課題の分離と勇気づけ

娘はある習い事をしています。
昨日、その習い事に出かける前に、
 
頭が痛いな~だるいな~疲れちゃったな~
 
と言い始めました。
 
匂わすようなことを言って親がいろいろ気をまわしてくれるということを学んでほしくないので、
 
そうなの~♪ と答え続けていると、
 
とうとう『今日、お休みしようかな・・・』
 
と伝えてくれました。
 
習い事に行くか行かないかは娘の課題です。
 
なので課題の分離をして習い事に行くか、行かないかを娘に完全にお任せすることもできます。
 
パセージテキストに
『子どもの課題は、原則的には子どもに自分の力で解決してもらいましょう。自分の課題を自分で解決できることを<自立>というからです。』(パセージテキスト13-L)
とあります。
 
ですからこのとき、
『体調が悪くてお休みするのね。わかったわ。』
と返事をすることもできました。
 
でも、わたしはこの時、
 
(本当に頭が痛いのかしら?
直前までとても元気に見えたけど・・・。
急に体調が悪くなったのかもしれないけど、もしかしたら単に行くのが億劫になったり気分が乗らないとかも、あるかもしれないな。)
 
と思っていました。そして、
 
(わたしも子どもの時習い事に行くのが億劫なときや、気分が乗らないことがあったこと、覚えがあるな。
なので頭が痛いなどと訴えてその場をやり過ごそうとしたい気持ちはよくよくわかるわ~うんうん!
そしてもちろん急な体調の変化ということもあるだろうから、そうだとしたらちゃんとそのことについて話し合おう)
 
と、自分に陰性感情がないことをしっかり確認できたので、
娘にストレートに聴いてみることに。
 
『さっきまでとても元気に見えたけど、、本当に体調が悪くなっちゃったの? それともやる気が出ないとか、気分の問題かな?』
 
すると娘も素直に、
 
『・・・気分、ですわ・・・』
 
と教えてくれました。
 
だとすると、
 
『やる気が出ない・その気分をどうするか』
 
が今回の娘の課題かな。
 
そこで、その娘の課題についてのわたしの課題を考えてみると、
 
『気分に関わらず、すべきことはしてほしい』
 
が今回のわたしの課題・『学んでほしいこと』のようです
 
そこで、
あくまでもこれは私の課題であって、最終的に決めるのは娘だ。。
と自分に言い聞かせ、共同の課題にすることをお願いすることにしました。
 
『もしよかったら、その気分が、元気になる工夫を一緒に考えたいなって思うんだけど、どうかな? 何かわたしに手伝えること、あるかな?』
 
すると娘はハッと顔をあげて、
 
『ありがとう・・・そうだね、一緒に考えて欲しい。』
(目標の一致が取れました)
 
『うん どうかな、お母さんに何ができるかな?』と聞くと、
 
『出るとき、玄関で、ぎゅーしてほしい』
 
・・・
 
『それから、終わってからお疲れさまってあたまなでてほしい』
 
・・・
 
『お願いできる・・?』
 
できますともーーー♪♪♪
(共同の課題になりました)
 
ついでに『お稽古で何か気がかりなことあるの? それとも気分が乗らないのって今日だけなの?』と聴いてみたら、『今日だけだよ』ということなので、習い事を続けるかやめるかということについては共同の課題にする必要がないみたいでした。
 
娘は元気に習い事に行きました。
 
 
 
課題の分離って、分離するだけでは放任育児になってしまう危険性があります。(しなかったら過保護育児になる危険性が)
 
『今日はお休みする。』
 
と言われて、例えばその時は
 
『あ、そう。あなたの課題だからね。わかったわ。』
 
と従ったとしても、
パセージの目標に向かって、その後に親にできることはありそうに思います。
 
なので、安易に課題の分離だけを育児に取り入れることはお勧めできません。
なにしろそれでは勇気づけの育児はできないのです。
 
パセージを学んでいくと、勇気づけの子育ての中においての『課題の分離』の意味合い・位置づけがだんだんにわかってきます。
わたしも日々手探りですが、だんだんに。。
 
ぜひ、一度パセージを受講して、子どもを勇気づけて育てるというのはどういうことなのか、みんなと一緒に学んでみてはいかがでしょうか。
 
 
【久郷 緑 2017年9月】