父の声


総会後、ちょっとつかれている。

気分転換に日記を書こう。

こんな時には、父のことを書くのが、きっといい。

 

 

父との距離が遠かった。

私にとって父は大きな人で、怒鳴られて怖かったというのもあるのだけれど、それ以上に大きくて偉大な存在だった。父には抵抗することはできないと思っていた。その一方で、父に認めて欲しかった。でも、私は父を遠い所に置いた。

 

そんな父との関係は、アドラー 心理学のおかげで大きく変わった。

父との物語が動き出したのは、野田先生のカウンセリングを受けた時だった。確かカウンセラー養成に見学参加していた時じゃなかったかな。わが家のジェノグラムをホワイトボードに描いて、私が生まれた時、父はまだ20代後半だったということがわかった。当時、私は25歳とかそんなで、野田先生は「今の自分とそんなに(年齢が)変わらないって思うと、全部許せない?」というようなことをおっしゃった。「本当にそうだな」と思った。あの日から、父との物語は動きはじめた。

 

それでもすぐには変わらなかった。

 

その後、最初に受けたカウンセラー養成で、クライアントをした時、父との事例を出した。エピソードの中では何も事件は起こっていなくて、父と2人でいる時に、私がひとりでビクビクしているというエピソードだった。カウンセラーのYさんは丁寧に話を聴いてくれた。そして「味方じゃないかも知れないけど、敵じゃないってこともあるんじゃない」というようなことを、朗らかに言ってくださった。「本当にそうだな」と思った。そのカウンセリングでYさんはカウンセラーに合格した。うれしかったし、父との関係が変わる2歩目になった。あれから帰省の度に、父との物語は少しずつ変わっていった。

 

そして、月日は流れ...

 

今回の総会で、私は懇親会の劇に出演することになった。

とてもいい脚本とメンバーに恵まれた。苦労はあったが、なんだかんだ楽しく練習していた。

セリフの多い役だったので、お姉さんメンバーさんから「もっと大きな声で、滑舌良くしてもらえると...」というご意見をいただいた。撮影さいた練習動画を見返してみると、確かに私の声は小さく、滑舌が悪い。本番は1ヶ月後に迫っていた。脚本のおもしろさを総会でみなさんに伝えたい。うーん。どうしたものか...

 

そんな時、父のことが頭をよぎった。父は豆腐屋の跡取り息子だったのに、オペラ歌手を目指して音大に行った男だ。結局は中学の音楽の先生になったが、父は声がとても大きい。滑舌もよく、エモーショナルに話す人だ。小さい頃には震え上がったあの声の力を、自分も使いたいと思った。

 

父に電話をした。「とある事情があって、劇に出演することになった。本番は1ヶ月後。それまでに大きく通る声を出したい」と父に話した。父は「うんうん」と話を聴いてくれ、声の出し方を教えてくれた。「ヤッホー」とか「オーイ」の時の体の使い方で発声すると、声は通ること。そして「全身を使って声を出せばいいんだよ」と教えてくれた。後者のアドバイスは「簡単に言うなよ」と思ったけど、でも意識することはできると思った。地道に続けてきた瞑想のおかげで、身体に意識を向けることは上手になっていたから。

 

そして、迎えた本番。緊張したけど、結構楽しかった。仲間が書いてくれた脚本を、みんなにちゃんと伝わるように、仲間とたくさん工夫をした。そして、父からもらった声で伝えることができた。それもうれしかった。

 

今週末、私は実家に帰る。結婚1周年を記念して、妻と一緒に里帰りをする。父ともゆっくり話せるだろう。その時、父に「ありがとう」と言おう。厳しかったけど、いつでも私の味方でいてくれた父に。いろんな感謝を込めて、「ありがとう」と言おう。

 

父は私の味方だ。

父はずっと味方でいてくれた。

そのことがわかるのに10年かかった。

 

【村上 透 201910月】


大雨の中「けんけんぱ」!


保育園の帰り道。長女(4歳)と次女(2歳)と3人で歩いていました。その日は大雨でした。ふたりとも長靴をはいて傘をさしていました。水たまりがあるたびに入っていっては、ぴちゃぴちゃ楽しそうにしながら歩いています。 そうしていると、次女が

「(長靴に)水、入ったぁ」

と言い出しました。とりあえず

「どうするー?」

と開いた質問で判断を委ねてみました。
すると、水が入った右足の長靴を脱ぎ、

「けんけんぱするぅ」

と次女が言いました。
心の中で

「えー!この大雨の中でー!?帰るの遅くなりそうだしめんどくさいー!!家までもうすぐだし我慢して歩いてほしいなぁ...」

と思いましたが、マイナスの感情を持ったまま何か言うとどんな言葉も勇気くじき。ここは深呼吸。「ま、どうなるか観察してみよう♪」と気楽に考えられました。
すると次女は私の足につかまりながらもぞもぞと右足の長靴だけを脱ぎ、左足だけでけんけんを始めました。それに合わせて私が歩いていると、5回くらいけんけんしたところで、

「長靴履くぅー」

と言い、濡れた長靴を履いて家まで歩いて帰りました。

パセージ(アドラー心理学の子育てを学ぶプログラム)では3種類の学び方を教わりました。「モデル」「体験」「ことば」です。
今回は、次女に「体験」から学んでもらいました。パセージテキスト26-Lに 

 言葉による子育てに頼りすぎるとしばしば子供が体験するチャンスを奪ってしまいます。

とあります。体験から学ぶ機会を作ることをこれからも大切にしていきたいなと思います。


【伊藤太一 2019年8月】

家族の時間


今日からまた2泊3日、夫が帰省しました。 
明日が義父の介護認定の面談だそうです。 
退院に向けて準備を進めているのだけれど、まだいつ退院できるかはわからないそうです。 
義父はまだ重湯しか食べてはいけないのに、 
お見舞いのお菓子をこっそり食べて看護師さんに怒られたりしているそうで...。 


夫は今年に入ってから今まで以上に超激務なんです。 
管理職になったので、本当に仕事が多いのです。 
なのに、ほぼ毎週、帰省しています。 
帰省するために、連日深夜まで仕事をしています。 

夫もこのままではさすがに身体がもたないと思ったそうで、 
「だから筋トレとウォーキング始めたよp(^_^)q」 
と爽やかに報告してくれました...。 
そっちかーい Σ(・□・;) 
仕事減らすとか効率化するとか、帰省の回数を減らすとかではなく、 
自分の体力を増やす方に頑張るのね...。信じられん...。 
だけどそういえば夫は昔からそういうタイプでした。 
ストイックな人です。 
だから私ともつき合えるのかもしれませんね。 

確かに夫、脂肪が減って筋肉ついてきていますし、 
お昼を基本的にお弁当にして、食生活も改善中で、 
以前よりも健康になっている気がします。 
昼休みに大学の農場のあたりをぐるっとウォーキングしているそうです。 
もともと体力のある人だけど。長生きしてください。 

なんとなく感化されて、私もできるだけ毎日歩くようになりました。 
バスに乗ったつもり貯金とかをしながら、色々と用事はあるので歩くことはできます。 
筋トレはしませんけどね。 


この土日の秘訣講座、本当に本当に参加したかったのですが、 
連休中にキャンセルしました。 
結局、参加することは可能だったのですが、 
夫が土曜日は半日家族と過ごしたり、 
日曜日は一日中職場に行って仕事を片付けたりできたので、 
私の家族にとって良かったのだと思います。 
野田先生も指導してくださったそうで、本当に残念な気持ちでいっぱいでしたが、 
今私にふりかかるタスクは、意味があって必要なことなのだと信じようと思います。 


5月18日の土曜日は、鳥取の国府町にある因幡万葉歴史館に初めて行ってきました。 
安野光雅さんの明日香・奈良の絵画特別展が開催されていたからです。 
安野さんの本は大好きなのですが、原画を見たのは初めてで、とてもよかったです。 
万葉集の歌に詠まれた風景が、安野さんの目を通すとこう見えたのかと感動しましたし、 
子どもの頃家族で訪れた明日香・奈良の風景にも出会えて、感慨深かったです。 
今私の家族と共に、あの風景を見ているというのが、不思議でもあり嬉しかったです。 


日曜日は、午前中は子どもたちと一緒に家の片付けや掃除をしました。 
昼ごはんは、香川で義母が作ったグリーンピースをみんなでむいて、 
長男がふわふわの玉子を焼いて、オムライスを作りました。 
長男はオムライスのためにメレンゲを泡だててふわふわにさせるという、まめな人です。 
食後のデザートには、長男作のゼリーと、生クリームを食べました。 
生クリームを次男はゼリーに添えて、長男は紅茶に浮かべて、私はコーヒーに浮かべました。 
それから私と長男は一緒に勉強をして、 
その後子どもたちは外に遊びに行きました。 

なんということはない日常ですが、 
どれも一度きりのことです。 
この時間を大切にしていこうと思いますし、 
どうすれば大切にしていけるのか、わかってきました。 
協力し合って暮らせるようになったと思います。 
本当に嬉しいです。 


【松村美穂 2019年5月】

アドラー心理学本番を迎える

このゴールデンウィークは、そんなに遠くには家族で行かないけど、日帰りできるような場所に車で行って楽しい時間を過ごそうということになった。妻が朝少し早起きをしてお弁当をつくる。その日は天気もすっかり回復し、県北部の八幡湿原に行くことにした。1時間半ほどで目的地に到着し、草原の木陰の下でお弁当を広げて食べた。

帰り際、隣でやはりピクニックをしていた家族がいて、えんは、その見知らぬ家族のところに行き、バドミントンのラケットを借りて遊び始めた。突然その家族のところに入っていったので、その家族も少し戸惑っているようだったが、笑顔で迎え入れてくれた。よくあることだ。えんは、「人類みなお友達」というような感じで、まったく遠慮することなく、以前からの知人のように入っていった。ある意味、周囲と境界をつくらないということはいいことだと思っているが、こちらの方は、迷惑じゃないかといつもひやひやである。

そして、ずいぶん時間がたったのだが、えんは夢中である。ぼくが「もう帰ろう」と何回言っても、「いやだ」と言って強く拒否する。相手の家族も気を遣ってくれている。最終的にはぼくが無理やり、抱きかかえて車の中に押し込むというような感じになってしまった。このようなことは繰り返されている。

帰りの車の中で、「なにか気になるなあ」と思った。妻に「こんなピクニック、続けてもえんの教育にとってあまり意味がないんじゃないかなあ、家族(ぼくや妻)は自分に奉仕してくれて当たり前と思ってるんじゃないかあ。だから、なにか家族でするときは、意識してえんにきちんと役割を与えて、家族のために貢献してもらうようにしたらいいんじゃないかなあ」と言った。妻はすぐに理解し同意してくれた。

さっそく家について車を降りるときからこれを実行してみることにした。「えんちゃん、このピクニックのシートをうちまで運んでくれないかな」とぼく。彼女にはちょうどいい大きさと軽さだ。いままでは妻かぼくが運んでいたのだが、方針変更だ。えんはうれしそうに「いいよ」と言って引き受けてくれた。そして、家のドアのところまで、先頭に立って運んでくれた。まだ身長が95cmしかないえんだが、頼もしい姿だ。ドアの鍵を開けるのも、彼女の仕事だ。

その日はついでに風呂掃除も頼んでみた。えんはすぐに風呂に行き、ぼくと一緒に風呂磨きが開始された。えんは浴槽の中をゴシゴシ、ぼくが外のタイルをゴシゴシ。ほんの10分程度で終わった。ぼくが軽く「ありがとうね」と言うと、これは予想外だったのだが、にこにこしながら「ありがとうございました」とえん。この声があまりにも大きかったので妻もびっくりしたようだ。「あなたのえんへの働きかけの変化で、えんは突然変わったね」と妻。いままで、特に仕事がある日は、忙しくてえんができる仕事もぼくが手っ取り早くやってしまっていたのだが、これを反省。彼女はもう3歳と10ヶ月。ほぼ大人の話す言葉を理解できるようになったと感じる。表現力はまだまだだけど。

これからがアドラー心理学本番だ。彼女自身の課題については、「・・をお手伝いしようか、それとも自分でやりますか」と言うようにした。こちらの働きかけの変化によって、相手は即座に変わる。これは学校教育でも学んだことだ。


【瀧口純二 2019年5月】

「ななちゃん、舐めたでしょ!」


ある日の職場での出来事。(こども園で勤務しています)

私が午後のおやつの配膳をしていると、
年長の女の子のななちゃんとゆうなちゃんが手伝いに来てくれました。

おかきをお皿に数を数えながら入れる二人。
するとしばらくしてゆうなちゃんが、ななちゃんにこう言いました。

「ねえ、ななちゃん、今指なめたよね。汚いから手、洗ってきて!」

「舐めてないよ」と、ななちゃん。

ゆうなちゃんは私に訴えます。「ねえ、洋子さんも見たよね。」

(・・・どきっ。こっちにきたかあ・・・見てないんだよなあ・・・)

「ごめん、私わかんないな」とにっこり。(笑ってごまかすのは得意技)

「ねえ、洋子さんからななちゃんに言ってよね。汚いって!!」

(保育者の役割は??えーっと、お互いの気持ちを聞いて、、、、。

いや待てよ、違う違う。子どもたちの解決する力を信じよう。
子どものけんかには介入しないんだよな。どうすればいいんだぁ!!!)

あれこれ頭の中でぐるぐる考えていると、ななちゃんが、

「ゆうなちゃん、ごめん。わたし、舐めたかも。手洗ってくるね。」


ななちゃんが手を洗いに行って戻ってくると、その後は
二人で何事もなかったかのように楽しくおしゃべりを続けて配膳をしていました。

お節介な私は「ななちゃん、勇気出して謝れるの素敵ね」と声をかけました。

すると、
「だって、すぐに仲直りした方が、外ですぐゆうなちゃんとあそべるもん!!」
「ね~ 」と、ななちゃんはゆうなちゃんに笑いかけます。
ゆうなちゃんも「ね~ 」とにっこり。

尊敬すべき二人!入園した頃、泣き虫だった二人がなんと成長したことか!!

余計なことしなくてよかったな。信頼することの大切さを学ばせてもらいました。

こんな二人もあと3日で卒園です。(うるうる・・・・)

【堀田洋子 2019年3月】

子どもに響く質問!!


ある日の保育の先生からのお話です。

2歳児さんが仲よく遊んでいるところに、一時保育で入ったAちゃんがきて

高く作っていた積木を足でこわしました。

先生「(やさしく)お友達にを足で壊したらあかんね。ごめんなさいって言えるかな?」

Aちゃん「(はっきり)いやや!!」

先生がこの言い方は良くないと気付き、前回の楽育の学びをと考えて

先生「この足はどう言いたかったのかな?」

Aちゃん「一緒に遊びたかった」

先生「じゃそう言ってみる?」

一時保育の子どもだし、2歳児さんだし、答えられるかな?と思いながら聞いてみたそうですが

子どもを信頼して聞いてみる事が大切だと分かったとの報告でした。

途中で声掛けの仕方に気が付く先生も、

こうして報告してくれる事もすてきだな~と思いました。


    びわこのいっこさんでした


【山口育子  2019年3月】

シャルマン先生の思い出

シャルマン先生

ここしばらく、シャルマン先生に会えるような気がして、いろいろなことを思い出し、ご一緒したいくつかの場所に行きました。初夏は箱根に行きました。夏は無謀にもシカゴに行こうかと計画しました。訃報を聞く前もやはり会えそうな気がして、昨日11月27日は浅草に行きました。

先生に初めてお会いしたとき、「Nice to meet you.」ではなく、「How do you do.」と、20歳そこそこの私に向かって手を差し出され、私は非常に驚きました。
シャルマン先生、息子のロバートさん、妹と私の4人で一緒にお茶をしていたとき、妹がちゃっかりシャルマン先生に何か相談に乗ってもらっていて、シャルマン先生がとても丁寧に妹の話を聞き、優しく答えていらっしゃったのに驚きを覚えました。

田崎真珠の製作工程の見学では最初に1人に真珠が当たるという抽選券が配られました。シャルマン先生は説明の途中からウトウト居眠りをされていました。説明の方が当選番号を何度も読み上げるのに手を上げる人が誰もおらず、ついにロバートさんが「お父さんの番号は?」と優しくゆり起こすと、シャルマン先生が当選者でした。驚いた様子もなく真珠をもらい、ジャケットのポケットに当たり前みたいに入れている先生の姿が印象的でした。

浅草では、仲見世でとても楽しく過ごしました。刀や扇子をみたり、ご家族へのお土産を買ったりしていました。珍しい星形の煎餠があったので、煎餠屋の前で妹と私が嬉しそうに立ち止まっていると、シャルマン先生が「これが好きなの?」と目をキラキラさせて私たちの顔を見つめました。浅草寺に近づく頃、知らない日本人の男性がいきなりシャルマン先生とロバートさんに話しかけてきました。とても自然に2人とも身体をその男性に向け、温かい目線で、まるで「そのままでいいんだよ」と言っているかのような雰囲気で眞摯に耳を傾けていました。妹と私はシャルマン先生とロバートさんが襲われないかと心配していましたが、その男性はひとしきりしゃべった後、嬉しそうに去って行きました。妹と2人でとても感動したのを今でもはっきりと覚えています。

箱根ではみんなで寄木細工の店に行きました。ロバートさんから2つのボウルを手に「お土産にどっちがいいと思う?」と聞かれたので、「こっちが日本らしくていいと思う。」と答えました。するとロバートさんがシャルマン先生の所に寄っていって「お父さん、こっちが日本らしいみたいだ。」というとシャルマン先生が「もちろん、この店の中すべてのものが日本らしいよ!」と答え、ロバートさんが絶句、妹と2人で忍び笑いをしたのもいい思い出です。

箱根で明るい朝日に照らされた、くっきり見事な富士山を見ていたシャルマン先生、ロバートさん、野田先生、中島さんの後ろ姿は、写真のように今でもはっきり覚えています。

昨日行った浅草の仲見世は、シャルマン先生と一緒に行った時と違い、星形の煎餠屋もなく、ロバートさんが買っていたお土産屋もなく、新しいお店に入れ替わっていました。

シャルマン先生と一緒に楽しく過ごした沢山の場面を思い出すたびに、温かい感覚が身体に戻り、先生のゆっくりとした優しく穏やかな声が聞こえ、身体の動きや優しい笑顔が目に浮かびます。

【大久保睦月 2018年11月】


Dear Dr. Shulman,

Recently I wished I had a chance to meet with you again, reminiscing on old memories. I went back to some of the places we visited together. In early summer I went to Hakone and nearly went to Chicago later in summer. Before I learned the sad news that you passed away, I still felt I might be able to see you again. Yesterday, November 27th, I went to Asakusa in memory of you.

When I first met you in my early twenties, I was surprised because you extended your hand to shake mine, saying "How do you do?" and not the typical "Nice to meet you." When you, your son Robert, my sister, and I were having tea together, my sister was bold enough to ask you for some advice. At that time I was impressed to see you listening to her story carefully and kindly answering her questions. 

When we toured Tasaki Pearl, each of us were given a ticket with a number. We were told that only one person out of around 40 people would get a pearl. You were nodding off during the explanation of how they made their pearl products. In the end, when they called out the lucky number, you were still asleep. As no one raised his/her hand after they called the number many times, finally Robert shook you to wake you up and asked what your number was, and it turns out you were the winner. I still remember that you didn't seem surprised at all, as if you already knew, and you received the pearl and put it in the pocket of your jacket.

In Asakusa, we had a wonderful time at Sensoji temple. You enjoyed looking at swords and fans, getting gifts for your family. At one of the stores were rice crackers in the shape of a star. My sister and I stopped and were excited to see them, with you asking with your eyes shining, "Do you like rice crackers?" When we nearly reached the temple, we were startled when a strange-looking Japanese man came up and talked to you and Robert. You both turned to him and you listened carefully to what he was saying, as if you just accepted the man as he was. Initially, my sister and I were anxious because he made us nervous, but that man happily left after chatting with you for a while. I still remember we were pleasantly surprised with that.

In Hakone, we went to a workshop for intricate mosaic wood crafts. Robert was holding two bowls and asked me "which do you think is a better souvenir?" I said, "I think this one is more Japanese." When Robert went to you and said, "Dad, it seems this one is more Japanese," you said, "Of course, everything is Japanese in this shop!" Robert was at a loss for words and my sister and I laughed secretly, which is also a fond memory I have of you. 

I can still remember clearly as if I were looking at a photo of you, along with the turned backs of Robert, Dr. Noda, and Professor Nakajima, who were looking at Mt. Fuji, clear and beautiful in the bright morning light.

When I went again to Asakusa, the shops at the mall before the temple were totally different from when we went there, the rice cracker shop which sold star-shaped crackers and the gift shop where Robert bought some gifts were gone, replaced by new ones.

Every time I think back to the moments I spent with you, I feel a warmth and can hear your gentle voice, remembering your movements and your gentle smile.

Mutsuki Okubo 

怒りは消える

家の掃除は、夕食後に家族全員で一気にやります。

食器などの片付け
トイレやお風呂のお掃除
雑巾がけと掃除機がけ
などなど・・・

結構いろいろすることがあって、だいたい1時間弱かかります。

紆余曲折あり、アドラー心理学の育児で習った『家族会議』で決めたシステムです。
ペナルティも決めています。

家族全員で後片付けと掃除をしてくれることが、肉体的にも精神的にも、どれ程私を支えてくれているかは筆舌に尽くせません。

でも・・・そんなに恵まれた環境でも、不満が出てくるんですね。

2日前のこと、マイペースに、ほとんど遊びながら、自分の好きな仕事ばかりする長男に我慢できなくなりました。

思わず、声を荒げて、

「それ(針金でハンガーラックにバリケードを張っている)掃除?!遊んでるよね?!」「みんなが一生懸命やってんのに、何で真剣にできないの?!それ以上やったらペナルティにすんで!!」

と怒ってしまいました。

適切な側面は沢山ある
・・・そもそも、掃除をしようとしていること自体とても適切・・・
なのに、どうしてこんなに腹が立つのか・・・

冷静に自分を見つめる・・・

ふと、
あぁ、私はいつもこんな風に『一生懸命がんばって』きたんだ・・・
と、気がついたのです。

能力のない私は、人よりいっつも頑張ってたんだ・・・。

わき目もふらず、一心不乱に、やるべきと思うことをやってきたんだ・・・。

不器用でバカだから、遊びながらとか、他のことをしながらとか、そういうことが出来なかったんだ!

今もそうだ。
アドラーやる!って決めたら、アドラーだけになった。
仕事やる!って決めたら、仕事だけになった。
いつだって、一つのことしか出来やしない・・・!!
ハッキリ言ってしまうと、能力が低いのだ!!!
それに比べて、おそらく長男は私よりも賢くて、人生もうまくやっていけるんだろう・・・

そんな風に考え付いて、ふと怒りの感情が消えている自分に気がつきました。

不器用な私、お疲れさま!!
もういいよ。
もう怒らなくても大丈夫。
そんなに頑張らなくても、皆と楽しく掃除しよう。
独りぼっちじゃないだけ、どんなに幸せか思い出そう。
遊びながら出来るのは素敵なことだ。
逆に、不器用で一つのことを一生懸命やりぬくのも素敵なことだ。
個性の違う人間同士が、こうやって協力して生きているんだ。

そんな風に思えるようになった今日この頃。

一つ一つの出来事を、冷静に見つめることができるようになって、人生が変わりはじめました。

それは、紛れもなく、アドラー心理学の力だし、チベット仏教の瞑想の力も大きいと思います。

そして、不器用でひたむきな、自分自身の努力の賜物でもあると思いました。

昔は、謙遜がいいことだと思って、
「私なんて・・・」って思って生きていたけれど、
最近、ようやく、
「みんな誰でも、その人にとってベストと思われることをやっているんだよね」
と思えるようになりました。

私自身も一生懸命生きてきたし、きっと他の人たちも、みんな一生懸命生きているんだよね・・・と。

その方法は全く違うし、もちろん考え方もみんな違う。

でも、人はみんな、懸命に生きている。


そう思うと不思議と泣けてくるような気持ちになりました。


【おしるこ 2018年9月】
 

目標の一致の効果

先日の話。4歳の長女と2歳の次女と 自分の3人で、東山動物園へ 行こうと思いました。( 奥さんは風邪でダウン)

ただ、この3人で一日楽しく過ごすには工夫が必要だろうなと思いました。(色々大変なことは起こりそうです 笑)そこで長女と目標の一致を取りました。

自分「長女ちゃん、今日動物園行きたい?」
長女「うん!(キラキラ)」
自分「そっか!今日楽しく動物園に行くために協力してほしいことがあるんだけどお話ししてもいいかな?」
長女「うん!」
自分「もし二人とも抱っこってなったときは次女ちゃんに抱っこをゆずって長女ちゃんは ベビーカーにしてくれるかな?」
長女「いいよー!!(ゴキゲンに)」
自分「ありがとう!!」

というように 「動物園に行くこと」と 「協力してほしいこと」 について 目標の一致を取って動物園に行きました。

それから動物園に向かう時の家から駅までや電車の中、そして動物園にいる間など二人とも 仲良くぐずることも問題なく楽しく過ごせました。その間、長女は疲れたときはベビーカーに乗り、ちゃんと抱っこは次女にゆずってくれました!!

そして、帰り。電車の中から家の下(うちは2階でエレベーターなしなので階段でのぼる必要がある)に着くまで長女は寝ていました。

家の下に着いた時、長女を起こしました 。(次女は 自分が抱っこ紐で抱っこしている状態)

自分「長女ちゃん 家に着いたよ」
長女「抱っこして...」
自分「次女ちゃん、歩いてくれるかな(次女に確認してみる)」
次女「抱っこー!!」
自分「長女ちゃん お話した通り 次女ちゃんに譲って歩いてくれる?お家着いたら抱っこできるよっ」
長女「(無言でうなづく)」(ベビーカーから降りて歩き出す)
そして家まで次女は抱っこのまま、長女とは手を繋いで階段を登りました。

階段を登りながら
「長女ちゃん、抱っこを次女ちゃんに譲ってほしいのは次女ちゃんがまだ小さいからだからね。長女ちゃんも次女ちゃんも同じだけ大切なんだよ」
と誤解ないように言っておきました。

家に着いたら 長女が「抱っこー」 と言ってきたので抱っこしました。

目標の一致を していったおかげで 楽しく充実した一日になりました。
アドラー万歳!!パセージ万歳!!

しかし、肉体的疲労は避けられず、帰ったら自分はすぐに寝ました...
子供達は帰った瞬間に「公園行こう」と言っていました。
子供の体力はすごい...

【伊藤太一 2018年9月】

失敗ゆるすまじのココロ

娘が最近メガネを作ったんですが、たまにしか掛けないことであちこちに置くんです。
それであちこちに置くと、なくしたり踏んだりしちゃうんじゃないかなぁと話し、
娘にいつもかけてるようにしたら?と提案などしていました。

そんな矢先、つい先日のこと、娘がメガネを学校に忘れたと言うのです。

娘『メガネがない。学校に忘れちゃったみたい・・・』
私『え』

時間は夜8時半。
もう学校に取りに行くのは無理ですね。

私『いつ気が付いたの?』
娘『え、さっきランドセル開けて明日の準備したとき・・・』
私『・・・もうちょっと早くわかったら取りに行けたのに、・・・どうするの・・・』

陰性感情は-3くらいでしょうか。
怒りです。
娘は自分の持ち物を大切にしていない!
もし学校に行ってなかったり壊れてるようなことがあったらどうするの!
だから普段から言ってるのに!
取り返しがつかないことになったら責任取れないでしょ!
そんなことを超高速でメラメラと考えていました。

そうして次に何を言えばいいのか、私は何から手を付けたらいいのか、
まず止まらねば。と考えていると、

娘が、

『うん。失敗しちゃったの。』

と言いました。

はっ・・・

そうそう、これは失敗。
忘れることは誰だってある。
言い方を変えるといついかなる時も絶対に忘れものをしない人、なんている?

このへんなんだよなぁ。。と胸に手を当てて考えてみると、

はい。
私は失敗を許せない母でした。
娘が小さい頃は今よりもっともっと、小さい娘の失敗に対してムカムカイライラ、時にはドカーンとしていました。
そうして怒ってしまう自分が情けなくて悲しくて、パセージにしがみついてきたんです。
失敗って、誰だってしたくてするわけじゃないし、そりゃしないで済めば一番いいですよね。

しかしアドラー心理学を学び続けていてわかったことなんですが、
私にとっての『失敗』には、いつも非現実的な冠ワードが乗っかっていたのです。

『いつも』失敗してはならない

『どんなときも』失敗してはならない

『何においても』失敗してはならない

そんな無茶な~と思うような、非現実的な目標があったみたいで・・・・・

親がわたしの失敗をゆるさない対応をしていたかどうかはわかりません。
でもどうも私は、絶対に失敗しないでいよう、そうしないと所属できない。
と信じることを選んだらしいんですね。
(あくまでアドラー心理学の基本前提に則ってお話してます)

ともあれ、そんな私は『私(や娘や誰か)が失敗した!』と思うと、
 
『たいへんだ!なんとかせねば!(させねば!)』と感情が動きます。

この辺の自己理解に至る前は、
失敗を許せない自分のことを、
心が狭い鬼のような母親だ、、と責めていたこともありますが、責めたところで変わりませんね。
(もしくは変わらないために責めていたという説も・・・汗)

でも自分が非現実的な世界の住人だったんだと知って、

ようやくそこは現実的なラインまでゆるめていいいんだ。。
ゆるめた方が、自分もみんなもシアワセなんだ。。
そんな現実的な世界に住みたい。

と思うようになりました。

そうして、だんだんに、

失敗することもあるよね~(絶対してはならないと思っていたけど)
失敗から学ぶんだよね~(失敗は絶望だと思っていたけど)
二度同じ失敗することだって、あるよ~(まさか、そんな発想はなかった)
どうしても苦手で失敗続きになっちゃうことだって、あるよ~(・・・そんな言い訳思いつきもしなかった!)

と思えるようになってきました。

そのうえで、

失敗したとき、どうやってリカバリしようかね?
どうしたら次は失敗しないようにできるかな?
どんな工夫や努力が必要かな?

と、

失敗して、たくさんいろんな体験をして、いろんなことを覚えていくし、自分の特性もわかっていったりするんだな。

と、失敗をポジティブにとらえることができるようにもなってきました。

アドラーを学んでいなかったら、いまだにひたすら失敗根絶のために自分も相手もギリギリに裁き続けて暮らしていたことでしょう。
(怖いなぁ)

つくづく、学んでホントウによかった・・・と思います。

さてさて娘との会話はどうなったかというと。

まず-3の陰性感情は娘のセリフでヒューンと消え失せました・・・。

わたしは娘に、
『そうだね。失敗だ。。うん!じゃあ、どうしようか?娘はこのことから何を学んだか、聴かせてもらってもいい?』
と聴くことができました♪

娘が言うのには、この日は午後にドッチボールをやったときに外したそうで、そのときケースごと机の中にしまったそう。
だからこれからは外したらケースに入れて、机の中ではなくランドセルの中に入れて、またつかうときはランドセルから出すようにする。
と娘は学んだこととこれからの対策を話してくれました。

私はなにも娘に教えることがなかったので、
『娘が学んだこととこれからどうしたらいいか考えたことを教えてくれてありがとう』
と伝えました。

このとき私は娘の一言のおかげで、
非現実的な世界への入り口から現実的な世界に戻ってこられました。

娘が自分の失敗を、とっても現実的に受け止めることができていることを嬉しく思った出来事でもありました。

これから夏休み♪
娘と協力的な暮らしをするぞと思っていても、きっといろんなことがあるでしょう。
子どもも親も、失敗しながら少しずつ成長していけたらいいな~と楽しみな気持ちです。

【久郷 緑 2018年7月】

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