失敗ゆるすまじのココロ

娘が最近メガネを作ったんですが、たまにしか掛けないことであちこちに置くんです。
それであちこちに置くと、なくしたり踏んだりしちゃうんじゃないかなぁと話し、
娘にいつもかけてるようにしたら?と提案などしていました。

そんな矢先、つい先日のこと、娘がメガネを学校に忘れたと言うのです。

娘『メガネがない。学校に忘れちゃったみたい・・・』
私『え』

時間は夜8時半。
もう学校に取りに行くのは無理ですね。

私『いつ気が付いたの?』
娘『え、さっきランドセル開けて明日の準備したとき・・・』
私『・・・もうちょっと早くわかったら取りに行けたのに、・・・どうするの・・・』

陰性感情は-3くらいでしょうか。
怒りです。
娘は自分の持ち物を大切にしていない!
もし学校に行ってなかったり壊れてるようなことがあったらどうするの!
だから普段から言ってるのに!
取り返しがつかないことになったら責任取れないでしょ!
そんなことを超高速でメラメラと考えていました。

そうして次に何を言えばいいのか、私は何から手を付けたらいいのか、
まず止まらねば。と考えていると、

娘が、

『うん。失敗しちゃったの。』

と言いました。

はっ・・・

そうそう、これは失敗。
忘れることは誰だってある。
言い方を変えるといついかなる時も絶対に忘れものをしない人、なんている?

このへんなんだよなぁ。。と胸に手を当てて考えてみると、

はい。
私は失敗を許せない母でした。
娘が小さい頃は今よりもっともっと、小さい娘の失敗に対してムカムカイライラ、時にはドカーンとしていました。
そうして怒ってしまう自分が情けなくて悲しくて、パセージにしがみついてきたんです。
失敗って、誰だってしたくてするわけじゃないし、そりゃしないで済めば一番いいですよね。

しかしアドラー心理学を学び続けていてわかったことなんですが、
私にとっての『失敗』には、いつも非現実的な冠ワードが乗っかっていたのです。

『いつも』失敗してはならない

『どんなときも』失敗してはならない

『何においても』失敗してはならない

そんな無茶な~と思うような、非現実的な目標があったみたいで・・・・・

親がわたしの失敗をゆるさない対応をしていたかどうかはわかりません。
でもどうも私は、絶対に失敗しないでいよう、そうしないと所属できない。
と信じることを選んだらしいんですね。
(あくまでアドラー心理学の基本前提に則ってお話してます)

ともあれ、そんな私は『私(や娘や誰か)が失敗した!』と思うと、
 
『たいへんだ!なんとかせねば!(させねば!)』と感情が動きます。

この辺の自己理解に至る前は、
失敗を許せない自分のことを、
心が狭い鬼のような母親だ、、と責めていたこともありますが、責めたところで変わりませんね。
(もしくは変わらないために責めていたという説も・・・汗)

でも自分が非現実的な世界の住人だったんだと知って、

ようやくそこは現実的なラインまでゆるめていいいんだ。。
ゆるめた方が、自分もみんなもシアワセなんだ。。
そんな現実的な世界に住みたい。

と思うようになりました。

そうして、だんだんに、

失敗することもあるよね~(絶対してはならないと思っていたけど)
失敗から学ぶんだよね~(失敗は絶望だと思っていたけど)
二度同じ失敗することだって、あるよ~(まさか、そんな発想はなかった)
どうしても苦手で失敗続きになっちゃうことだって、あるよ~(・・・そんな言い訳思いつきもしなかった!)

と思えるようになってきました。

そのうえで、

失敗したとき、どうやってリカバリしようかね?
どうしたら次は失敗しないようにできるかな?
どんな工夫や努力が必要かな?

と、

失敗して、たくさんいろんな体験をして、いろんなことを覚えていくし、自分の特性もわかっていったりするんだな。

と、失敗をポジティブにとらえることができるようにもなってきました。

アドラーを学んでいなかったら、いまだにひたすら失敗根絶のために自分も相手もギリギリに裁き続けて暮らしていたことでしょう。
(怖いなぁ)

つくづく、学んでホントウによかった・・・と思います。

さてさて娘との会話はどうなったかというと。

まず-3の陰性感情は娘のセリフでヒューンと消え失せました・・・。

わたしは娘に、
『そうだね。失敗だ。。うん!じゃあ、どうしようか?娘はこのことから何を学んだか、聴かせてもらってもいい?』
と聴くことができました♪

娘が言うのには、この日は午後にドッチボールをやったときに外したそうで、そのときケースごと机の中にしまったそう。
だからこれからは外したらケースに入れて、机の中ではなくランドセルの中に入れて、またつかうときはランドセルから出すようにする。
と娘は学んだこととこれからの対策を話してくれました。

私はなにも娘に教えることがなかったので、
『娘が学んだこととこれからどうしたらいいか考えたことを教えてくれてありがとう』
と伝えました。

このとき私は娘の一言のおかげで、
非現実的な世界への入り口から現実的な世界に戻ってこられました。

娘が自分の失敗を、とっても現実的に受け止めることができていることを嬉しく思った出来事でもありました。

これから夏休み♪
娘と協力的な暮らしをするぞと思っていても、きっといろんなことがあるでしょう。
子どもも親も、失敗しながら少しずつ成長していけたらいいな~と楽しみな気持ちです。

【久郷 緑 2018年7月】