新しい春

3月8日、今日は三男の中学校の卒業式でした。
あ~、おわった~、というのが今の正直な私のこころうち。

思えば長い長い不登校(園)でした。(笑)


先ほど、金曜日恒例の「安田タクロウ」さんの路上ライブから帰ってきた三男と話をしました。
というのも帰宅した彼の手には紙袋があったので、どなたからか卒業のお祝いでも頂いのかな?と思ったからでした。
聴いてみると中学のサポートルーム(教室に入れない生徒のための教室)でお世話になった先生が今日の卒業式で渡せなかったからと、持ってきてくださったようです。
毎週のように路上ライブに行っていることも場所も時間もわかってくださっているのは息子との会話があるから、と思うとそれだけでなんだか嬉しくなりました。
また、声に出して手紙を読んでくれたのでその内容から、息子のことを理解してくださって今後のことを応援してくれていること、本当にありがたく思いました。
その上、手紙の中に先生も三男も好きな言葉、として
「他人や過去は変えれないけれど、自分や未来は変えることができる」というのもあって「変わるのは自分」を座右の銘のように暮らしてきた私のこの数年間を理解してくれたようにも思い、嬉しかったです。

その後もいろいろな話をしたのですが、その中で「不登校児のお母さんでいるの、長かった~。でも病気にもならず明るいお母さんだったでしょ。これはアドラーのおかげなんだけれどさ。」と胸を張って威張ってみました。
更に「前にも言ったけれど、家にいる時間が多かった分、あなたとは本当によく歩きながら話をしたよね。もし寮のある高校(この選択肢もあってかなり悩み、結局自宅から通う高校へ進学します)へ行っても、始めは寂しいけれど悔いなく送り出せたと思うよ。結局は自宅から通うことになったけどね。」
「うん、そういえば本当によく歩いたね。でも明るいお母さんと一緒にいて楽しかったよ。ありがとうね。」

思春期の、なんだかわけわからない、私にとっては余り心地良くない時期もありましたが、受験に合格してからというもの、落ち着いた感があります。
そして、1日中一緒にいてもOKな友人(男の子ですよ)と過ごす時間も増え、ギターを抱える時間も増え、まさに♪おとなのかいだんのぼる~♪の進行形だな、と思うこの頃です。

先日同世代のアドラー仲間と「私たちの今後」について話をしました。
息子たちが巣立っていく母、としての、女性、としての今後。

新しい春がやってくるのかな、そんなことを思わせる卒業式の夜です。


【N.K(三重)2013年3月8日】