基礎講座理論編@七飯


大竹先生、この度は遠く北海道までお越し頂き、本当にありがとうございました。五月、北海道は桜の季節です。毎日仲間と「大竹先生たちが来るまで桜がもつといいね」と窓の外を眺めていました。ささやかな桜とともにお迎えが出来て本当に嬉しかったです。

そして、大変遅くなりましたが、私もこの四日間の学びや感想を書きたいと思います。私は理論編に初めて参加しました。昨年十二月より、理論編に向けて仲間と基本前提の予習会を行いました。この時はまだ「何となく、出て来る言葉を知ることが出来た」というところに留まりました。

そして、いざ理論編がスタートしました。アドラー心理学の成り立ちから、五つの基本前提(理論)・共同体感覚(思想)・エピソード分析やライフスタイル分析・勇気付け(技法)について丁寧に教わりました。その中でも、特に印象的だったことが四つあります。「個人の主体性」「仮想論」「ライフスタイル分析での家族の価値・雰囲気」「家族布置」です。

私には長年の悩みがありました。普段は仲の良い家族なのですが、いつも同じようなパターンで私が家族に競合的になり問題を起こしていました。息子にはパセージ育児でなんとか良好な働きかけが出来ている実感はありましたが、父・母・妹にはうまく出来ないのです。

理論編前半が終わった夜、私は息子と話をしました。
私「ねぇ、どうして母ちゃんはタロウ(仮)にはうまく関われるのに、じいちゃんたちには出来ないんだろう・・・タロウはこれから大人になるから?未来があるから?だから母ちゃん頑張れるのかなぁ?何が違うんだろう・・・」
息子「母ちゃん。大人でも死ぬまで成長するんだよ。じいちゃんたちも成長してると思えば出来るんじゃないの?」(俺、いいこと言ったぞという顔で)笑  息子の言葉には「なるほどな」と思いました。私は、既に大人になっている家族に対して「いい大人なんだからしっかりしてよ」と競合的な構えを捨て切れずにいたというか、自らその構えを大事に抱きしめていたのだと気付きました。

理論編後半では「ライフスタイル分析」について学びました。私の一番の収穫は「家族の価値・雰囲気」と「家族布置」での学びでした。興味深かったのは、今の「私」という人間は、家族の価値・雰囲気と、どのようなきょうだいの中で育ったかで決まるのだということです。自分や家族を客観視して、それぞれがどのような所属をしているのかが分かりました。そして、「私の家族って素敵*」と感じることが出来たのです。

そして最終日のグループワークでは、今までに無い大きな衝撃を受けました。今回、「私も事例を出してみたいな」と思い立ち、皆さんにお願いすると快く取り上げて下さいました。事例はその朝の出来事です。そう、いつものパターンです。母は(私にとって)意味の分からないことを突然話し掛けてきました。それに対して私はフリーズします。今回はまだフリーズで留まることが出来ましたが、これは理論編を受けていたお陰です。しかし、陰性感情を持ったことには変わりはありません。ワークは次のように進みました。
①エピソードを取る・書き取る 
②この出来事は私にとってどういうことだろう? 
③エピソードの登場人物のよいところはどこか? 
④この出来事はみんなにとってどういうことだろう? 
⑤この出来事についてみんなが幸せになるために私にはどんなことができるだろう?それは具体的にどんなことか?

③を答えるうちに私は「あぁ・・・」と苦笑い。母のよい側面が私の心に痛いほど突き刺さりました。「そうだよね、母はいつもそうやって家族の事を考えて生きているんだよね」そして、リーダー役の方が「家族の中でのお母さんの役割って何ですか?」とアドリブを入れて下さいました。母は「家族の健康を支える人」「奉仕的な人」そして、母の喜びは「家族に頼られること」でした。私は三人きょうだいの真ん中です。二つ下の妹は甘え上手で両親との関係も良好です。私は素直に甘えることが苦手で、いつも「自分で何とかしなければ」と考えています。これは「親に迷惑をかけたくない」という思いも含みます。なので、奉仕することや家族に頼られることを喜びとする母と、それを突っぱねる私はうまくいかないわけです。

そして、⑤の質問です。この出来事についてみんなが幸せになるために私にはどんなことができるだろう? 私は、いつもの「自分で何とかしなければ」という自己執着を手放して、「今日は留守にするので子どものことをよろしくお願いします」と母にお願いをするという代替案を出しました。
この時、私に抵抗は全くなく、長い長い迷路からやっと抜け出た気持ちがしました。目の前が明るく開けた感覚でした。リーダーにより、メンバーにより私は心から癒されたのだと思います。

この衝撃の出来事から一週間、母のみならず他の家族への構えが全く別のものへと変わっていました。朝起きて母の姿を目にしただけで母は輝いて見えたのです。とても幸せな感覚でした。しかし、このキラキラした魔法は二週間後には消えかかりました!そんな中でも私に出来ることはありました。競合的な考えは頭の中だけにしてみる、口に出さない。野田先生の言う「毒ガスの元栓を閉めろ」です。そして、家族のよい側面を考えることにしました。すると不思議と爆弾を落とさないで済むのです。三週間目以降、現在はもっと大変です。元の自分に戻ってしまいそうです。しかし、今この振り返りであのキラキラした魔法を思い出し涙が出ました。また頑張ろう!もう、これを積み重ねていく他ないと思ってしまいます(笑)

理論編終了直後、私は参加しているオンライン勉強会のレジュメを作っていました。その内容は偶然にも野田俊作ライブラリ「21世紀のアドラー心理学」でした。基本前提の「仮想論」について詳細に記されていました。アドラー心理学は「かのように心理学」である。この世界のすべてが「かのように」なのだ。だとしたら、私の母への関わりの変化も、この仮想論で説明がつくのだと思いました。仮想は本当ではないけれど便利なもので、人は「よりよい仮想」を選ぶことが出来る。この「選ぶことが出来る」とうのも基本前提の「個人の主体性」だと学びました。

ある先輩が私に言いました。「仮想だと分かると倫理的になる。倫理的になるとは親孝行が出来るということ。親が生きているうちに親孝行が出来てよかったね」、本当に・・・今、それに気付けたことで、限られた家族との時間をより勇気付けに満ちたものにできるのだ。そうか・・・と心を打たれました。

私は今回の理論編と、その後の仲間との学びの中でとても大きなものを得ました。それは「私はよりよい仮想を自分で選ぶことが出来る」ということです。私にとって、やっとアドラー心理学のスタートを切った感覚です。スタートするために何年かかったのでしょう(笑)それでも清々しく一歩を踏み出せたと思っています。これからも大竹先生や沢山の先輩方・仲間と一緒に頑張っていきたいと思います。そして、野田先生、貴重な講座を残して下さったことに感謝致します。ありがとうございます。


【新開谷みどり(北海道) 2021年6月】