講座の最近のブログ記事

特殊講義と演習「葛藤解決」@東京

優子先生 亜由美さん
緊急事態宣言の中、関東までお越しくださってありがとうございました。

関東地方区運営委員のみなさん、開催に際し、感染対策など細やかなご配慮をありがとうございました。
参加されていたみなさん、お会いして共に学び合うことができてうれしかったです。ありがとうございました。

初めてパセージを受けてから9年。
それぐらい経っても、エピソードは残酷にも未だわたしの競合性に光をあててくれます。
息子は心得たもので、わたしが劣等の位置から放つピンポンの球を「ヒョイ、ヒョイ」と避けてお互いの平和を保とうとしてくれていました。

ところがわたしときたら、その「ヒョイ、ヒョイ」がわたしをますます怒らせる!息子は対処行動に失敗している!!とアドラー先生が化けて出てきそうな愚かなことを無自覚に考えていたのだと思います。
アドラー心理学を相手を裁くために使ってはならないと自戒していたはずなのに、しっかり息子を裁いていました。

パセージでは子どもの不適切な行動という文脈で語られる5つの段階ですが、「葛藤」という文脈で考えると、これはあくまでもお互いのコミュニケーションの型であって「不適切な行動をしている子」がいるわけではないことが改めてよくわかりました。
ピンポンの図に書くと本当によくわかりました。
5つの段階に子どもに当てはめて観察するのではなく、コミュニケーションのパターンとして点検する...自分の何が相手をそうさせているか自分を点検するために使うのだ、それを忘れていました。
こうやって講座に参加して点検してもらって「忘れている」ということがわかってよかったです。多分また忘れるけれど、忘れるたびに思い出して、権力争いの現場で思い出せるようになりたいです。(できれば権力争いになる前に思い出しなさい、という声がどこからか...)

パセージ・プラスでも葛藤解決は学びますが、プラスでは相手がある年齢の子どもに特化されていると理解しています。
特殊講義と演習『葛藤解決』では夫婦関係のことも言及されていて、より深く広く応用的に学ぶことができました。

野田先生のテキストをみんなで読んで、優子先生のわかりやすくて温かい解説を聴いて、グループでシェアをする。誰かのエピソードを我が事のようにみんなで知恵を出し合う。学び合いがとてもありがたかったです。

みなさん、ありがとうございました。


【三浦裕子 2021年3月】

カウンセラー養成講座2020


優子先生、亜由美先生、8日間ご指導くださりありがとうございました。
吉田伸さん、毎日学ぶ環境を整えてくださりお世話してくださって感謝いたします。

カウンセラー養成講座を受けさせていただき「あの8日間は壮大なひとつのカウンセリングだった」と感じています。
先生方の教え、カウンセラー体験、クライアント体験、同期や見学のみなさんと交わす言葉の全部が私のカウンセリングをしてくれていたんだと思います。
すべての方が私に大切なことを教え導いてくれる「師」でした。

そして、地元で共に学んだ仲間が合格されたのが嬉しかったです。精進されている姿を近くで見ていたので、まずは仲間の合格を祈っていました。
合格したカウンセリングを見た同期の仲間が「芸術のようだ」と形容しておられて、私もまったくその通りだと感動していました。クライアントさんの目で見て耳で聴き、クライアントさんの心で考える、を体現されておられると思いました。
ありがたいことに私も合格をいただきましたが、これまでのことを思い返すとこの合格は私のものではありません。

受講するお許しを得てから「これから私にできることは何だろう?」と考えました。カウンセリングのお稽古はほんの少ししかしたことがありませんでした。場数はほぼない状態です。そんな私ができそうなことは「形稽古」でした。亜由美先生に教えていただいたエピソード分析のシナリオを、いつかゴミ箱行きにするぐらい体に染み込ませようと手順を追いました。
その型がどれほど身についているか、仲間が作ってくれた場や自助グループで挑戦させてもらい、場数を踏ませていただきました。先輩方にも見守っていただきご指南いただきました。
ともに学んできた先輩方や仲間の応援のおかげだと思います。

そうして挑んだ養成講座で学んだことはたくさんあって、まだまとまっていないのですが、まとまらないまま書こうと思います。
エピソード分析は、シンプルなアドラー心理学の骨格なのでそれに沿って考えていけば問題は解けるのだと思います。ただ、問題の解き方が分かっても心がそれに追いつかない、そんな体験をしました。
自分がクライアントをした時でした。手順通りに進んで行き、自分の競合性に気がついているんだけれど、どうしても解決に行きたくない自分がいました。自己執着だと分かっているのにです。「アドラーやってちょっとはマシになったもんねー」という思いあがりが露呈した瞬間でした。それと同時に型の怖さも感じたのです。

優子先生が「よく切れる包丁は、最初慣れないうちは誤って手を切るかもしれません。でも上手に使うと美味しいお刺身を作ることができますよね。そのために練習していきましょう」とお話ししてくださったことを心に刻みました。
エピソード分析はよく切れる包丁なんだと思います。適切に使わなければクライアントさんを援助することはできません。

この体験ができて本当によかったです。これから供給者になる上で必要不可欠な学びでした。供給者だなんてまだまだおこがましいですが、この学びを経て、これからは型の向こう側にある人間知も磨いていきたいです。

アドラー心理学を供給するということは、自分の競合性と向き合いつづけることなんだと思います。競合的なのは私なのです。相手が競合的ならば、そうさせている自分がいるんだといつも点検していなければいけません。それに気がついたので「あの時のあれもそうだった」と後悔も湧いてきますが、その後悔の目的は?と自分に問い、自己執着を手放して少しでも協力的目標に向かうためにこれから何ができるかを考えていきたいと思います。

これからが本当の修行の始まりです。

そして!エピソードに登場してくださったみなさんに感謝いたします。
我が家の子どもの話も話させてもらったので、間接的にアドラー心理学の発展にお役に立てたなら幸いです。快く講座に送り出してくれた夫にも感謝します。

 創始の師なるアドラーと
 ドライカースとシャルマンと
 多くの師たちと同学と
 教えを頼りに学ぶべし

野田先生から教わったことはアドラー心理学だけではありません。
学び合うことの楽しさ、学んだことを誰かのために役立てること、生き方の多くを教えていただいています。
これからもそれを受け継いで、仲間と土を耕しつづけてアドラーの種まきをします。


【三浦裕子 2020年8月】

練成講座2020@愛知


初めて練成講座に参加させてもらいました。

最初は、開催地だしお世話役は頑張ろうと思っていましたが、講座ではパセージもまだ開催していないような自分は、とにかく黙って、邪魔しないように居させてもらおうという消極的な感じでおりました。

でも、優子先生のデモンストレーションを見ていて、カウンセリングに何が起きているのかはわかりませんでしたが優子先生やカウンセリングの雰囲気から、「今の自分のレベルで学べることを学ぼう。」そう思えました。

今の私が学べること、身につけたいことといえば、エピソード分析の手順やスムースな進行、私的感覚探しのときの質問力や方向かな。そのあたりを学ぼうと思いました。

エピソードから何が起きているかを考えたり、筋道を立てることは難しかったものの、皆さんのカウンセリングをいくつも見させていただくうちに、いつの間にか私ならクライアントさんに何を学んでもらおうと思うかな?そのためにどんな質問をするかな?などと考えながら参加していました。
実際にはカウンセラー役の方がなぜその質問をするのか、なぜ悩んでいるのか、なぜ止まっているのか、さっぱりわからないということが多かったですが、クライアントさんの話に思いをはせる練習にはなったかなと思います。

さて、こんな私が、練成講座で学んだことは、カウンセリングでも目標の一致をとっていること、何をするとクライアントさんが勇気づけられるのかを考えていること、その人にとってという目線でいること、などという普段定例会でメンバーとやっていたり、家庭で我が子とやっているようなことと構えは同じなんだと気づいたことです。今やっていることがここにつながっているんだな、私も我が子やメンバーを勇気づけようとしているんだなと改めて感じることができました。

また、クライアントをさせていただいての学びは、自分はアドラー育児をしていなかったという事実に気づいたことです。思えば手のかかる困った子ほどアドラースイッチを入れて実践していると思っていたけれど、困ったことが起きなければ実践していなかったんだなと。そこそこ痛い気づきでしたが、納得でした。
私が長男とは平和に暮らせているのは、私がパセージを実践しているからではなく、長男が優しく許してくれていたからなんだと。長男の力に助けられてのことだと気づきました。

優子先生の言われたとおり長男の話を全く聴いてないじゃん!!という状況でしたので聴いてみたところ「なんだそんなこと?」というオチでした。そんなことも相談してもらえないような関係は嫌なので、対象年齢は過ぎてしまいましたが関係を作り直していきたいと思います。

最後になりましたが、優子先生、亜由美先生、カウンセラーをしてくださったMさん、あの場にいたみなさま、すてきな気づきの機会をくださりありがとうございました。


【志賀紀子 2020年7月】

基礎講座応用編@高槻

大竹優子先生、アドラーギルドの方々、中井亜由美さん、えがおの風のメンバー、そしてなにより、コロナ渦の不安の中にもかかわらず高槻まで来てくださり、講座をご一緒させていただいたみなさま、4日間ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

大竹先生に「応用編って、高槻で開催したりとかしないですかねぇ?」とダメ元で軽く訊ねたことから始まった高槻での応用編。
途中、コロナの影響で今までと違う生活をしなければならなくなったり、日程の延期や会場の使用に制限ができたりと、準備当初には想像もしなかったことが起き、不安を抱えながら準備期間を過ごしましたが、無事に4日間を終えたことをとてもありがたく思います。

応用編について、待ちに待った応用編を受講できたことが、まずは1番の喜びでした。
今まで、パセージ ・パセージプラスと学んできましたが、点々バラバラと理解していたものが線としてつながって理解できるようになったと感じました。また、理解できていると思っていた事柄が、実はあやふやな理解だったことを知ることもできました。

講座の中ではたくさんのことを教えていただきましたが、受講後に変化のあったことを一つ書きたいと思います。

講座で「人間の行動の目的は所属すること」、「行動はいつも所属を目指している」、「感情の前の思考を変え、出来事に対する意味づけを変える」を改めて学びました。

小2息子の今までの行動で、あまのじゃくのような事ばかり言うことがよくあり、「何がしたいの!?」とイライラする場面が多くありました。講座を受けてからもまた同じような場面があったのですが、学んだことを思い出して、「理由はわからないけれど、彼は私との所属を目指してこの行動をしているんだな」と思い直すと、彼の姿がなんだかいじらしくて、急にかわいく思えてきて、イライラがなくなりました。そして、「あ!これが思考を変え、意味づけを変えることなのか!」と私の学びと理解と経験が一致した瞬間でした。いつもなら、最後に険悪なムードになるのがお決まりでしたが、この時はずいぶんグチグチと言われたにもかかわらず、ニコニコとやり過ごせたのです。講座を受けてまだ1週間ですが、陰性感情を使うことが減ったように思います。

ずいぶん前に先輩アドレリアンから『アドラーの講座を受けると、すごく良い人になって帰ってくるの。家族もそれがわかるからか、快く講座へ送り出してくれるようになるし、なんなら、家族から「そろそろ講座へ行ったほうがいいんじゃない?」とか言われるようになるのよー』と聞いたことがあり、聞いた時は「そうなのかぁ」くらいに思っていました。
そして受講後、まさに「いい人」になっている私がいて、先輩から聞いた言葉を実感しています。おかげさまで、今のところ、まだ「いい人効果」は続いているようです。

もうひとつ講座を受けてわかったことは、自助グループでいつもお世話になっているリーダーさんが、大竹先生が講座の中で話されたことと変わらないことをいつも伝えてくださっていること、アドラー心理学を正しく私たちに伝えようといつも努めてくださっていることに気づくことができました。

講座の中で大竹先生は、「ひとりで学んでいては自己流になってしまう。自助グループなどで仲間とともに学ぶのがいい」と何度も話されていたのが印象に残っています。
これからもリーダーや先輩アドレリアン、仲間の力を借りながら学びを深めていきたいと思います。

次回の理論編@大阪も楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。


【えがおの風・稲垣君代 2020年7月】

理論編@福岡、終了しました

大竹優子先生

 昨年の応用編に続いて今年も、基礎講座理論編の講義をしていただいて、ありがとうございました!

 今回も、「基本前提の歌」の冒頭に書かれている系譜に沿って、脈々と受け継がれているアドラー心理学を教えてくださる大竹先生との4日間を通じて「伝統的なアドラー心理学」を学び続ける事の大切さを実感することができました。

 特に「横の関係と縦の関係」の「横の関係」や「平等の位置」ということについては、「言葉としては知っているけれど、実生活の中での体験が思い浮かばない...」や「いつも劣等の位置にいるのが普通になっていて、競合的になって、同じ失敗を繰り返している...」や「平等の位置ってどこか遠くにあるパラダイスのような感じ...?」という思いが今だに続いていました。
 基礎講座理論編の前半を受けている時にも、その思いが強くなって「やっぱり、まだわかっていないんだな」とも思いました。

 ちょうどその時、野田先生のライブラリに「横の関係」についてのお話が掲載されていたので、繰り返し聞いてみたところ、「平等の位置に戻るのは実は簡単」で、どうすれば戻れるのかいうところが耳に残るようになりました。
 その状態でさらに、理論編後半の大竹先生の講座の中で「劣等の位置に落ちた、ということ自体が思いこみ(仮想論) 。本当は、まだちゃんと所属できているのに、あさっての方向(優越目標)に向かって行こうとする」というところを聞いた時に、前半の時に感じていた疑問と答えが一直線につながったような気がしました。
 大竹先生の講座を受けて、野田先生のライブラリを聞いて、また大竹先生の講座を受けても、ぶれることなく一本の光のような筋道が通っているように感じられました。

 その光にこれまでの疑問を照らしてみると「ああ、そうだったんだ!いつも劣等の位置にいる、というのは私の思い込みで、実はすでに所属できていて、普通の状態が平等の位置にいるということだったんだ」「劣等の位置に落とされた、というのも私だけの思い込みで、周りの人たちはそんなこと思いもしないで当たり前のように所属し続けてくれているんだ」とはっきりと思えるようになったと同時に、自分がどれだけ所属できてきたかという体験が少しずつ思い出されてきました。
 「だから、やみくもに優越目標を目指して競合的にならなくても、今、目の前にいる人たちに目を向けて、一緒にできることを探してみればいいんだ」とも思うようになりました。
 そして「きっとまだ私が気づいていない〈所属できている状態〉がたくさんあるに違いない。そこに目を向けるようにして〈所属できている体験〉を増やしていけば、劣等の位置に陥ってもどこに戻ればいいかわかるようになるかもしれない...!」と、希望が持てるようになりました。
 さらに「劣等の位置に陥って競合的になっている時の私は自分のことしか考えられないけれど、平等の位置に戻って落ち着いて考えることができれば、少しは協力的になって周りの人たちの役に立つことができるようになれるかもしれない!」という希望まで持つようになってしまいました...。

 基礎講座理論編4日目から一週間、まずは〈所属できている状態〉を見つけることから始めてみました。すると、少しずつ「あ。今、これって平等の位置で所属できてるかも...?」と思える瞬間が見えてきました。
 「劣等の位置」に馴染んでいる私には、ちょっと勇気がいることなのですが、その瞬間が少しでも長くなるよう「プチ勇気」を持って続けていこうと思っています...。

 最後になりましたが、基礎講座理論編でご一緒してくださったみなさま、昨年の応用編から引き続きご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました!

 そして、大竹優子先生、基礎講座理論編の4日間の講座をしていただいて、本当にどうもありがとうございました!
 来年の「勇気づけ」の特殊講義と演習も、また福岡で学ばせていただけることになって、とてもありがたいです。
 今後も、お世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。


【福岡アドラー心理学研究会 石本雅美 2019年11月】

基礎講座応用編@岐阜

大竹優子先生、講座に参加くださったみなさま、4日間の学びの時間をいただきありがとうございました。基礎講座応用編を受講して感じたことを書いてみます。

私は2013年大阪で初めて受講して以来、6年ぶり2回目の受講でした。
1日目・2日目で印象に残ったことは2つあります。
1つは、優子先生が繰り返し「善い、悪いではありません」とおっしゃられていたことです。何度も伝えてくださるということは失敗しやすく大事なことだと感じました。
油断するとすぐに自分の物差しで「善い/悪い」を決めたくなります。でも協力的に問題を解決して暮らすことを目指すならば、「善い/悪い」を決めることから離れて、所属していると感じられる方法や問題解決に便利な方法を選ぶことが大事なのですね。
「善い/悪い」を決めようとしていないかいつも自己点検が必要だと学びました。

2つめは、質疑応答の際に優子先生が「それはわかりません」ときっぱりおっしゃっておられたことです。1回だけでなく何度もその場面があり、わからないと言える謙虚な姿勢にはっとしました。そして、わからないことを認めたうえで、いま言えることや知っていることを真摯に教えてくださいました。人は不完全だけどこれまでに得られたものを持ち寄って伝え合って暮らしていくのだというイメージを持ちました。講座4日目に「人は真実を知らない」というお話がありましたが、謙虚でいるとはどういうことかテキストより目の前の優子先生を見て学ぶことができたと思います。

3日目・4日目で印象に残ったのは、グループワークです。
4日間通して、各章の講義の後に毎回グループワークが15分程あり、その後に質疑応答という構成でした。グループワークは4~6人で「学んだこと」「わからなかったこと」「テキストの設問の答え」について話し合う基本的な内容です。いつも学んだことは何ですか?と問いかけるアドラー心理学らしい構成と思いました。6年前の応用編ではこのようなグループワークなかったように思います。以前の私だったらグループワークを15分するより、講師のお話を聞くか講師への質疑応答の時間にあてた方がいいのにと思ったかもしれませんが、今回はグループワークの時間がとても楽しく貴重に思えました。
というのも、自分の目の前にいる相手の関心に関心を持ち、批判をせずに意見を聞き、わからないことは尋ねて、自分が発言する時は相手に伝わるように話し方を工夫するということは、話し合って問題解決して暮らす、協力するための練習だと感じたからです。

と、ここまで書いて思いだしました。講座の期間中でも私は簡単に「悪いあの人」「かわいそうな私」に陥って、自分は変わらず相手を変えようとしてしまうことがありました。
協力的な暮らしを学んでいるのに何をやってるのかな~です。

応用編では、陰性感情を感じたら対処行動を繰り出す前に「相手に何を言わせようとしているのだろうか」と仮想的目標を明らかにし、実現していい目標なのかどうか区別がつくようになることが大事と学びました。そのためには、講座後の継続学習こそ重要だと再確認しました。
仲間の力も借りて自己点検し、1回きりの関係ではなく普段の人間関係でお稽古していくことを続けたいと思います。


【青山知子 2019年6月】

リーダー養成講座 2019年1月


大竹先生、Mさん、Nさん、Sさんありがとうございました。
また同期の皆さま本当にお疲れ様でした。
3日間、朝から晩まで勉強しましたが、みなさんお疲れ出てないでしょうか。私の風邪がうつってないか心配しております。ご自愛くださいませ。


リーダー養成の感想と学びを書きます。
とにかく嬉しかったことは、野田先生にお会いできたこと、お話を聞けたことです。心配でどうされてるかしらと思っていたので、ずいぶんお元気になられたご様子にほっとしました。

さて、同期の皆さん。皆さんがあまりに賢く、優しく、優雅だったり、たくさん勉強されていたりで、それに比べて私はあれもこれもできてないと思ってしまいました。その目的はと考えたのですが時間がないので、とりあえず私のストレンクスって何だったけ?と思い出し、大竹先生に教わった「ストレンクスは自分の気持ちをよくするためではなく、ストレンクスを使ってメンバーを勇気づける」を思い出し、とにかくやってみました。
そして、自分のも他の人のも、ひたすら適切な側面に注目し続け、適切な側面しか見えないという貴重な経験ができました。ありがとうございます。以前感じた、私が受けたリーダーの圧倒的な勇気づけの迫力の源はこれだろうなと思いました。

それから、体を動かし声を出すのは私ですが、私がやってるのではないのだなと感じました。透明な管ってこの感じかなと思いました。ストレンクスを使ってメンバーを勇気づけることもするし、マニュアルに沿ってやることはたくさんあるけれど、私達は巨人(アドラー、ドラーカース・・・)の肩に乗っているので遠くを見渡せるだけで、賢いのはテキスト。メンバーとテキストをつなぐのがお仕事なんですね。テキストは動いてしゃべれないですものね。

試験は27-Lでした。自然の結末には介入しないほうがいいよね、という感想が事例提供者からでたので、「一度くらいは声をかけますか?それとも一度も声をかけないでおきますか?」と質問しました。終わってから皆さんに、現場はお家、念押しは良かった、と言っていただけました。
これも、私が考えたのではないなと思いました。なんとなく先輩リーダーが降りて、私の体を使ってこの質問がでてきたような感じでした。何度となく、現場に戻ったときにできるよう勇気づけられた経験があったからですね。

今、アドラーからの流れの中にいるのだなと感じました。先生や先輩方に教わったことや、テキストを大切にして、この流れが続くよう、できることをしていきたいと思いました。

勇気づけ合う3日間、適切な側面に注目し続ける3日間、とても楽しく学べました。
試験の順番を決めるためのあみだくじと、くじに名前を書く順番を決めるためのじゃんけんのことも良い思い出です。同期の皆さんとは、これからも共に学んでいけたら嬉しいです。

京都と滋賀の皆さま、応援してくださった皆さま、ありがとうございました。
心から感謝いたします。


【岡田知子 2019年1月】

基礎講座理論編@東京2018

大竹先生、4日間本当にお疲れさまでした。

先日東京で開催された基礎講座理論編は、
参加者と大竹先生がともに学びあう協力的で活発な雰囲気の中、
大成功に終わったことをご報告いたします。
感想をうまく言葉に表現できなくて、投稿が遅くなってしまいました。

大竹先生の理論編は、
創始者アルフレッド・アドラーから弟子たちへ代々受け継がれてきた
きらきらした宝のようなアドラー心理学そのものでした。
その輝きが失われないように、何かを混ぜ込んだり、雑に扱うことなくそれを守り、
丁寧に言葉を選びながら私たちに手渡そうとされているその姿に感動しました。
そして私たちも弟子なのだとあらためて自覚したところです。

「〇〇については、〇年前に一度だけ野田先生が説明されていました。」
「これについては〇〇号のアドレリアンに論文が載っています。」
「それを言ったのはアドラーではなくてアメリカの〇〇先生です。」

その誠実さと努力に心を打たれましたし、
質問に対しても即座にこのように答える先生にびっくり仰天したのはたぶん私だけではなくて、
参加者はあっという間に大竹先生ワールドに引き込まれていきました。
知的な講義と気さくなトークのバランスが絶妙でしたね。

質疑応答がとても活発に行われたのも印象的でした。
質問しやすい雰囲気だったようですね。
グループワークも盛り上がり、
あちらこちらで自助グループやパセージをご紹介する姿も見られました。
会場全体に勇気づけの雰囲気が満ちていて、
そこにはアドラー心理学が目指す共同体があったと思います。

最後に先生は、
部分をとってアドラー心理学といわないでね、全部含めてアドラー心理学だから、
ということを優しくきっぱりと伝えられました。
そしてぜひ学会に入ってこれからも一緒に学んでいきましょうと結ばれ、
大きな拍手で終了しました。

私がほっとしている横で、運営委員のGさんがさっと立ち上がり、
今回急な代役を務めてくださった大竹先生と
開催に際して協力してくださったみなさんにお礼の言葉を伝えると
ひときわ大きな拍手が起こり、今回の理論編の成功を実感しました。
こうやっていけばいいんだ、大丈夫。そう思いました。

大竹先生は4人きょうだいの長子でいらっしゃるとのことですが、
今私は大竹先生のことをお姉さんのように感じています。(勝手にすみません。)
頼れるお姉さんのもと、きょうだいが協力して学び成長していくイメージを
くっきりと思い描くことができています。
あとは実践。いつもどこに行っても自分のまわりをぐるっと見渡して、
そこで自分は何ができるかを考えて暮らしていきます。
新たな決心の背中を押してくださった大竹先生に感謝いたします。


今回みなさんと一緒に学び、過ごす中で「協力的」であるとはどういうことなのか、
少しわかったような気がしますので書いてみます。

開催にあたって多くの方がたくさんの協力をしてくださいました。
本当にありがとうございました。
早めに会場入りして会場設営の準備を手伝ってくださったり、
案内係をかって出てくださったり、お菓子を持参してくださったり。

その他にも、積極的に質問をする、グループワークで話題を提供する、
ランチタイムに楽しく会話をする、一人でいる人に声をかけてみる、
相手の話をじっと聞く、自分の自助グループについてお話する、
ゴミが落ちていたら拾う、目が合ったらにっこりする...

見過ごしてしまいそうなこれらもまた協力なのだと気がつきました。
そしてこの小さな協力的なふるまいがまわりに影響を与え、じわじわと広がっていき、
場の雰囲気をつくるのだということがよく分かりました。

できることをやっていけばいいんだ、と勇気づけられました。
みなさんと一緒だったから学べたことです。

ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。


【野上清水 2018年4月】

理論編後のわが家


京都での理論編後【協力】について、ぶら下げつつ過ごす今日この頃。

そんな中での変化。
わが家では今まで玄関の靴を私が片付けていました。
以前この件につき家族で話し合ったのですが、
家族は靴を片付ける必要がないという考えだったので、私がやることになっていたのです。

でも。

京都から帰って来てから、より協力しながら家族で暮らせるようにという思いが生まれたように思います。

思い切って、家族が帰ってきたときに、「お帰りなさ~い!!靴しまってもらってもいい?」と声をかけてみました。
陰性感情はほぼありません。なんとかやってもらおうという思いもあまりなく、なるべく体を緩めて、明るく言ってみました。

すると、嫌な顔をせずにみんな靴箱にしまってくれました。
ちょっと、ビックリ。

「しまってくれてありがとう!!」とお礼を言いました。


これを2日繰り返したら、3日目には三男はなにも言わなくてもしまってくれるようになりました。
「言わなくてしまってくれたんだね、ありがとう助かるよ。」と伝えました。

声をかけられずに靴が出しっぱなしの時は、今まで通り私が片付けました。
教えに従い、良いところだけに意識を向けたいと思ったからです。


これがいいという自信があるわけでもないんです。
ただ、今までと違った方法で家族とより協力し合いたいと試している感じです。

講義中も何度も出てきた【協力】の言葉。

勇気づけの歌にその方向性が見えた気がして、
フラットな心の状態で家族で協力し合えることをなんとなく意識しています。

ずっとこのまま靴について声を掛けつづけるのもどうかなと思うので、様子を見て家族に相談してみようかなぁ。。。



さらにもうひとつ。
助け合って乗り越えたこと。

昨日次男に頼まれ髪の毛をバリカンで切ったら、うっかりやらかしてしまいました。

左側後頭部に突然現れる直角の空白地帯。つけるべきアタッチメントをつけ忘れてしまったのです。

あまりの状態に慌てる私。
次男に見せてと言われ、写メを撮って見せたら、笑って許してくれました。

その後、なんとか最悪の状態からはリカバリーしましたが、
後から次男がポツリと「俺、よく怒らなかったな。」と呟いてました。

やらかした直後、次男は笑ってくれて、「とりあえず、おかぁ落ち着いて。」と声を掛けてくれ、アドバイスをくれたり、あぁだこうだと二人で相談しながら、なんとかかんとか目を覆いたくなる状況からは脱しました。

推量ですが、次男は動揺する私を思いやり、私を落ち着かせてなんとかしようという目的に向かったので、怒りの感情は使わなかったのかな?

次男も協力的です。


【えっこ 2018年2月】

声掛けじゃなく構えをかえるには?

今日も、アドラー心理学基礎講座応用編の感動を書きたいと思います。
 
応用編1日目は、勇気づけに関する講義でした。
 
そこで、尊敬と信頼について学びました。
わたしは、この日、先輩たちや仲間たちが口をそろえていう
 
 かまえを変える
 
ことができる手がかりをついに見つけました。
 
ひとまず、尊敬と信頼について学んできたことについて書きますね。
 
アドラー心理学のグループ体験にに基づく育児学習コース『パセージ』で、
 
 あなたはお子さんを尊敬していますか?

と聞かれたことがあります。
 
傲慢な私は
え?こどもを? 何を尊敬したらいいの? どこを尊敬できるの?
と探しあぐね
だいたい、子どものほうが私より優れているところってどこなの?
あ、背が伸びるとか記憶力が優れているとか絵が上手とか
そういうところ(だけ)は優れているよね!
 
だから尊敬できるよね?
 
と無理くり探したりしておりました。
 
今回、尊敬についてこのように優子先生はおっしゃいました。
『尊敬とは英語で re-spect。re は再び spect は見ることを表しているのでもう一度見直すって意味です。』
そして続けてこうおっしゃっいました。

『この人も1人の人間なんだよね。今、一生懸命生きているんだよね。これから経験をつんで大人になっていこうとしているんだよねと見直すこと』

なのだそうです。
 
そして、信頼。
 
旧友が、こどもを信頼するって何? 例えば、こどもが万引きしたのにうちの子に限ってそんなことはしないって信じるってことなの?
と昔言っておりましたが
 
こちらも優子先生はこのようにおっしゃいました。
 
『信頼は英語だと trust これは信託という意味です。投資信託の信託ね? 昔だと白紙の小切手を相手に渡すように相手を無条件に信じること』
あれあれ? じゃあ旧友の言ってた通りの意味なの?
そんな馬鹿な。。と思っていたところ
続いてこのようにおっしゃいました。

『この人は、基本的に自分の問題を解決できるんだって信じること』

そうか。万引きした子は基本的に自分の問題を解決できるって信じることね?
 
尊敬、信頼、そして、できごとに対しての考えを変える
 
これらすべてがそろって
 
かまえが変わるんじゃない??
 
たった3文字の『かまえ』
これを変えるのがいかに大事かわかっているのに
怒っているときは怒りまくってる私。
 
手がかりをえて、さっそくおけいこを始めます。
 
この人は今一生懸命生きている。経験を積んで大人になっていこうとしているんだ
と見直し
自分の問題は基本的には解決できる
と信じ
 
かまえをかえての実践報告はまた後日。
 
【M.O. 2017年11月】

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