パセージといっしょに歩く親子

うちの小一の息子はマイペースである。
寝坊しても全く急がず、ふだん通りに行動している。
ふだん通りというのは...歌いながら朝食を食べ、歌いながら着替え、歌いながらランドセルを背負い、歌いながらくつを履き、歌いながら出て行くのである。
多分、遅刻していることもあると思う。

言いたいことはたくさんあるのだけれど、今は
「お口はペケでお耳を大きく...ミッフィーちゃん」
の時期で、息子の"学校への所属"と命の危険に関わること以外は口出ししないことにしている。

それでもマイナス感情がない間は「学校行く準備できた?」とか「もう出かけられる?」とか尋ねてみたりもするのだけれど、いっこうに行動は変わらないので、マイナス感情がバリっときそうになったら言わないことにしている。
口出ししないとどうなるのか、観察している。

息子の小学校は少し遠くて、一年生の足だと片道35分ほどかかる。しかも車通りの激しい通学路である。傘をさして歩くには歩道も狭い。
その上、今日は天候が微妙だった。一人で行っていただくのはちょっと心配だった。そこで
「今日は風が強くて雨も降っているので心配だから、ママ学校まで一緒に行こうか?」
と申し出てみた。私も徒歩で見守りながら学校まで送るのだ。
「うん」
と若干うれしそうに返事したので、そうすることにした。
それからも行動はいつも通り。歌いながら...である。多分、遅刻だと思う。
やっと家を出て歩き出したものの、傘をさしてあっちふらふら...こっちふらふら(私にはそう見える)のんびりマイペースに歩いている。
(ふらふら歩いて危ないなぁ!もっと急いでほしい!)...などと私は息子の後ろを歩きながらハラハラ・ジリジリするのだが口は出さない。

その時ハタ!と気がついた(がんばれ)と心の中で応援してみるのはどうだろう?
大きなランドセルを背負って片道35分歩いている人、すでにがんばっている人。
私の構えとして(注意して!もう遅刻だよ!)よりは(がんばれ)の方がいいのではないだろうか?と。

私は心の中で(がんばれ、がんばれ)とつぶやきながら息子の後ろを歩いた。
やっと、やっと校門に着いたら息子は振り返り
「バイバイ」
と前歯が3本抜けたおもしろい笑顔で学校の中へ進んで行った。

(がんばれじゃない、いつもがんばってるね...だ)
「いってらっしゃい」
と私も手を振って家路についた。
口出ししなくても、無事、学校についた。
遅刻だろうけど学校の中のことは彼の課題。これから彼がどうしていうことするのかを話し合いたいけど、それはまだ先のお楽しみ。

私のこの対応から息子は
「ボクは能力がある」
「ママはボクの仲間だ」
と感じてくれただろうか?
実際にいつか
「自立する」
「社会と調和して暮らせる」
ために。
"マイペースで困った息子"は"マイペースにがんばっている息子"だと再認識したこの出来事を忘れないでいたいと思う。


【三浦 裕子 2014年9月25日】