2014年11月アーカイブ

両親

今日なーんとなく、運転中ぼんやりと思った。 



私は今、命を生かそうと毎日自分なりに燃えている。 

ずっと命を無為にして生きてきたから、 

残念ながら賢さや根性や謙虚に感謝する気持ちやその他もろもろの積み上げがない。 

その分とっても苦労するし、失敗も多い。 

でも、とても楽しい。 



20年前、脳神経外科の待合室で父に、 

俺は子育てに失敗した。おまえには悪いことをした・・・ 

と告げられたことがある。 


その言葉が、ずっとずーっと悲しかった。 

私は失敗作なんだなー・・・と。 


どうして自分の人生にはあんなことがあったんだろう。 

どうしてあの人はあんなことを私に言ったんだろう。 

どうしてあの人はあんなことを私にしたんだろう。 

どうしてわたしはできなかったんだろう。 


してほしくなかった、あってほしくなかったことがたくさんあって、 

そりゃ父の言う通り失敗作もできあがるよな。 

そんな風にも思っていた。 


でも今思うと、 

父の言葉は、 

どうして娘にあんなことをしてしまったんだろう。 

どうしてあんなこと言ってしまったんだろう。 

どうして気付いてやれなかったんだろう。 

娘に苦しい遠回りをさせてしまった・・・ 

そんな悔恨の言葉なのかもしれない。 


私は今娘と出会えて、 

アドラー心理学に出会えて、 

アドラー心理学を学ぶ仲間に出会えて、 

くじけまくっていた昔の日々を埋めるように少ーしずつ前に進んでいる。 

本当に、この出会いたちに感謝しているんだけど、 



やっぱりそこで思うのは。 



アドラー心理学って素晴らしいなぁ! 

私も私のやり方で世の中の幸せにできることをして役に立ちたい! 

世の中に背を向けて月日が経つのを待つだけの失敗作の役立たずのままは嫌だ! 


そう思える自分に育ててくれたのは両親なんだよな。 


両親の子育ては、絶対失敗なんかじゃない。 

ちゃんと、大切なことを私に与えてくれたもの。 


アドラー心理学に響く健康な心を育ててくれたもの。 


すごいよなぁ・・・両親。 

アドラー心理学も知らないのにさ。 

沢山苦労して沢山守ってくれて、私を親になれるまで育ててくれた。 


沢山悲しませて沢山傷つけて、復讐し続けて、 

ほんとうに申し訳なかったな。 



私は今、命を生かそうと毎日自分なりに燃えている。 

どうして、と過去を嘆くことを止めて、 

過去もまるごと、本当にありがたいことばかりの人生だと思っている。 


両親は老いて、会うたび小さくなってる。 

私を本当に心配して、 

本当に大切に思ってくれ、 

とことん無償の愛を与えてくれる最後の人々。 



どうして運転中にそんなことを思ったのかわからないけど、 

両親に感謝でいっぱいになった。 

いろいろな想いで胸が苦しくなった。 

両親がくれた宝物が、私を生かすすべての原点。 


彼らが生きてるうちにこんなふうに思えたことがありがたい。 

本当にありがたいなぁ。。。 


【久郷 緑 2014年9月29日 】