自助グループ


先日、流山の自助グループに参加してきました。
流山は私のホーム自助グループです。今住んでいる横浜から「千葉のチベット(笑)」と呼ばれる流山までは片道2時間弱かかるのですが、その距離感も会の雰囲気も、なんだか里帰りの気分にさせてくれる場所です。

会の内容は詳しく書けませんが、やっぱり自助グループっていいですねぇ~。なんというんですかね~、あの雰囲気。お互いを昔から知っている仲のよい親戚がつどう場。なんだか真ん中に囲炉裏がありそうな、そんな雰囲気がありますよね。

十年以上一緒に学んでいる方々もいるので、自分もその方も、そして相手役も成長してます。しかもロールプレイで相手役とかやるじゃないですか?何年ぶりかで同じ相談者の相手役をやらせていただくと、小学生だった子が中学生とかになってるんですよ。なんだか、親戚のおじさんになった気分ですよね。

エピソードの質もいろいろで。日々の積み重ねの実践エピソードや、家族がライフステージをひとつ上がる際の象徴的なエピソードや、相手役が本当に困っている時のエピソードなど。その時その時の物語をみんなで一緒に考えて、協力的な代替案を紡いでいこうと力をあわせます。そして、その結果を、またわかち合います。「苦楽をともにする」とはまさにこのこと。そうやって、学び合って成長していくって、本当すごいことですよね。

もちろん、囲炉裏の真ん中にはアドラー心理学の灯火があります。この灯火を、そして自助グループという場を、私は絶対に絶やしたくないです。

専門家同士が集まる場も私は必要だと思います。守秘義務とかありますしね。でも、自助グループも絶対に必要だと思います。自助グループには、専門家と非専門家の区別もないですからね。学びの過程や、人生経験での先輩後輩とかはありますが、その時に与えられている役割に、それぞれがベストを出し合えたらいいと思うんです。アドラー心理学を実践するひとりの人間として。

専門家と呼ばれる人たちにも、自助グループ活動に参加することって大切だと思うんですよね~。そこで自分も相談をしながら成長し続けていくことが、必要だと私は思います。そこから得られるものは、専門家だけで集まって活動するグループのそれとは、また違う味わいがあると思います。自助グループ活動に身を置いている職業的「専門家」の雰囲気が私は好きですし、きっとアドラーもそんな雰囲気を身にまとっていたのだと思います。

なんだか『アドラーの思い出』を久しぶりに読み返したくなりました。アドラー、ドライカース、シャルマン、野田先生と考えると、『アドラーの思い出』の中のアドラーを、ひいひいおじいちゃんくらいに感じられるんですよね。

さて、午後も仕事がんばろっと。


【村上 透(神奈川) 2019年11月】