り出してくれた夫にも感謝します。
創始の師なるアドラーと
ドライカースとシャルマンと
多くの師たちと同学と
教えを頼りに学ぶべし
野田先生から教わったことはアドラー心理学だけではありません。
学び合うことの楽しさ、学んだことを誰かのために役立てること、生き方の多くを教えていただいています。
これからもそれを受け継いで、仲間と土を耕しつづけてアドラーの種まきをします。
【三浦裕子 2020年8月】